塔のこぼれ話
炯斗
魔女に愛される男の話
伴侶にも我が子にも愛されている自覚がある。
だから逃げた。
ルルイエの魔女が塔を去り数年。あまり塔には寄り付かないと帰省した教え子から聞いた。我が子ももう随分大きくなった筈だ。別れの際はだいぶごねられたが、向こうから会いに来ることはなかった。今は落ち着いている筈だ。そんなこんなで、講師に推任した青年の様子を見にという建前の下、久方ぶりに嘗ての職場を訪れた。
「よぅアルバ先生。調子はどうだい」
幻術の教室を探し当てると彼はやはりそこに居た。此方を見ると驚いたようだが、すぐに笑顔を浮かべて近付いてきた。
「お久し振りです」
「おう。どうだ? 先生ってのは」
「楽しいですね。前任者も中々気が合う方で、引き継ぎもスムーズでした」
「そりゃあなにより」
前任は誰だったか。いや、知らない奴かも知れないしそれはいい。着任からそこそこ経っている筈だが、そこから説明してくれる事に笑ってしまった。
「今日は何の御用で塔へ?」
そう言いながら席を勧めてくる。
「何ってそりゃ、アルバ先生の講義を聴きに来たんだよ」
素直に従って椅子に腰を下ろす。
アルバは「はあ」と気のない返事をした。
「幻術の最先端の研究者だろぉ? そりゃ聴きたいに決まってる」
「おっさんは専攻ってもんがないよな」
「げ。おまえなんで此処に居んの」
横から現れたのは俺に今の塔の情報をもたらした教え子だった。
「弟子に会って一言目が「げ」ってどういうコトだよ」
「いや、つい」
「あれケイナくん、この人の弟子だったの?」
「そっすよ。あんま公にしてないですけど」
面倒臭いから、と小さく付け足す。まあそうだろう。
「まさか先生がおっさんの先生とは、こっちも驚きです」
「いや、そんな大層なものでは…」
「なんだケイナ。てっきりダリの後釜に押し込められてるかと思ったが、まだ学生か。幻術も取ってんのか?」
「あっ!おっさんやっぱそこ解ってたんだな!?」
ダリは錬金術の権威だが、もう歳だ。後継者を探していた。そこに俺の推薦で錬金術専攻生が入ってきたら確実に狙うだろうなとは思っていた。
「意地でもまだ学生やりますよ!」
「ケイナくんは色々幅広く取ってるみたいですよ」
そりゃ良いことだ。確か環境に進みたいとか言っていた。雑多な能力が必要とされる道だ。
「環境系っつったら、トビオカだな」
あの変わり者。あいつも器用で大概の事はなんでもこなせた。
「トビオカ…?」
アルバが記憶を探るような顔をしている。まさか居ないのか?
「あー、おっさん。トビーはちょっと前に環境局専任になった」
「そーなの」
まぁ元々あっちに行ってる事の方が多かったし何も不思議はない。
「まあケイナの話はいいんだよ、俺は先生の講義が聴きたいの」
「へーへー。んじゃまあ、最後でいいから私の所にも来いよおっさん。聞きたい事あるから」
最後でいいからな!と強調して、煩い弟子は去っていった。
「あの微妙に敏い感じが可愛げねーよなぁ」
一応部外者にあたるので、講義という形は…とやんわりと断られ、あくまで私的な情報交換という体で研究の話を聞かせて貰った。
「この後はどちらへ?」
「うーん、まぁ……娘のトコかねぇ」
「お子さんいらっしゃったんですね」
目を丸くするアルバに苦笑いを返す。
「いるんだよなぁ…これまた
部屋の前まで来てみたはいいが、どう入っていったものか思案する。何年振りだ? 実子に会うのに心の準備が要るとかどうかと思う。
息を吸い込んで覚悟を決める。
コンコンと戸を叩く。荒っぽい、変なリズムになってしまった。
「どうぞ」
「……、」
許可を下す短いその声に、ドアノブに掛けた手が攣る。
そうか。最後に言葉を交わしたのはあいつが一桁の年の頃だ。そりゃあ声も変わる。しかも最後の記憶なんてのは、おおぐずりの泣き叫びだ。
再度腕に力を込めて、極力何でもないような顔で扉を開く。こんなに重たく感じる扉は初めてだ。
「よぉ久し振り。おお、随分でっかくなったな」
「…とっ……」
此方を見るなり目を見開いて、まるで幽霊でも見たように固まっている。
「父様!? いらっしゃるなら連絡を…っ、いや、ええと……!!」
飛び付かんばかりに寄って来るルエイエを躱しつつ姿を確認する。
「なんだおまえ、母親に似てきたな」
「 っ!?」
バッ!と自分の顔や頭を手で押さえ、何度も確認するように撫で付けた。
「いやっ、全体的に色味は父様似ですし髪質もっ」
「いやいいじゃねぇか。あいつに似たら美人だろ」
色味なんか似たようなもんだし、髪も今は極端に短くしているがきっと伸ばしたらあいつと同じようにカールが出る筈だ。
目に見えてしゅんとしたルエイエだったが、すぐに気を取り直して顔を上げた。
「どうぞ座ってください。話したい事はたくさんあります。紹介したい人もいますし」
「なんだなんだ、結婚相手か? まだ早いんじゃないか?」
「そうですね、まだ早いのは承知ですので、ゆくゆくは」
「え」
冗談です、の一言を待つが来そうにない。真摯な顔で此方を見ている。
「……孫が出来るにゃ若過ぎるぜ…」
「すみません。孫の方は…お見せできるか解りませんが。ウイユ先生にかかっている、としか」
「ウイユ!?」
相手ウイユなの!?
後日紹介されたのはウイユではなかった。本当に安心した。勢いでこの変態!と文句を言いに行かなくて良かった。
因みに知った顔だった。だが、名前が変わっていた。彼には
塔には三日ほど滞在して、ルエイエともたくさん会話をした。最後に約束通り弟子の所へ寄ってからかわれた後。さあ帰ろうというところで猛烈な寒気に襲われた。
「私には会いに来てくれないの?」
音が聞こえるレベルで血の気が引いた。
「おまえ、仕事はどうしたよ」
「貴方に会う方が優先に決まってるじゃない」
美しく弧を描く唇。年齢不詳にも程がある。
「もうじき孫が出来るらしいぞ」
「フィアちゃんに会った? いい子よね、あの子。私は好きよ」
義母が魔女とは同情を禁じ得ない。しかも気の毒に、気に入られてしまっている。
「あんま苛めんなよ」
クスクスと笑って半身を絡めとる。
「ねぇ、孫と同い年の第二子なんてどうかしら」
勘弁して欲しい。
「…戻ってはくれないの?」
「うーん、やめとくわ」
伴侶と実子が自分を取り合って家庭崩壊…なんて体験をした事がある奴はいるだろうか。しかもふたりが強すぎて、もう全然間に入れない。
もう二度と味わいたくないあの空気。
伴侶と我が子に愛されている自覚がある。
だから、逃げるしかない。
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