第6話 父への告白

 私と殿下の関係は仮初の婚約者。二年後の婚約破棄を前提とした格差婚約なのです。

 婚約破棄後は、私は長年の夢であった魔塔へ入ることが叶うかもしれないのです。

 それだけが事実として重要で、私の感情を差し挟む余地などないのです。


 だから、殿下のふるまいに、私は何も感じる必要はないのです。

 殿下の求められる通りに理想の婚約者を演じ切ること。

 それが国のために与えられた私のお役目なのです。

 そして、この役目は、私だからこそ与えられたもの。

 私は、誇りをもってこの役目に挑み、成し遂げるべきなのです。 


 殿下の誤解も、魔術誓約によって話せないのだから仕方ありません。

 あの時は、クアッド様以外の方がそばにいたわけでもないですし、「婚約者」の役割としては、対外的な失敗は何もしていません。

 ただ、人前に出た時に疑われるような真似をするなと釘をさされただけなのです。

 殿下と信頼関係が築けないのは多少痛いですが、冷静に考えれば泣くほどのことなど全くないのです。


 私はどうかしていました。

 あの庭園の花の香りと殿下のキスに惑わされておかしくなっていたのでしょう。

 気を引き締めるべきです。

 私にはこのお役目をやり遂げるという覚悟が足りていなかったのかもしれません。

 まずは、目標を明確に宣言することで、自分に対する戒めと覚悟をより強固にするのです。

 それには、伯父様と父へ理解を求めねばなりません。


 「結婚をしない」という選択への――。


  ◇◇◇◇◇◇


「格差婚約だと!? 儂が居らぬ間に、あの若造、儂のサリアに何ということを!」

「お言葉ですが義兄上、サリアは私の娘です。義兄上のものではありません」

「ええい、知っておるわ! だからこのような羽目になったのであろう! 早く儂の養女にしておけばもっとしっかり守ってやれたものを! 亡くなったロミーナになんと申し開きすればよいのか」

「ぐっ、面目ありません、義兄上。私も愛する妻に顔向けできません。この上は命で贖うしか……」

「伯父様、お父様! もうやめてください! お母様はそんなこと絶対に望んでらっしゃいません! それにお断りできるような状況ではなかったでしょう。もう過ぎたことですし、よいのです。私はこの国のお役に立てることをむしろ光栄に思っております!」


 本日、外交から戻られたヤリス公爵が、私の家にいらっしゃいました。格差婚約の件は伯父様もご存じなかったらしく、たいそうご立腹のようです。


「サリア。ああ、なんてできた娘なんだ。こんなことなら、あの男の方がまだましだったのか。いや、それはそれで……」

「うむ。はらわたが煮えくり返る思いがするが、サリアの言う通り、過ぎたことは仕方あるまい。婚約破棄後の嫁ぎ先は、儂に任せておけ。今回訪れたセルガでは、お前を王子妃にという話があってな。お前の画姿を見せて王立学院で首席だという話をしたら王子がいたくお前を気に入っておった。あの国はこの国と違い近代的な国だから、王妃が侯爵家以上の血筋などのこだわりはない。サリアの嫁ぎ先にはぴったりじゃ」

「なんと、義兄上! 感謝いたします」


 伯父様とお父様は、先ほどとは打って変わって明るい調子で、近隣諸国の若い王子や貴公子の吟味を始めてしまいました。

 このままでは婚約破棄後の次の婚約者まで決まってしまいそうです。

 違うのです。私は結婚したくないのです。

 ここで、きちんと伝えなくては。

 今まで、貴族の娘という責任感から、けして口に出すことがなかった思い。

 でも、今なら――いえ、今しかないでしょう。


「伯父様、お父様、お二人にお願いがあるのです」


 思い詰めた私の声に、お二人は、こちらに向き直りました。


「この婚約破棄後は、私が一生独身でいることをお許しいただきたいのです。――あの、決して傷ついてショックのあまりそう申し上げているわけではありません! 伯父様話を聞いてください」


