紅い鬼 血桜 中
「来たな、
「まさ……あき?」
純香は落とされた言葉を、意識を取り戻すように繰り返した。急に開けた目はうまく機能してくれない。まぶしい光から逃げるように目を細めた。
純香が見上げた先には燃えるような赤とその下でぎらりと光る金。ちらちらと舞い落ちるのは桜の花びらだ。
純香はその鮮やかな色合いに一瞬見とれた。
「あなたは……?」
まだ覚醒しない頭で純香は思い着くままに目の前の男に訊いた。
「はぁ? 忘れたのか、この俺を」
誰なのかともう一度質問をしようとした時、純香は男の頭に鈍く光る二つの角を見つけた。言葉にならない悲鳴を上げる。
「それよりも、政明。お前、小さくなってねぇか? それに髪もこんなにのばして。お前らの間じゃぁ、髪を短くするのが普通なんだろう?」
「わた、しは、政明じゃない」
純香は混乱する頭を落ち着けようとしたが無理だった。やっとそれだけ言って、一歩下がる。
「はぁ?」
鬼は呆れた調子で言った。
「あんた、人間じゃないでしょ」
純香は祖父からもらった勾玉を握り締めて、鬼をにらみつけた。
「あたり前だ。軟弱者と一緒にするな」
鬼はさも当然かのように言い放った。
純香は息をするのを忘れて固まってしまう。
「あ、てめぇ、まだ俺の結晶を持ってんのかよ」
鬼は純香が首にかけている勾玉を摘みあげた。
桜の木の影から差し込む光が勾玉に反射する。
「だめっ!」
純香は思わず叫んでいた。
鬼は純香の叫び声と共に吹き飛ばされる。
「ちっ、面倒だな」
空中で回転をし、勢いを殺して着地した鬼はボソリと呟き、ゆらりと立ち上がる。
「殺しせば、その忌まわしき鎖もなくなるだろう」
鬼は金の瞳を輝かせて、薄く笑った。言い終わるのが早いか、地を蹴るのが早いか、純香との距離を瞬く間につめる。鬼は鋭く尖った爪を純香の首を切り落とすように横になぶった。
純香は目を閉じることさえできない。金の瞳と目が合った。
金の瞳が快楽に溺れるようにギラリと光る。
純香の首に爪が食い込んだ時、鬼はまた飛ばされた。
「めんどくせぇ。契約が邪魔しやがる」
鬼は爪についた純香の血を舐めとり、もう一度、面倒だと呟いた。
一筋の風が純香の髪を舞い上げた。
純香は風に従うように走る。
殺されたくないという心の底にうずくまっていた思いが純香をつき動かした。
「拳でだめなら、力はどうだ」
背後には残忍で楽しげな声。
純香は最後を感じて、目を強く閉じた。
「アヤ様、なりませぬ」
純香は聞き覚えがある声に振り向いた。見慣れない金髪。いつも感じていた気を金髪の女性から感じとった純香の口は葉子、と震えた。
「化け狐の分際で、俺に楯突こうってか。数年寝ているうちに俺も落ちたものだ。なぁ、ヨウコ?」
鬼は喉の奥でくつくつと笑い、伸びすぎた前髪を撫でた。獣の瞳が純香を守るように立つヨウコを射ぬく。
「目障りだ」
鬼がそう呟いた瞬間、周りの空気が重くなった。
寒さからではない震えが純香を襲う。
鬼が左手を前に突き出すと掌から炎が吹き出した。
「なりませんっ!」
ヨウコは強く声を張り上げると、目に見えない障壁で純香と自分の身を守った。
障壁では防げなかった熱が二人を炙る。
「ほぅ、少しは力を上げたようだな……だが――甘い」
鬼は口端を上げ、炎の力を強めた。
見えない障壁にひびが入り、割れ落ちるまでには時間がかからない。
「俺が力で負けるはずがないだろう」
「では、これは?」
今度はヨウコが笑う番だった。
ヨウコの声を合図に幾多もの
「障壁はおとりか。起きて早々、こんなに歓迎してくれるとは」
鬼は蔦が足にからまるのをいともせず、関心したように目を細めた。身動き一つせず、喉元までのびた蔦を焼き払う。
鬼の視界が晴れると、そこには誰もいなかった。
◇◆◇◆◇
純香はヨウコに手を引かれて桜の森を歩いていた。
空は桜に覆われているのに、不思議と暗くない。
桜以外ない世界を二人だけで歩く。桜の森を抜けたと思ったら、小高い丘の上にいつも見る桜が目に映った。
「あれ、何なの」
純香はヨウコの背中に訊いた。
「……かつてはここをすべる鬼でした。血の気が多く、妖も人間も見境無く殺してしまう御方です」
静かに返される声に温度は感じられない。
ヨウコは丘の上に立つ桜の木の近くまでつき、握っていた純香の手を離した。
延々に続く殺伐とした地面に広がる桜の花びら。いきなり、桜の花びらにまかれて違う場所に来たということはわかったが、純香にそれ以上がわかる術はなかった。
ヨウコは桜の木を見上げ、哀しげに目を細めた。
「この桜は政明様がアヤ様を封印されたものと同じもの」
「おじいちゃんが?」
純香は目を丸くして言葉をこぼした。
ヨウコは純香に顔を向け、うなづいた。
「この桜の木なら、きっと純ちゃんを守ってくれるはず」
「それはない」
鮮やかな赤が広がった。
純香はヨウコの後ろに立つ男を凝視した。警鐘がなるように耳の奥に心臓の音が響く。
鬼は楽しげに笑っていた。その手はヨウコの背中をつらぬき、真っ赤な血がついている。
むせかえるような血臭が純香の鼻腔を刺激した。
あ、とヨウコが吐息のような声をもらす。
恍惚と細められる金の瞳。
鬼が手を引き抜き、ヨウコはその場に崩れ落ちた。
鬼は手についた血を舐めとり、満足気に笑う。
「やはり、妖力が強い奴の血はうまいな」
金の瞳が純香を捕らえた。
純香の心臓がドクリと波打つ。
「お前の血もなかなかなものだった」
純香はその場から動けなかった。
「しかし、契約が邪魔だ――焼くしかないな」
鬼が血濡れた手を上げる。
純香は何もすることができなかった。
足元に倒れているヨウコは虫の息だ。
自分は何もできないのかと純香は泣きたくなった。
炎が桜の花びらを消しさりながらせまる。
『純香、危ない時は紅い鬼を呼ぶんだよ』
純香の頭の中に祖父の言葉が思い出された。
知らず知らずの内に握っていた勾玉が熱くなる。
その瞬間に純香は理解した。
「
純香の声で鬼は動きを止めた。
すぐそこまでせまっていた炎が消える。
「契約はおじいちゃんから……政明から私に受け継がれたの」
純香は勾玉を強く握り締めて言った。
「なん、だと」
鬼はひどく狼狽した様子で片言に言った。苦しそうに胸をかきむしる。
「あなたの
純香はそう言って、勾玉を喉の傷に押しあてた。鋭い痛みに体が強ばるのを止められない。
純香の乾ききっていない血が勾玉に触れた。勾玉が脈打つのうに熱くきらめく。
鬼は光に反応するように呻いた。
「好き勝手な行動はさせないよ。おじいちゃんがそう言ったでしょ?」
純香は綺に向かってきれいに笑った。
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