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『ふつうの推しでも許せますか』完結しました

タイトルの通りです。
以下、かなり長いです。


執筆のきっかけはいくつかありますが、1つは、世に溢れる推しモノ小説に共感できない違和感からでした。私自身が推しに認知されたくないタイプのオタクなので、推しと恋愛する作品は面白いけれど、なんとなく消化不良になりがちです。多分同じタイプのオタクは結構いるんじゃないでしょうか。

前作が対照的な2人の恋愛だったので、同じテーマで非恋愛を書こうと思い、異なる立場を強調するための推しとファン×対等な隣人という構図になりました。

なので、推しモノ小説のつもりでは書いてないです。たまたまそういう構図になっただけの一般文芸です。タイトルとタグから期待して読み進めるとがっかりすると思います。


多分読んでみても、意味のわからないタイトル、よくわからない話だったかと思います。一応意味はあります。

個人的な考えですが、まったく異なる人たちが共生する上で必要なものは理解ではなく許しだなあと思っていて。理解するのは難しいし、大抵不完全だし、大きなストレスを伴う挙句、結局無理だったりする。だってみんな全然違うから。それぞれの『普通』があるから。

でも現実に、みんな理解できない隣人とも共生している。それは同じ価値観にはなれないけどまあいいやと諦めているからだと思うんです。私はそれを許しと呼ぶことにしました。

でもこれ、別に共生じゃなくてもよくて。1人でもなるべくハッピーに生きるコツは、今ある自分を許してあげることだとも思うんです。「今の私って最高!」と積極的に肯定はしてあげられなくても、まあいいやと諦めれば多少楽になれる気がします。花緒と奏汰が辿り着いた結論はここですね。周囲から見た自分の姿に惑わされていた2人が自分の中に軸を置くまでの話でした。

そんな感じで、この作品は何かしらの生きづらさを感じている人に届けばいいなと思っています。もちろんそうでない人にも、読んでいただければ嬉しいです。

重たい内容ですが文庫1冊分しかないので、ちょっとしっとりした気分になりたい静かな夜にでも読んでいただければ幸いです。


最終話までお付き合いいただきありがとうこざいました。


※2024/06追記
タイトルの解説忘れてました。
①第3章で花緒にとっての『推し』=特別でなくてもただ健やかであってくれればいい存在と開示した上での「特別な存在じゃないおれでも推してくれますか」(花緒から奏汰への許し)
②第6章で花緒の言う『推し』概念を理解した上での「おれにとっての推しは花緒さんです」「あなたに向ける気持ちが特別(=恋愛)でない普通の好きでも、一緒に生きてくれますか」(奏汰から花緒への許し)
です。

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