エピローグ②

「お腹空いたあ。向こう着いたらご飯行こうよ」


 言いながら、駐輪場の横を通り抜けて正門へと向かう。

 なんら違和感を抱くこともなく、俺たちは徒歩で校外へと出た。

 駅までは大した距離がないので、慣れた様子で雑談をしていればあっという間に到着してしまう。


「ご飯行くんだったら、ひなたちにも声掛ければよかったわね」

「どうだろう、二人でデートしてるんじゃない?」

「それもそうね」


 頷いて、金森さんはちょうど今思い出したというように「あ」と声を上げる。


「春休みダブルデートに誘われてるんだった」

「なにそれ俺聞いてない。結城くんたち?」

「ううん。兎堂くんと夕姫ちゃん」


 完全に予想外の名前が飛び出して、俺は思わず喉に声を詰まらせた。

 隣を歩く金森さんが胡乱な眼差しで「なによ」と俺を見上げる。


「……気まずい」


 直截に告白すると、金森さんは「二人とも優しいから大丈夫よ」と励ましてくれる。


 三学期に入った辺りから、兎堂うどうれんと鹿島夕姫はなにやら親し気な空気を漂わせている。

 俺が嫉妬に狂った男と、利用してやろうと接近した女。

 なにその俺的地獄のカップルと零した俺を、金森さんは「付き合ってないっつーの」と一蹴した。


 金森さん曰く、あの二人は元々似たような波長を持っていたので、試しに紹介してみたらうまく収まったのだという。しかしそれは恋愛ではなくて、ただ性別が異なるだけの、普通の友人として寄り添っているらしい。


