御陵衛士編 24話 伊東家の事情~過ぎし日のみさほの色

[1]


「……伊東先生」

遠慮がちに声をかける。


返事はない。 


伊東が端正な顔立ちの眉間に皺をよせ、ふうっと静かに息を吐く。

目の下には少し疲れたようにクマが浮かんでいる

普段あまり疲れた顔を見せない師の様子に戸惑いながら平助は用意した簡単な食事の膳を並べた。


「伊東先生……長旅でお疲れでいらっしゃるのでしょう。 軽いお食事を用意しましたので召し上がったら早めにお休みを…… 」


伊東が目を上げ、ご飯を茶碗によそう平助を見ながら

「ああ……藤堂君。

私が留守の間、大変だったろう? 土方君が相手では 」そう言ってやっとねぎらうように笑みを浮かべた。


「いえ…… 先生がお留守の間の隊のことはまた明日改めてご報告を。

江戸のお母上様の御病気はもうよろしいのですか? 」


「……そうだね 」

浮かべた笑みを苦笑に変え、平助から受取ったお茶漬けを流し込む。


相変わらず心配そうにこちらを見ている平助に

「君たちにも私事でずいぶん心配かけたが、母のほうは大事無かった。

ただ…… 」


言葉を選んでいるのか、気持ちを整理しているのか

いつも弁論達者で言葉に詰まることが無い伊東の切れが悪い


「妻のみつ……と離縁をした」

それだけ言うと目頭を揉みながら深く息を吐いた。




[2]


 常陸の国、志筑藩

緑深いその土地は筑波山まで見渡せる。

鈴木家は郷目付の家柄にあり甲子太郎はその嫡男、鈴木大蔵として少年時代を過ごした

弟の三樹三郎(幼名、多聞丸)とは二歳違いの兄弟。

他に姉と妹が1人ずつ。

勉学の好きな両親の影響で幼い頃より領内でも評判の賢しらな子供であったという。


当然、自身が他人より優れていることを意識する大蔵も将来の立身出世を夢見て勉学や剣にいっそう励む日々を送る。

両親にとっても「将来は水戸へ遊学させ水戸学を学ばせたい」とどれだけ自慢しても足りることは無い自慢の息子だったのだ。


そんな大蔵の人生に最初に影を落としたのは、皮肉なことに息子を自慢する父だった。

勉学を好むがあまり世を渡るのは上手い方でなかった父が家老と揉め事をおこしたために、鈴木一家は領内から追放されてしまう。


自慢の息子の将来が閉ざされたと悲観にくれる両親に、大蔵は「ひとつだけわがままを…… 」と願い出る。


「……一家の苦境の際に心苦しくはありますが水戸学を学びたいという気持ちはますます強くなりました。

どうか水戸で学ぶことをお許しいただきたい 」


こうして大蔵は単身、水戸で勉学や剣術の鍛錬に力をいれた。

一家は志筑から少し離れたところで私塾を始め、大蔵の遊学中の金銭の援助をした。


弟の多聞丸も塾の手伝いをしたが、こちらは兄と違いやんちゃなところが多い性質である。

塾生を集めては近隣の山深い土地柄を利用した『合戦ごっこ』に興じた挙句

『楠多聞丸(楠木正成)参上』という幟旗まで作って大騒ぎをしたため

勉学の妨げになると塾生の家から苦情があいついだ。

そのせいで塾の経営が何度も危なくなったという。


最初の頃こそ金銭の援助を受けて遊学していた大蔵だったが

剣術の指南や家庭教師など少しづつ稼ぎを得ることができるようになると多聞丸にたびたび泣きつかれて

逆に塾の資金繰りを助けることもあった。


「兄貴、いや兄上……今月のやりくりがまた難しくて……少し融通を…… 」多聞丸が顔の前で手を拝むようにする


「合戦ごっこをやめてきちんと勉学を指導すれば良いだけなのに、なぜそれができないのか……

母上にあまり心配をかけてはいけない」

やんちゃの絶えない弟に説教はするものの、美味しいものを食べに連れていき、母やかわいがっていた妹およしへの土産も持たせることを忘れない


その日もおよしのために用意していた上品な薄紫の小ぶりの巾着袋を多聞丸に預ける。


「兄貴の土産はいつも紫色の物だな…… そのせいで、およしまで紫色の物ばかり集めるようになったと母上が嘆いている」


「紫は高貴な色だ……その色にふさわしい品格を持つという自戒を忘れないために集めている。

多聞も合戦ごっこはいい加減にしてもう少し自分を磨くと良い 」


「俺は兄貴のように頭が良くないんだ 」と多聞丸がむくれる


大蔵はふっと微笑むと「あの父、母、そして私のような兄がいて頭が悪いなどと言うことがあるものか。

姉上でさえ書にはよく通じておられる。

やる気の問題であろう…… 」


弟に皮肉を言いながらも時間を見つけては塾で講義も請け負うという気遣いもみせるような兄であった。




[3]


