御陵衛士編 22話 慶応元年 Ⅱ 伊東の帰還
[1]
「伊東先生が江戸から戻られるぞ!」
大きな音を立てて障子が開かれ、ずかずか入ってきた篠原が手に持った手紙を皆に見えるよう高く上げた。
もったいぶった様子で手紙を広げ、一番端に座る平助に手渡す。
順番に回せ、と言うことらしい。
伊東甲子太郎、鈴木三樹三郎兄弟が実母の見舞いのため急遽江戸に発ってからひと月が過ぎようとしていた。
その二人から間もなく京へ戻ると言う連絡があったのだ。
「今はどのあたりだ?」
服部が刀の手入れを中断し、篠原に声をかける。
「……そろそろ大津あたりだろうと思う。先生が私宛に下さった手紙によれば、だが 」篠原が明るい声で答える。
皆が「おおっ。ではもう明日、明後日にでもお戻りか! 」と声を弾ませた。
その中には新井忠雄や江田小太郎、そして若手隊士の佐野七五三之助や茨木司などという目新しい顔ぶれも混じっている。
伊東の勉強会には必ず参加し、
ある意味平助たち以上に伊東に傾倒しているかもしれない。
伊東の留守の間もこうして集まっては、伊東が唱える理念を勉強したり
幕府の対長州の策について批判を繰り返したりしているのだ。
伊東先生に人望が集まるのは良い……が、あまり目立ちすぎては土方に目をつけられてしまう
過熱する議論は隊への不満という火を必ず煽る
その火が大きくなって消される前に、皆を落ち着かせなければいけない……
それが俺たち伊東先生の腹心の務めでもあるのだ
いつもなら涼やかな目元を引き締めて皆の話を聞いている平助だったが
伊東帰還の報に皆が浮き立つ様子に笑顔を見せた。
江戸に行ったきり……
一度も便りをくれなかった先生……
兄弟二人で戻ってくるということは実母の病状が快方に向かったのだろう……
そう思って安堵する。
が、それだけではない……
先生に留守の間のことを託されたのだ
誰かに期待されるということは
こんなにもうれしく……
反面、期待を裏切ってはいけないと必要以上の気負いとなる
それは両肩にずっしりと重くのしかかって、時に息をすることさえ苦しかった
心の中でほっと息をつく
「それではすぐにお迎えの準備を始めましょう。 内海さんも一緒なんですよね 」
伊東の内弟子、内海次郎
京行きをいったん見送っていたが、このたび伊東兄弟と共に京へ向かったと手紙の最後に書かれていた。
「加納、藤堂……先生がいつ戻られても大丈夫なように支度を……
毛内さんは今から俺と一緒に西村さん(西本願寺・寺侍)のとこへ…… 」
篠原がばたばたと指示を出す。
加納が手を上げる。
「篠原さん……そしたら花香太夫も手配したほうがいいですか 」
「……先生はお疲れだろう。 つまらない冗談はよせ 」
篠原は不機嫌な
伊東の手紙の宛名をもう一度確認し、うれしそうに頷いて部屋を出ていった。
毛内が先ほどまで読んでいた書物数冊を抱えて急いで後を追う。
それを合図にぞろぞろと皆も部屋を出ていく。
「あーあ。 篠原さん、わかりやすいよなぁ……
何回も宛名を確認しちゃって。
手紙が藤堂ちゃん宛てだったりしたら今頃大変だったよ、なあ藤堂ちゃん 」
加納がおもしろそうに平助の顔を覗き込む
平助は立ち上がり、障子の前に落ちていた本を拾った。
毛内さんのだ……
慌てて出て行ったから落としてしまったことに気づかなかったんだな……
毛内さんらしい
平助は微笑む
篠原さんも、毛内さんも伊東先生が戻ってこられるのがうれしくてたまらないのだろう
……俺だって
うれしく思っている
空気が熱く淀んでいる
たくさんの人が集まり喧々諤々としていたせいだろう
部屋の障子をすべて開け放った。
部屋の中に爽やかな初夏の風が流れ、陽が差し込む
差し込んだ陽は幾つもの光の筋となって
きらきらした小さな粒を浮遊させながら平助の周りを交差する。
それを目で追う
光の先に掛け軸すら飾られていない床の間
