御陵衛士編 23話 慶応元年 Ⅲ 沖田と虎

【1】


 厨房を覗いてみるが夕餉の支度はまだ始まっていない。

窓から橙色の西日が差しこむ厨房はきれいに片づけられていた。

通いの賄いが戻ってくるのはもう少し後だろう

今は静かだが食事の支度が始まれば

きびきび働く賄いたちと、それを邪魔をするように腹を空かせた隊士がうろうろ出入りし、この場所は喧騒であふれる。


三つ並んだ釜の蓋を順番に開けてみる。


最後の釜に朝餉の残りと思われる冷や飯が少しだけ。


平助は目を上げた。

棚の上に壬生菜の漬物が入った小鉢を見つけた。


冷や飯と壬生菜を混ぜて握り飯を……


ふと手を止める


先ほどの伊東先生の様子……


かなりお疲れのようだった


……握り飯より、お茶漬けのほうが食べやすいかもしれない


湯を沸かそうと土間の隅に置かれた水甕へ近づいた時

強烈な臭いを感じた。


この臭いは……?


水甕に隠れるように、しゃがむ人影がいた。


……!


「沖田さん……? 」


大ぶりの湯飲みを手にした沖田がゆっくり立ち上がってこちらを見た。

かくれんぼで見つかった子供のような表情をしている。

臭いはその湯飲みから発しているようだ。


平助の視線から避けるように沖田が湯飲みを後ろ手に隠した。


「……沖田さん、豚の……煮汁ですか?」


滋養の高い肉を隊士に食べさせるため土方が境内に豚小屋を作らせた。

豚の臭いや鳴き声、屠殺時の騒動

寺の僧侶たちは今まで以上に嫌な顔をしている。


事の発端は……近藤が顔見知りの松本良順という医師に隊士全員の健康診断を依頼したことだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


