引っ越し。送られていく自分

ななくさつゆり

《引っ越し。送られていく自分》

 液晶テレビと隣り合わせで、車に乗ったのは初めてだった。

 実家を出ることにして、自分の引っ越し先を決めてしまえば、あとは荷物をどう運ぶかという話になる。その際、「いちいち業者を使わなくていい」と言ったのは父で、「俺が運転する」と言って聞かなかったのも父だった。

「それなら、身ひとつで行けるようにしとくよ」

 と、調子のいいことを言ってみる。言ってみたものの、荷造りの途中で無理を悟った。


 家の白いミニバンに荷物を積み終え、後部座席で父を待つ。その間、プチプチと鳴る緩衝材を、液晶テレビにぐるぐる巻いていた。

 父がバックドアの方に顔を出し、ドアを開ける。

「画面、割るなよ」

「大丈夫。念入りに巻いたし」

 抱えていたリュックやボストンバッグを荷物置きに下ろした。

「母さんが、糸島の野菜とか、明日の朝飯を詰めといたから。持ってけ」

 と、言ってドアを閉じる。荷物は増えたが、ありがたい。

 結局、積み荷はテレビや野菜で終わらず、レンジや電気ケトルといった、雑多なものを詰めたダンボール箱が幾つか。そして、中学生の頃から愛用しているコタツテーブルと扇風機。さらに、お気に入りの本を詰めた箱がひとつ。それらを後部座席と荷物置きに突っ込んだ。


 運転席のドアが閉まると、一瞬だけ車内から音がなくなって、それからエンジン音が響く。車はのっそりと動きはじめて、住宅街の狭い道を徐行で抜けていき、裏道を注意深く通って都市高速道路に乗った。そこからは迷いを捨てたように走りだす。やることがなくて、寝転がった。


 これだと自分も積み荷のひとつみたいだ。


 ついに実家を出たという感覚はさっぱり沸かず、親に送ってもらうだけ。このまま新たな我が家まで届けられてしまう。

「なぁ」

 と、父がこちらに声をかけてきた。車は速度が緩やかになり、電柱の近くに止まる。

 父はしばらく間を置いてから言った。

「道、間違えたわ」

「……」

「近くまで来たよな?」

 一方で、既に何度か車で来たことのある自分のアタマの中には、地図がインプットされている。起き上がって周囲を見渡せば、近くまで来ているのはすぐに分かった。

「来たけど、手前の道を曲がっちゃったんだと思う」

「おお、そういえば」

 あとは淡々と車を走らせるだけ。角を曲がれば、引っ越し先のマンションが見えてくる。

「やっぱり、自分で運転せんと覚えんわ」

 ——同じことを考えていたな。


 マンションに着いて、駐車場に車を止めた。一足先に駐車場に立って荷物を下ろし、台車で積み荷を運んで新たな我が家と車を三往復ほど。自分が積み荷を運ぶ間、父は落ち着きのない様子で待機していた。

「運んでやろうか」

「このテレビがラスイチだから」

 緩衝材でぐるぐる巻きにした液晶テレビを台車に乗せて、父に礼を言う。

「無事、終わったよ」

 すると父は、「おう。じゃあ」と言って、軽く右手を振った。そのまま車を出してマンションを後にする。車が左折して見えなくなり、まわりの音が消えたと思ったら、耳元で風が吹き抜けた。駐車場には、自分とテレビだけ……。


 それから、新たな我が家にまんまと届けられた自分は、そのままワンルームで新しい生活を始める。数日かけて少しずつ荷ほどきを済ませ、家具を並べ、テレビを設置し、カーテンを買ってきてレールに取り付けた。網戸越しにそよいでくる風が、半透明のレースカーテンをなびかせている。その下で本が二冊、コタツテーブルに横たわっていた。本の隣に置いた電気ケトルが、陽光を浴びて静かにふちを白く光らせている。


 家事はやる。自炊もする。だから、一人暮らしにも、きっとすぐに慣れるだろう。


 そんなことを考えながら、テレビをつけた。

 映ったのは、実家で父がよく見ていたゴルフ中継。アイアンの乾いたインパクト音が耳を衝く。

 そのとき、実家の自分の部屋が脳裏に過った。学習机もベッドも、大量の漫画本もそこに残したままでいる。なのに、その部屋にはもう誰もいない。ただ、陽を溜め込んだカーテンが網戸越しの風を受け、揺らめいているだけだった。

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引っ越し。送られていく自分 ななくさつゆり @Tuyuri_N

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