それは部屋の主が長く不在だったことを改めて実感させる。
加納も平助の視線の先を見やり
「殺風景だな……ここの掛け軸どこにやったっけ? 」
「……花も用意しましょうか 」
大事な母の急病を見舞う旅の心労はいかばかりだったことか……
華やいだ部屋のほうが気の慰みになり、先生の疲れも癒されるかもしれない
「花ぁ?……そんなもん誰が生けるんだ? あ……なるほど 」
ポンと手を打つ「やっぱり花香太夫の手配するってことだろ? 藤堂ちゃんも気が回るようになったな 」
加納はにやにやしながら出て行った。
苦笑を浮かべた平助も部屋を出ようとした
「……藤堂 」
部屋の隅のほうからぼそっと呼び止められる
あ……
平助は振り返る
光の当たらない奥で大きな影がゆっくり動く
「……俺は、なにをすれば? 」大きな影、服部が日の当たるところへ出てきた
[2]
翌日、西本願寺の御成門の前には伊東を出迎えようと平助たちが夕刻から待っている。
本堂に近い立派な御影堂門や阿弥陀堂門からの隊士の出入りは原則禁止とされ、新選組は太鼓楼近くの御成門を使っていた。
逆に御成門は寺の関係者は滅多に近寄らない、『穢れがうつるぅ…… 』ということらしい
武田や谷を引き連れた近藤が平助たちを見つけ近寄ってきた。
外出するのだろう、めかしこんだ近藤が申し訳なさそうに笑みを浮かべる。
「皆、伊東先生の出迎えか?
ご苦労……私は外せない用があってこれから出かけねばならぬので。
代わりに土方君に声をかけておいたのだが…… 」
そう言ってあたりを見回す。
……土方に?
あの人が伊東先生の出迎えなどするはずがないとわかっている……
それに……外せない用?
公用ならお気に入りの白雷号に乗って行くはずだ。
近藤先生の派手な装いは花街用のもの
相変わらず女遊びには目が無いらしい
さすがに俺の目を盗んで君尾の前に姿を現すような図太さは無いようだが……
思わず失笑しそうになりながら
「……いえ。 近藤先生、今日は永井様?とご面会でしたか。 お気持ちだけありがとうございます。 」
平助は如才なく三人に均等に笑顔を見せると頭を下げた。
いそいそと出ていく近藤たちの姿が見えなくなった頃、入れ替わるように甲子太郎、三樹三郎兄弟の姿が見えた。
内海や途中まで迎えに出ていた篠原の姿も見える。
こちらに気づいたようで内海と三樹三郎が軽く手を振ってきた。
「お疲れ様でした、伊東先生 」平助が駆け寄り手拭いを差し出す。
「…… 」伊東は返事をしないで手拭いを受け取った。
そのまま玄関の式台に腰を掛け、小者に用意させた水桶で足を濯ぐ。
手拭いで丁寧に足を拭くと、そのままむっつりした顔で立ち上がる。
「伊東先生……? 」
戸惑ったように声をかける平助にさすがに悪いと思ったのか、伊東は少しだけ口角を上げた。
「悪いね、藤堂君……みんなも。
疲れているので早く部屋で休みたい 」青白い顔でそのまま私室に向かってしまった。
篠原が「藤堂、伊東先生に軽いお食事を頼めるか…… 」
そう言うと伊東の荷物を持ってついていく
疲れていても隊士達に不機嫌な顔を見せたことが無かった伊東
平助たちが理由が分からず戸惑っていると
三樹三郎が足を拭きながら疲れた声を出した。
「……ああ、兄貴は今は気分が優れぬのだ。 諸事報告があると思うが後にしたほうがいい 」
「いったいどうしたんです? 」毛内が心配そうに三樹三郎のほうを見る。
「ったく、どうもこうも……」三樹三郎も式台に腰掛けたまま膝の上に肘をつく
内海も気まずそうに足をすすいでいる。
「内海さん、久しぶりなのにずいぶん暗いじゃないか 」加納が内海の肩をたたく。
「三樹三郎さん、内海さんも部屋でお休みください。 なにかお食事をお持ちしますので…… 」
平助は厨房に走った
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます