エピローグ
エピローグ①
嗚咽交じりの『旅立ちの日に』は既に終盤に差し掛かっていた。
うんざりするほど退屈に感じた式典も、もう間もなく終わりを迎える。そうなったら今俺たちの目の前に並ぶ百三十人は、いよいよこの学校を離れることになるのだ。
学校という場所にいい思い出がない俺には想像もつかないけど、彼らには彼らだけの物語があるのだろうと思考に過ぎらせた。
もはやお馴染みのメロディーは、一年後には俺たちの元へと巡ってくる。中学は口パクで済ませたけど、さすがに来年はそうはいかない。
彼女に誇れないような生き方はやめたのだから。
ピアノの旋律が鳴り止むと、体育館には再び厳粛な空気ばかりが満ちる。
いよいよ最後の瞬間が訪れた。
『卒業生退場』
進行役の一声で卒業生が一斉に立ち上がる様は壮観だ。
割れんばかりの拍手の中、紺色の制服の胸元に可憐な花を咲かせた卒業生たちが、列をなして去っていく。
早春の淡い陽光が彼らの道を照らす光景が涙を誘う。誰も彼もが嗚咽を噛み殺しながら通り過ぎる中、俺は一人冷めた心地で無気力に手を鳴らしていた。
ふと、何気なしに視線を投げた列の中に眩い金髪を見つけて、思い出す。
卒業式なんて帰宅部の俺には無関係だと思っていたけど、そういえば、俺にも一人だけ先輩と呼べる存在がいたのだっけ。
「見て。ヤナパイいるよ」
と指刺せば向こうもこちらに気づいたようで、苦虫を噛み潰したような顔をしながら歩み寄ってきた。そんなに嫌なら無視すればいいのに。
「ご卒業おめでとうございます」
折り目正しく頭を下げた金森さんに倣って、俺も軽く会釈をする。
「ありがと深琴ちゃん。相模はもっと深く頭下げろ」
「やだぁ先輩心狭ぁい。せっかくめでたい日なんだからもっと寛容にいきましょ?」
「めでたい日だから言ってんだよ」
忌々し気に吐き捨てたのは
厳かな式典はとうに幕を下ろし、解放された生徒たちは思い思いの時間を過ごしていた。
校内に残って最後の挨拶に回る卒業生もいれば、午後の予定に向けて早々に下校した在校生もいる。
俺と金森さんもその口で、このまま下校しようと校舎を出て少し歩いたところに柳先輩の細面を見つけた。
まだ桜の季節には早く、裸の枝葉が寒々と揺れる中、今日、彼はこの学校を旅立つ。
「柳先輩、卒業したら髪切るんでしょう?」
雑談のトーンで金森さんが尋ねる。
なにその死ぬほどどうでもいい情報。先輩も「まあね」とか満更でもない顔で項を擦るな。
「先輩のバニーも見納めですね」
「言い方やめて。オレがバニーなお店でバイトしてたみたいじゃん」
慣れた様子で親し気に言葉を交わしていく。
俺にとっても金森さんにとっても、先輩と呼べる存在はこの人だけだった。
この人だけは学年の隔たりを超えて俺たちを見守ってくれた。無責任な空言に惑わされることなく、真摯な目で俺たちを捉え続けてくれた。
俺が金森さんと別れたという噂を聞きつけて、わざわざ教室に乗り込んで俺を叱りつけたのも彼だった。
金森さんがいないときだからよかったけど、あれ、死ぬほど恥ずかしかったんだからな。居たたまれなくなって教室を飛び出しそうになったくらいだ。
けれど、そんな彼とこうして顔を合わせるのも今日が最後だ。
次に会うときには、彼はもうお揃いの制服を脱ぎ捨てているのだから。
「オレと会えなくて寂しい?」
「別に。その気になればいつだって連絡取れるし。どうせ頻繁にこっち帰ってくるんでしょ」
「まあね。言っとくけど、お前に会いに来る訳じゃないからな。オレの目的は金森姉弟だから」
「はあ。別に俺も会いたくはないんで、構わないんですけど」
「可愛くない!」
「でも、お世話になりました」
恭しく頭を下げると、先輩がきょとんと目を見開く。気恥ずかしくなって、
「生意気な後輩とお別れできてせいせいするでしょ」
と皮肉に肩頬を持ち上げる。
いつものように軽口の応酬が続くと思いきや、先輩はふっと吐息を漏らして
「可愛い後輩と、ウザ可愛い後輩に会えなくなって寂しいよ」
と先輩らしく微笑んだ。
ほんの少しだけ驚いてしまった。
この人が俺を疎んでいないどころか、割と可愛がってくれていることは知っていたけど、まさかここまで打ち明けてくれるなんて。
やはり俺にとっての先輩は、柳楓馬ただ一人だ。絶対に言わないけど。
「じゃ留年します?」
「ギーッやっぱこいつ可愛くないよ深琴ちゃん!」
「すみません、これで最後なんで」
隣で金森さんがぺこぺこ頭を下げている、しおらしい態度も可愛らしいなあと眺めていたら、肘で脇腹を小突かれた。ごめんなさい。
写真撮影に呼ばれて、先輩がクラスの方へと消えていく。手を振りながらその背を見送って、金森さんは「行こっか」と俺を見上げた。
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