数年後、大蔵の援助も空しく父の経営する塾は潰れてしまった。

多聞丸の行いがいっさい関係なかったとは言えない。


その頃、大蔵は既に水戸を離れ江戸に身を寄せていた。

神道無念流を極めていた大蔵は次は北辰一刀流を極めるために

北辰一刀流『伊東道場』へ通い鍛錬を積んでいた。

塾が潰れた話を人伝に聞いて随分がっかりした様子を見せたが

それまで以上に熱心に稽古に取り組みだした大蔵が北辰一刀流を極めるまでそんなに時間は必要無かった。


何ごとも器用にこなす大蔵

その端正な容姿も相まって伊東道場でもすぐに目立つ存在となる。

いつも話題の中心で知人の知人という形で交流も広げていく。

そのうちの一人で深川に住んでいた加納道之助と知り合い、その加納の紹介で篠原泰之進、服部武夫とも交友が始まった。


加納や篠原は当時横浜で外国人居留地の警備の仕事をしていたので仕事が終われば皆で集まっては世の動乱を憂い大いに語り合う


「外国人居留地で好き放題やっている夷人を見ていると攘夷討ちに鞍替えしたくなる 」

「幕府は外国人には頭が上がらないから警護をするしかしかたないのだ 」


酒が進み皆が気勢を上げるのを見ながら大蔵は水戸学について語る

天皇を中心とした強い国……それが本来の日本のあるべき形なのだと


皆が大蔵の話を聞くために集い、剣術の指南も受けるようになる。

いつのまにか大蔵は皆から先生と呼ばれるようになっていた。

本人も満更でなかったのか、それを否定するようなことも無かった。


平助が同じ北辰一刀流の玄武館から伊東道場の師範代の職を紹介されたのもこのころで

伊東道場で篠原たちと一緒に大蔵の話をいつも聞いていた。

平助は若く幼さも残していたが真面目な顔つきでいつもみなの末席で勉強をし、わからないことは後で大蔵に質問をしたり熱心だと大蔵に認められていた。


酒も遊びもしない平助を「藤堂は真面目が着物を着ている 」などと加納あたりはからかって

いつも笑っていたが平助は特に気分を害した様子もなく少し微笑んで俯いていた。




[4]


 深川の伊東道場では、その日も午前の稽古が終わると皆が汗を流そうと井戸に集まっていた。

暑い夏の盛りで皆、汗だくになっている


井戸の水はひんやりと冷たい


加納が「ああ……生き返った。なあ、篠原さん 」


「加納、先生に早く変われ 」

「先生、まだでしたか? しまった」と騒ぐ加納


井戸端でわいわい騒いでいるところに

「皆さま、西瓜が冷えてますよ……どうぞ 」

明るい声で皿一杯の西瓜を掲げた伊東道場主、伊東精一郎の娘みつが庭先に出てきた。


「西瓜だ!」皆が歓声を上げる


加納が我先にと手にした西瓜を篠原に睨まれて

「藤堂ちゃんさあ……大蔵先生が先だって、いつも言ってるだろ。いい加減、うちの決まり事覚えてくれよ」そう言いながら平助の手に無理やり西瓜を押し付けた


「藤堂君……私は汗を流したら、もう少し稽古をしたいので西瓜は遠慮するから先に食べてかまわないよ。」

大蔵は、加納に押し付けられた西瓜を手にして困っている平助に笑いかけるとそのまま道場に戻っていった。


稽古を終えた大蔵は部屋で一人書物を広げていた。

先日頼まれていた知人の和歌の添削を早く済ませたかった。


そこへみつがこっそり顔を出す。

「大蔵様、これ……取っておきました 」いたずらっぽく笑うみつが西瓜の皿を差し出す。

「……あの……一つだけ残ってましたのでもったいないですから…… 」


西瓜は真ん中の一番きれいな三角に切られていて、切り口も切ったばかりのように瑞々しい


大蔵はつい笑ってしまう。


「……残って……いたのですね 」


「……ええ 」


みつも吹き出す。


「おみつ殿……」 西瓜を一口齧る


「…… 」


「今度、両国の花火でも…… 」


「……はい 」みつが頬を染める


大蔵も黙って西瓜を口にする


その後も何度か西瓜を食べる機会があったが


……あの時の西瓜は格別だった




[5]