松本医師は病人が雑魚寝する屯所内の不潔さや、食事の悪さについて厳しく指摘した。


『藤堂君、伊東先生が戻ってきたら早速対策を相談したい。

戻りの予定が分かったら教えてほしい。

それにしても……

幕府の御典医も務めるようなすごい先生に意見をもらえることはありがたい』

近藤先生は屯所の衛生がそこまで悪かったことに驚きつつ得意そうにしていた。


……でも


伊東先生の戻りを待つことなく数日のうちに病室や大きな風呂場、そして豚小屋が作られた。


すべて土方あのひとの指図だった……


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


予想のはるか上を行く土方の行動力を思いだして思わず手に力が入る。


…事前に伊東先生と打ち合わせしていた隊務については抜かりなく進めた。

それなのに、唯一この件に関してだけ後れを取ってしまったことが不甲斐ない。


が……さすがの土方も豚の仕入れ先には苦心している。

最初の数頭が全部いなくなれば、その後の補充がすぐには難しいらしい。

なので肉食が気に入った猛者たちからは『副長は肉を出し惜しみしている』と陰口を叩かれていた。


伊東先生と補充先の算段ができれば……


そんな俺のことを沖田さんが見つめていた。

背中の後ろに隠していた湯飲みをこちらに見せるようにして

「……これ、すごく臭いますよね。 

私は肉はどうしても苦手なんだけど……

土方さんがね、精がつくから汁だけでも飲めってうるさくて 」


「沖田さん……豚は滋養に良い、と私も先生から聞きました。

それは豚の煮汁ですよね? 肉よりは口にしやすいはずです 」

鼻をつまみたくなるほどの臭いのする湯飲みを持て余している沖田さん。

内心では同情する。

俺も本当はあの臭いはあまり好きではない


沖田さんが眉をかすかにしかめた

「先生?……それは伊東さんのことでしょうか 」


「……いえ……松本先生のことですが…… 」


沖田さんの声に少しの棘を感じて俺は目を伏せた。


「ああ! 松本先生……あの先生のせいで私はずいぶん御大層な療養を強いられて難儀してるんですよ 」

そう言って笑うと少し咳をする。


「でも……松本先生はとでもすごい御医師様ですから、きっと 」


つい、諭すような口調になってしまった……


俺の言葉を遮るように「あーあ……まさか京の都で豚を食べることになるなんて思いませんでした。雅じゃないなぁ 」

悪態をつきながら疲れたように框に腰掛ける。

「江戸にいた頃とずいぶん変わってしまいましたね…… 」


「……そうですね 」俺も沖田さんの横に並んで座った。


「江戸と変わってると言えば……ほら、雛の節句のあられ 」


「雛のあられ?……」


「姉が二人もいるので私は小さいころから雛のあられをこっそり隠れて食べてたんですよ。

だから京のあられを見た時は驚いた…… 」


とりとめのない話。


「確かに江戸の物とは見た目が違いますね 」

……母が生きていた頃は季節の行事ごとに父親からの遣いがいろいろ持ってきていた。

その中に節句のお菓子もあったように思う。

俺は目を伏せたまま沖田さんに話を合わせた。


話題はまた変わる

「ね、原田さんは奥方の前では下手な京言葉を使ってるそうです。

知ってました?笑っちゃいますよね 」

そう言ってクスクスとおもしろそうに笑う沖田さん。


「……知りませんでした 」


「平助さん、原田さんと仲が良かったのに? 」


「…… 」答えることができなくて黙って頷く。


沖田さんは咳を二、三度してから話を続ける。

「近藤先生も……ちょっと変わってしまったなあ。

でもね、私にとっては大事な先生ですよ 」


「…… 」


「土方さんは変わらないですよね……昔も今も不器用な人だ。

そう思いませんか? 」


「……わかりません 」


土方……あの人が変わろうが変わっていなかろうが


それがなんだと言うんだ


わからないし


そんなこと


もうどうでもいい……



「変わらない人もいるけど……私と……平助さんは変わりましたね 」


目を上げると沖田の視線が刺す様に俺を見ている。


「沖田さんは変わってないですよ…… 」

俺も沖田さんを見返した。


「変わりましたよ! こんな体になるなんて思いもしなかった 」


湯飲みを抱えた腕が着物の袖から少し覗いている。


沖田さん、また痩せたな……


それでも巡察や稽古に出て、今も腰には刀を大小きちんと差している。


「沖田さん、ちゃんとお薬と……それ 」豚の煮汁の入った湯飲みを目で指す。

「豚を食べて体力をつけてください、豚を食べた隊士はすごく元気ですから 」



【2】


沖田は急に立ち上がると湯飲みの中身を土間に流す。

「私は……こんなもの、汁でもごめんです。

土方さんには内緒にしてくださいね 」といたずらっぽく微笑む


「……沖田さん、そんなことをしたら土方あの人が……心配しますよ 」


「……それ、平助さんが言う?

……伊東さん、江戸から帰って来たそうですね? 」


「はい……つい先ほど 」

答える声に緊張が出ていなかっただろうか……


突然、湯飲みが割れる音が鳴り響く


沖田が手にしていた湯飲みを落とした


いや……投げつけたのかもしれない


散らばった湯飲みの欠片を拾おうとして框から降りた。

瞬間、俺は土間を蹴って後ろに飛び退っていた

俺が立っていた場所を斬り下ろした刀の切っ先は追撃の機会を伺うようにこちらに向けられたまま。

鋭い目をした沖田さんと睨みあう


思わず刀の柄に伸びかけた手が、我に返って行先に迷う


「あらら……気づかれちゃいましたね……さすが今牛若、と言っておきましょうか。

私も以前ならこんなヘマしないはずなんだけど」


突然大きく咳をしながらしゃがみ込む沖田さんに駆け寄る。

「沖田さん!大丈夫ですか」


「かまわないでください……

私にとって近藤先生と土方さんは自分の命より大切な人です。

ねえ、藤堂くん……虎を養いて自ら患いを遺す、なんて馬鹿みたいだって思いませんか?

あなたは虎になる。

じゃ、私は部屋に戻ります。」

ふらつきながら立ち上がる


どたどたと足音を立てながら加納が厨房へ姿を見せた。

「おい!藤堂ちゃん。

今、茶碗割れた音あっちまで聞こえたけど……先生の食事……

えっと……?」


睨みあうように立っている沖田さんと俺の様子に言葉をのんでいる


「沖田ちゃん?……大丈夫か?」


「加納さん……のことよろしくお願いしますね」


咳をしながら歩き出した沖田に加納が道を譲るように脇に避ける。


「…… 」俺はその後ろ姿を黙って見送った


加納が振り返る

「藤堂ちゃん……何があった? 」


「なんでもありません…… 」


いつの間にか窓から差していた橙色の西日は消え、夜の気配が漂う厨房に

食材を抱えた賄い人たちが次々と戻って来た。






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