 恋人でないと理解はしていても、互いに恋愛感情が一切ないために無制限に距離を詰めてしまえる二人のことは、見ていて危なっかしく感じてしまう。

 距離感が完全に恋人同士のそれなので、周囲にいらない誤解を生んでいるのだ。難儀な二人である。


 そんな彼らとダブルデートとなれば、俺もタダでは済まない。

 俺が彼らの心を踏みにじった過去は消えていないのだ。まずはそこから解いていかないと。


「ならあの二人には、先に謝らないと」

「そ。じゃあ私も付き添うわ」


 俺一人で向き合うつもりだったのに、金森さんはこともなげに言い放つ。まるで彼女の中でははじめからそう定まっていたみたいに。

 きょとんと見下ろした俺に、金森さんは不敵な笑みを浮かべる。


「当たり前でしょ。あんたと一緒になるって決めたときから、私はずっとそのつもりだもの」

「でもさ、やっぱり申し訳ないよ」

「それ、ちょっと前の私みたいね」弱点を突かれて閉口する。「同じ幸せを享受するなら、同じ罪も背負わないと」


 当然のように言ってのけた金森さんに、俺はそっと尋ねた。


「……共犯ってこと」

「違うわ」ほとんど間を置かずに声が被さる。「片割れってこと」


 片割れ、と朧に復唱すると、金森さんは確かな首肯を返してくれる。


「肩を貸し合うってことよ」


 それはあの日俺たちが辿り着いた答え。

 長すぎる遠回りを経て見つけた、俺たちの生きる道。


「肩だろーが胸だろーがなんだろーが貸してやるわよ。彼女だもの」


 舐めんなよ、と胸を張る彼女がたまらなく愛おしくて笑えば、肩を強めに小突かれた。


「俺もだよ。肩くらいいくらでも貸すよ。好きに使ってよ。いっそ砕けてもいいよ」

「二つしかないんだから大事にしろよ……」


 そんな話をしているうちに駅に到着した。

 自動改札に定期券を翳して中に進む。もう慣れたものだ。

 金森さんの引っ越しを機に、俺たちは揃って電車通学へと切り替えた。元々俺は電車の方が適切な距離だったため、今の方が自然と言える。


 二年近く渋っていたのは、中学時代のトラウマ故。

 駅や電車の中で中学の知り合いと遭遇してしまったらどうしよう。不安が拭えなくて、不便だろうと頑なに自転車通学を貫いていたのも、もうおしまいだ。


 しかしダブルデートか。

 よく考えてみると、クリスマス直前に縒りを戻してから、一度も恋人らしいことをしたことがない。


 あの二人とのダブルデートが初デートも兼ねるなんて嫌すぎる。

 その前になんとか恋人らしいことに挑戦してみたいのだけど、と告げると、金森さんはぎゅっと眉根を寄せて首を捻った。


「付き合うって具体的になにするものなの……?」

「えっと、手繋ぐ、のはもうやってるし……キス、とか? あっしてもいいならね! 嫌ならしないからね!」

「あんた……散々彼女でもない女とやることやっといてそれはキモいわよ」

「えっ!? じゃあ今度から金森さんにキスしていいの!?」

「うるせえなあ……」


 耳元で騒いでいたらネクタイを引っ張られた。

 彼女の楚々とした容貌が一瞬で至近距離に迫って、声が喉に詰まる。


「子供じゃないんだから、あんまり駅で騒ぐな」

「はい……」


 どっどっど……低く刻まれる鼓動が止まない。金森さんが「なによ」と訝し気に俺を見上げる。


「キスされるのかと思った」


 素直に口にすると、金森さんは見る見るうちに首元まで朱を散らして俺を突き飛ばした。


「しっしないわよ!」

「してよ! お喋りな口を塞いでよその唇で!」


 ぷいっと素っ気なく体ごと顔を背けられて、ほとんど泣き叫ぶみたいにその背に吠えた。黒髪を耳にかけているせいで赤く染まった耳が丸見えだ。

 そうして潤んだ瞳が不安げに揺らいでいるのもよく見える。


 体の内側で沸騰するみたいに沸き上がった熱が、すうっと失われていくのを感じる。いつもの軽口のトーンで言ったけど、きちんと弁えているつもりだ。


 駅や車内への不安が拭えないのは金森さんも同じだ。

 事件から四か月が経過した今でさえ成人男性の気配に怯える彼女に寄り添えるよう、俺はここにいる。


「大丈夫だよ」


 先ほどまでとは打って変わって静かに語り掛ければ、金森さんもほのかに桃色に染まった頬をそのままに、ゆったりと俺を見上げる。


「俺たちは俺たちらしく、ゆっくり進んでいこう」


 子守歌のように穏やかなトーンで告げると、金森さんは「うん」と表情を綻ばせた。心からの安堵に溢れた、柔らかい眼差し。黒い瞳の奥に確かな信頼が滲んでいるのを認めて、俺も首肯を重ねる。


 やがて体を震わせるようなブレーキ音を響かせながら列車がやってきた。

 目の前で開いたドアから乗り込んで車内を見渡す。

 学生の姿が多く、中には胸元に花を咲かせた制服姿も目立つ。俺たちは揃って反対側のドアの方へと足を進めた。


 車内に入った途端に落ち着かなくなって、そわそわと頻繁に辺りを見回してしまう。

 これだけ学生で溢れていれば、一人くらい昔の俺を知っている人間がいたっておかしくはない。想像するだけで足が竦んだ。


「堂々としてなさいよ」


 凛と張った声が響いて、俺は息を呑む。はっと隣の金森さんを見下ろすと彼女は未だ開け放たれたままのドアの向こうに視線を留めたまま、俺の手を握り込んだ。


「私も、そうする」


 二人の指が絡まる。溶け合っていく三十六度が心強い。

 そうだ。俺たちは痛みを感じたときに肩を貸せるように、こうして寄り添っているのだから。


 発車のアナウンスが響く。

 派手に空気を震わせながらドアが閉まっていく。




 この人と幸せになりたい。

 誰に憚ることもなく、胸を張ってこの人の隣で生きられる自分でいたい。


 痛みを伴うこともあるかもしれない。

 苦痛に喘ぐことも、一度や二度では済まないだろう。


 そんなときには、彼女の肩を借りよう。

 そうして俺も、彼女に肩を貸そう。




 発車と同時に大きく車体が揺れる。

 引力で彼女の体が傾いて、肩が触れる。

 俺は絡めた指をきつく握って、その細い体を半身で受け止めた。


 人のいなくなったホームが車窓の向こうで遠ざかっていく。




 俺の償いは、ここから。






                  (了)





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相模くんはオオカミ属性 愛衣 @aoiai0130

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