塔下の小料理屋の話
盛況するのは良いことだが、と店主は汗を拭いながら店内を見渡した。
実に賑やかな店内を従業員が慌ただしく動き回り、店主自身も厨房で絶え間なく料理を作り続けている。
自分の目指した物とは少し違うなと、こっそり溜め息を吐く。もっと隠れ家的な落ち着いた空間を目指していたのだが。
最初の頃は順調だった。塔下街の表通りからひとつ曲がった場所に新しく出来た小料理屋。少し雰囲気は暗いが居心地と味はよく、すぐに一定のリピーターがついた。安価ではないが、価格と立地と味で集客のバランスは巧く取れていた。
それが崩れ始めたのはいつからか。明確に判っている。あの日、でっかい猫が来たのだ。
「見つけたー!!」
「…見付かった…!」
店の扉を開け放ったと同時に大声を出すその男に、店主は絶望の声を上げた。
ふんすふんすと鼻を鳴らして店内を真っ直ぐ進み、カウンターにどかっと腰掛けた。
「あの肉!」
「せめてメニューを見ろ」
そうは言いながらも、店主は諦めの境地で、仕込んでおいた肉を取り出した。
金の髪に褐色の肌、真っ赤な上着。並べ挙げれば学生時代と何も変わらない自由な男。三十を越えてもやんちゃな顔付きは健在だ。
「フィア結婚すんだって」
「知ってる」
最近はその話題で持ちきりだ。店主からすれば学友の話だが、世間からすればその相手側…塔の魔女が主題になる。学友が妙な噂の的にされないか心配になる。
「えらい相手を選んだな本当」
とは言え、猫や人喰いや己の複製品よりマシだろう。何度もやり直して選んだ相手だ。是非幸せになって貰いたい。
「ほら肉だ。付け合わせも残すなよ」
「うぇ、なんで草付けるの…」
「野菜も食え。中年が肉だけで生きてこうとすんな」
小さく唸った後、ペロッと肉だけ平らげた。完全に残す気だ。店主が厳しい視線を向けると、フォークで野菜をつつく素振りだけをしながら話を再開した。
「まー、んで、けっこんしき?にお呼ばれしたので暫くこの辺に居たいんだけど。住み込みでちょっと雇ってくんない?」
「人手は足りてるんだけど」
「んーじゃちょっとお手伝いするから、三食昼寝付きで部屋貸して」
「人手は足りてるんだけど」
まあいいか、とその時は思った。同期のよしみだ。少しくらい居させてやるか、と。
それが間違いだった。
ジユウはとにかく目立つ。愛想がいい。店主の無愛想さは常連以外を受け付けない空気があったが、ジユウが居座るようになってジユウ目当ての騒がしい客も増えてしまった。ジユウが居なくなればまた落ち着くだろうが、今はとにかく忙しい。とんだ招き猫だ。望まれない。
当の本人は手伝うとか言っておきながら客との歓談に花を咲かせており全然役に立たない。しかも気が乗れば幻術でちょっとしたショーを披露するから、また客が増えた。結果店を回すためにバイトを雇う羽目になった。
結婚式の招待状は店主も貰っているが、挙式はまだ何ヵ月か先の話だ。この状態が長く続くと思うと店主の心労は凄まじかった。
出禁にするか、店を休業するか。
ジユウの空っぽな笑顔を眺める。
うん。まぁ。
楽しくないと言えば嘘になるし、もう暫くは様子見だ。
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