 すごい形相で立ち上がり、陛下へ文句を言いに行く、と部屋を飛び出しそうになる伯父様を慌てて止めます。


「……私も結婚が貴族の娘の役目だということは存じております。しかし、私には、やりたいことがあるのです。――魔塔に入り、生涯を魔術の研究に捧げたいのです」


 呆然とする伯父様とお父様の目を見て、私は生まれて初めてその過ぎたる望みを、お二人に伝えました。

 とんでもない親不孝をしている自分が情けなくて申し訳なくて、でも諦められなくて――その葛藤に目の端に涙が浮かんできます。


「今までお育て頂いた分には足りないかもしれませんし、我儘を言っているのは分かっております。ただ、叶うならば、このお役目を終えた暁には、貴族の娘としての責任を果たし終えたこととして、私が望んだ生き方を許していただけないでしょうか?」

「サリア……ああ、なんてことだ」

「申し訳ありません! 今まで育てて頂いたのに親不孝ばかり申し上げて」


 あれだけ心を決めたはずなのに、このお二人をがっかりさせることがここまでつらいとは思いませんでした。

 けれど、私は顔を下げるわけにはいきません。泣くわけにも参りません。

 お二人からのどんな言葉をも受け止める覚悟で私は前を向き続けました。

 その時、ふいに私の肩が抱きしめられました。


「お父様」

「違う、そうではない。サリア。ああ、なんてことだ。お前がそんな風に考えていたなんて! 今まで言い出せなくてつらかっただろう。お前に望みを聞いてやれなかったとは、私はなんて情けない父親なんだ」

「違います、お父様は!」

「ロミーナが亡くなった後、お前には、普通の貴族の娘としての幸せは全て与えてやりたいと考えていた。母が亡くなったことで不自由させまいと、世間一般よりも幸せにするのだと。そればかりを考えて――肝心なお前の気持ちを聞いてあげられていなかった……不甲斐ない父親を許しておくれ」

「不甲斐なくなんてありません。お父様は、私をとても大事にしてくださって――愛してくださいました。不甲斐ないのは私の方です。こんなに大事にして頂いたのに、こんなひどい親不孝を……」

「何を言う! 私は今までずっと、お前が幸せになることを望んできたんだよ。お前が幸せになることこそが、一番の親孝行なのだ。――お前が幸せになる道は、魔術の道を究める事なのだね」

「はい、お父様」

「きちんと物事を考え抜くお前がここまで言うのならば、私は反対などしない。お前が幸せになるのなら、胸を張ってその道を行きなさい。私はむしろお前を応援するよ」

「お父様……伯父様も、申し訳ありません」

「サリア、儂は今、お前にロミーナの姿が重なって見えたよ。隣国の王家や公爵家との縁談を蹴って、家と縁を切る覚悟でこの男と結婚すると宣言したお前の母の姿がな」

「伯父様、お母様はおしとやかな淑女だったのでは……」

「あ、いや、まあ、何だ……」

「義兄上、妻はこの上ない淑女でしたとも!」

「はあ、まあいい。この男のこういうところがよかったのだろう――サリア。儂もお前の意思を尊重しよう。お前の望む道を行きなさい。父親は頼りないがお前の兄は優秀だ。家の事は心配せずともよい。ただ、お前の望む道は決して優しくはない。つらかったら引き返してよいし、お前が望むならすぐによい縁談を用意しよう。その際は必ず私を頼るんだよ」

「ありがとうございます。伯父様」


 私の意思を尊重してこの上なく優しいお言葉をかけてくださるお二人に、私は強く感謝をしました。こらえていた涙があふれてきます。

 今は領地にいらっしゃるお兄様にはご負担をおかけすることになります。きちんと挨拶をしなければなりません。


 それから殿下にも、早いうちにこのことを話し、私のお役目に対する覚悟を証明し安心していただくべきなのでしょう。私と婚約破棄することに、責任を感じずに済むように。


 つきりと感じる胸の痛みは、きっと――私がこれから捨て去るものへの決別の痛みなのでしょう。 



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