軍将の意地*亡国の軍将

「……どうした?」


 いつものようにクオンの部屋を訪れたラシードは開口一番にそう訊いた。形の整った眉をよせ、めずらしく真剣な面持ちでクオンに詰め寄る。


「何がだ」


 本を読んでいたクオンは顔を上げ、平然とした態度で返した。


「……手だ。痛いんだろう?」

「別に何ともない」

「……痛いだろ」


 ラシードはクオンの右手を見ていた目線を上げ、見透かすように見つめる。

 クオンはすかした顔で、痛くない、と言い張った。


「ふーん、そう」


 ラシードは面白くなさそうに目を半眼にし、クオンの左手を押さえ込んで間をつめた。


「ほら、おかしい」


 ラシードはいつものクオンの平手がないことにさらに眉間にしわを寄せた。

 クオンはラシードの顔の近さと、自分が思っていたよりも痛む右手に小さく唸る。

 ラシードはさらに顔を近付けた。

 クオンは思わず、強く目をつむるクオンの耳に舌打ちが届いて、手が離れた。

 クオンがそろりと目を開けると、ラシードは今にも部屋を出ていく所だった。


「何も……しないのか?」


 クオンの言葉にラシードはひどくゆっくりとした態度で振り返った。


「お前、足も怪我をしているんだろう」

「え……?」

「そこを動くな。医者を呼んでくる」


 ラシードのあまりの気迫にクオンは頷くことしかできない。

 ラシードは何かぶつぶつと呟きながらクオンの部屋を後にした。



 幸い、クオンの右手と右足は骨に異状は無く、ひどい打ち身と足の捻挫だけですんだ。

 おとなしく治療を受けるクオンにラシードの深いため息が届いた。


「何をしていたんだ」


 あきれたように訊いてきたラシードにクオンはむっとした。


「稽古だ。他に何をするっていうんだ」

「軍の頂点に立つ気高き軍将様が、ただの稽古でどーやって怪我をするんだよ」


 治療が終わり、医者はそそくさと部屋を出ていく。

 少しの沈黙の後、クオンは言いにくそうに口を開いた。


「子熊を助けたんだ……そしたら――」


 クオンは一度閉口して納得がいかないように口を開けたり閉じたりを繰り返す。


「母熊に勘違いされて、襲われて……情けないことにこの有様だ」


 クオンは肩をすくめて、読み途中だった本を手に取った。

 ラシードは何度も瞬きをして、フッと形のよい唇を崩す。笑い声がしだいに大きくなる。


「お前、熊に怪我を負わされたのが悔しいのか?」


 クオンは俯き、何も言わない。

 ラシードはそんなクオンにはかまわず、彼女の頭をガシガシと撫でた。


「……ラシードが、極力、殺すなと言ったから」


 ポツリと言葉がクオンから零れた。

 ラシードの青銀の瞳が見開かれ、愛しそうに細められる。


「クオンらしいよ」


 そう言ってラシードは漆黒の髪に唇を寄せた。

 ラシードが健全な熊をも倒す左手に殴られたことは言うまでもない。



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