大蔵とみつの仲に気づいた伊東精一郎は大蔵を部屋に呼んだ。


学も優れ剣術の腕も申し分ない

何より大蔵は人を惹きつけ周りには人が集まる


一人娘、みつの婿を取るなら……


かねてよりそう思っていた


二人を夫婦にという話は当然のように進んだ


大蔵は嫡男ではあるが家はすでに藩を追われ、継ぐ必要も無い。

道場の婿となって正式に跡を引き継ぐことにはなんの障害も無かった。


すぐに婚儀の日取りが決まり、めでたく鈴木大蔵は伊東大蔵となり道場を継いだ。


大蔵はみつに「弟の多聞はやんちゃな気質は変わらないようだ。そのせいで何度塾を開いてもつぶしている……

その気になれば頭も良い、できるはずなのに…… 」


愛用の薄紫の扇子を扇ぎながら「弟の今後が気がかりだ 」を繰り返す夫

みつはほほえましい気持ちで見つめる。

薄紫の扇子も紫色が好きな夫のためにみつが見立てたものだった。

「多聞さまも、うちへお呼びになればよろしいではないですか」



世が世ならこのまま、子ができその成長を楽しみにし

道場主として平穏な一生を過ごしたのかもしれない。

みつは早くに母親を無くしていたので大蔵の実母、こよとも仲が良く伊東家に一緒に住まう話も出始めていた。


が、江戸にも京の不穏な情勢は伝わり

これから名を上げるには京へ行かねば話にならないという空気はみなに焦燥感を与える


伊東大蔵も一道場主として終わるつもりは毛頭ない


自分の才覚は誰より自分が知っている

それを眠らせておくのは宝の持ち腐れでしかない……


「京へ出たい」


日増しにその思いは強くなる。


文久三年に浪士組が京へ行った時はまだ結婚して道場を継いだばかりで身の回りが落ちつかなかったこともあり参加を見合わせた。


あの時、藤堂が京へ行く挨拶をしにきたのを昨日のように思い出す。


そしてその藤堂が京を震撼させる新選組の幹部となって再び自分の前に現れた。


『新選組に新しい風を…… 』そう言って真剣な目で入隊を懇願する藤堂


横浜の警備の仕事は辞め、道場の門人となっていた篠原たちは反対したが心の中ではすでに決めていた。

藤堂への面会の返事を待たせている間に新選組についても調べた。


この機会を逃すつもりは無い


大蔵は身震いする思いを藤堂に見せないよう務めた


新選組……

藤堂が伊東道場を辞めてまで移りたいと願い出た試衛館の近藤以下が牛耳る集団と聞いている


だが気後れする理由なぞどこにある?


天皇を上に頂き、夷敵から日本を守る


そんな政の中心の京に自分がいない方がおかしいことだ


新選組が最終の目的ではない、京で広く人脈を広げる。

朝廷や各藩の重臣たちとも渡り合える知恵を持っているのに使わないのは怠惰ともいえよう



藤堂に入隊の意志を告げることに迷いは無かった



[6]


