〔私訳〕桜梅草子

工藤行人

前篇 桜梅のこと

序之言 春おぼろ

 春もなかばのころおい空濛くうもう霞敷かすみしける夕映ゆうばえに花明はなあかるこずえぼんや見遣みやって居ると、あれまあ誰かとよ、心惹かれる五、六人の女房達が打ち群れて庭のおもに佇んでいるのを見留みとめた。「何方どちらの御方でありましょうや」と種姓しゅしょうを尋ぬるも彼女等は如何いかな言の葉とてなく、媚嫵びぶたるわらい声を聴かせるばかり、ただ何やら慕わしげな挙動そぶりで遠巻きに此方こなたを伺っている。近寄って「或いは人違いやも知れませぬが、一寸ちとやすんで行かれませぬか」と勧めるとその女房達は皆、きざはしを上って居並んだ。

 有明の月が山端やまのはに近付けるきざみに、女房達は還って行ったけれど、私にはこの時の何もかもが朧気おぼろげ判然はっきりしないことこの上ないのであった。

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