2-34 各地の事情を鑑みつつ

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 遺体に詰められた苦杏仁瓦斯の犠牲になった者は、合計三名を数えた。内訳は、まず、瓦斯を詰められた遺体の数は、ホァユウが検屍を担当した件を含めて五つの事件で五人、いずれも女性が亡くなっている。二次被害としての死者が出たのは、その中の二件。一件はホァユウと同じ験屍使で、女性を専門に視る産婆が苦杏仁の気体をまともに吸い込み、程なくして死亡。もう一件では検屍使(男)ともう一人、現場を仕切った捕吏が、やはり苦杏仁瓦斯を吸い込んだために命を落としていた。命は助かったが危なかった者、多少なりとも害を蒙った者を含めれば、人数は二桁に上る。

 瓦斯の採集に思い至り、成功したのはホァユウの扱った件のみ。あとの四件はいずれも被害者の症状から、凶器は苦杏仁瓦斯であろうと推察されたにとどまる。

「――と、そのような惨状を来しながら、各所とも発生時点で速やかなる報告がなされなかったのは、己の過失や手抜かりを認めてしまうことになるのを危惧したからのようです」

 ゴ・ソンジンの話す声には、明らかに疲労が滲んでいる。大ごとになるかもしれないという危機感から、位の高いお役人にしては珍しく、自ら駆け回ってホァユウに指示された事共を片付けたようだ。それだけにとどまらず、気になる点についての情報集めも可能な限り、やってのけたと見える。この短期間に成し遂げるとは、優秀な人物であるには違いない。

「何はともあれ、遺体をよこしてくれて、助かりました」

 よそで起きた事件の遺体――腹が瓦斯で膨れた溺死体の手配は、指示がうまく伝達されたらしく、足かけ二日で無事に届けられた。

 ホァユウはゴに礼を述べ、頭を垂れた。目と鼻の先の屋外に、その遺体が横たえられている。今はもう少し陽が高くなり、明るくなるのを待っているところだ。検屍は適切な明るさの元で行うのが肝要。

「いやあ、礼を言われた直後に言い出しにくいのですが」

 ゴ・ソンジンは一瞬だけ機嫌をよくしたあと、恐縮も露わに丁寧な言葉遣いで返す。

「あまり新しい遺体ではないんです。というのも、多くの場合、瓦斯のせいで具合を悪くする者が出たのを、呪いか悪霊のせいだと思い込んだ兵士がいて、さっさと燃してしまえと遺体を処理してしまっていた」

「遺体を燃やすのは、伝染病のときの処置ではありませんか」

「ええ。まあ、訳が分からぬ内にうつる病も、呪いや悪霊と大差ないということでしょう。とにかく、そのような有様でしたので、燃されずに残っていた遺体はわずか一体。古さで言えば最も古い。ああ、もちろん判明している分の中ではという条件付きですが」

「一番古いとは、具体的に……」

「遺体が見付かってからちょうどひと月。ただし、見付かった時点でそこそこ傷んでいたとありますね」

 ゴ・ソンジンは“鑑定書”に目をくれながら言った。事件が発生した当地の験屍使が下した判断を書き記したものだ。

「念のために窺います。このご遺体が燃やされなかったのは、どうしてなんでしょう? かの地の験屍使が瓦斯のせいだと皆に言って聞かせた成果、とかですか?」

「いえ。単に瓦斯による被害者がないも同然だったからでしょう」

「瓦斯による被害者が出ていない? それでどうして同じ系統の犯行だと断定したんです? 発見されるまでに時間が掛かったため、犯人の仕込んだ瓦斯が抜け出たとすれば、瓦斯の被害がほぼ出ないのは理解できますが、逆に同じ犯人の犯行だと言えなくなってしまいます」

「その辺りの懸念はご無用」

 ゴ・ソンジンは得意げに口の両端を上向きにした。

「験屍使自身が遺体を視た直後に気分が優れなくなり、わずかではあるが体調を崩している。さらに、遺体の尻に栓がしてあった」

「あ、そうか、なるほど。瓦斯が抜けるのは栓が外れたときとは限らない」

 これは間が抜けていましたと頭を掻くホァユウ。

 だが実のところ、一連の流れはホァユウの演出だった。あまりにゴ・ソンジンが丁寧に接してくるものだから、段々と落ち着かぬ心地になっていた。これでゴが他の所用で多忙になってくれば、捜査の全権はやはりホァユウ先生にと言い出しかねないのではないかと、心配になる。験屍使が役人として認められたとはいえ、まだまだ歳月は浅い。験屍使の立場で重大事件の捜査を仕切るのは、いかにも荷が重い。

 ホァユウはここいらで自らを落とし、低く見せることで、指揮を執るのはゴ・ソンジンあなたですよと暗に意思表示をしたつもりだ。

 見れば、ゴは気分をよくしたのか、鼻の下をこすっている。

 ホァユウは狙いが当たったと判断し、小さくと生きした。そしてついでに、気になっていたことを聞いておこうとする。

「そういえば、報告を遅らせた各地の験屍使を含む役人達を、実際に罰するのですか」

「その点に関しては、私が決めることではありません。我らは事実を調べ、しかるべき部署へ知らせるのみ」

 素っ気ない感じの返事。だが、続けてこうも言った。

「しかし……験屍使はこれからの世には、今まで以上に必要になってくると考えています。昔のこともあって、誰も彼もがなりたがる職ではないし、いざ身に付けるとなると大変勉強しなければいけないでしょう」

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劉華雨リュウ・ホァユウの験屍録 小石原淳 @koIshiara-Jun

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