藤堂に入隊の返事をした後、みつを呼ぶ。

事の次第を説明する。

すべて決まってからと思い、今まで何も相談しないでいた。


驚くだろうと思ったが格別、驚いた様子は見せない。

毎日人が集まり時勢を熱く語る夫の姿を見ていて、こうなることを察していたのか、黙って話を聞いている。


しかし、さすがに賛成と両手を上げて喜ぶことも出来ないのだろう。

みつは顔を曇らしながらも

「おめでとうございます……お母上様には? 」


「まだ、これから話そうと思う。三樹三郎も一緒に連れていく 」


「そうですか……多聞様まで……こちらは急にさびしくなりますね 」


「今は三樹三郎だ。私も名を甲子太郎と改めようと思う」


先日、多聞丸から三樹三郎に名を変えた弟にあやかったわけはないが

今までの人生に区切りをつけ、甲子の年に上洛することを記念するつもりで新しい名は甲子太郎に決めた


我ながら良い名、だと自負している


舅の精一郎に道場を閉めることを詫び

京へは行かない門弟達のあとの面倒も見てやらねばならず

慌ただしい中、みつとゆっくり話す時間もない


最後の夜に「来年、桜の頃には一度江戸へ帰ろう。京土産に欲しいものを考えて置くと良い」


伏し目がちに頷く新妻に

京へ出立する準備で忙しくしていて感じなかった寂しさを急に感じたような気がした……



そうしてやっと念願の京へ来たのだ


新選組は思っていた以上に厄介で手強いところがある集団であったが問題ない。

すこしづつ若手隊士にも水戸学を学ばせ、幹部隊士達も取り込んできた


自分が中心となって、藤堂が言っていた『新しい風』とやらを新選組どころかこの京に吹かすこともできるのではないか

実際、薩摩出身の富山弥兵衛の紹介で薩摩藩とも繋がりができている


そんな矢先……


賛同者の山南敬助を失った


北辰一刀流の同門で学のある山南とは気が合い

盟友になれるかもしれないと思っていた……


山南の最期を無駄にしない為にも

これからますます気を抜けない


土方に睨まれながら目指す方向への道筋もつき始めたと思った頃に突然、みつから母が重病の手紙が来た。


母、こよは勉学に秀でた才媛であり伊東が幼少の頃より手本となる大事な存在であった。

報せに驚き、弟の三樹三郎と取るものもとりあえず江戸にもどった。


自分たちが江戸に戻るまで母の命が尽きることの無いように……そう願いながら



[7]


 おろおろする妻を前に伊東はむっつりと黙り込む。


「旦那様、申し訳ございません。

京の恐ろしい噂ばかりが伝わってきて旦那様のことが心配で嘘を……

浅はかな女と哀れみどうぞ許してください」


泣き崩れるみつに「京で物見遊山しているのではない、国事に奔走しているのだ。志のために死ぬなら本望」

腹正しさを見せながら伊東が言い放つ


母のこよと三樹三郎がが取りなすが腹立ちは収まることが無い


ついに離縁を言い渡すと部屋を出る


庭の桜はすでに散り、青々した葉桜が月の光を受けている。


『桜の頃に一度江戸へ帰ってこよう……』


そう言ったのは自分だった

毎日散っていく桜の残りの花を数えて、夫の帰りを待っていたのだろうか


……みつの気持ちはわからないではない


が……母を嘘に利用したことは許せるもので無かった


すぐ京へ戻らねば……

今、新選組を不在にするわけにはいかない


そう思ったが母に久しぶりに戻ったのだからもう少し江戸に残るよう勧められた。


砲術免許を学んでいる阿部や富山にも面会し、順調に進んでいるのを確認した後、門弟だった内海次郎を伴い京へ戻って来た。




ただひたすら疲れた……



ふと目を上げると、藤堂が気遣うような視線を向けたままでいる


藤堂にまで気を使わせてしまった……


「……嘘が許せなかった」


「伊東先生、お茶を」

藤堂が熱いお茶を目の前にそっと置く


「過ぎし日の みさほの色の 変わらずは また来ん春に逢わましものを……

母が病気と嘘をついて私を呼び戻そうとした。 

私事で隊が大事な時に長く不在にしてすまなかった 」

伊東が力なく微笑む


「そうだったんですか……」

平助はまだ伊東道場にいた頃を思い出していた。


伊東の母親こよ、新婚生活をはじめたばかりの奥方のみつ


二人には良くしてもらった……


平助は首を振る。


……伊東先生の決められたことだ


誰もがいつまでも変らないでいることなどできない


それは試衛館の人たちばかりではない


伊東先生も同じ……


それでもさっきの歌は……


夫を信じて待つと誓ったあの日が過ぎ去ってしまっても

同じ気持ちをずっと変わらず持っていてくれたなら

きっとまた新しい春が来る頃に逢うことができただろうに……


そんな意味の歌……


離縁してもなお伊東先生の心のうちに妻を愛しく思う気持ちが残っているのだろうか……


「ところで藤堂君、今後の隊のことだが……」

ふっきったかのように薄紫の扇子を扇ぎながら声を潜めた伊東には既に感傷の名残は消えていた








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月の夜 雨の朝 新選組藤堂平助恋物語 凛花 @rnaribose

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