第20話
身体の震えを抑えることが出来なかった。
両脚に感覚は無く、立っていられるのが不思議なくらいの僕は、蹲る
「……馬鹿だな。何で泣いてるんだよ」
顔だけ振り返るようにして僕を見上げた
……泣いてる?
言われて初めて、頬を涙が濡らしていることに気づく。
「だ、だって
「あークッソ可愛い」
そう言って一旦顔を伏せた
僕のことを散々、揶揄ってたくせに今なんで、こんな時に……。
そんな顔は、反則だ。
「な、な、何を言ってるんですか?! 病院ッ……そうだ病院に行かないと。血が……ち、血が……血、が? あれ?」
身体を押さえている
「刺さらなかった」
「…………へ?」
それを聞いた途端、脚はまるで使い物にならなくなり地面にへたり込んだ僕は、
「本当に……?」
座ったまま向き直る
確かな感触も、馴染みのある匂いも
そう。消えたりしない。
僕はまた、泣きたくなって困ってしまう。
「眼の前で
「良くないですよ。僕だって、びっくりしたんですからね?」
「はははッ」
「でも、何で……?」
回されていた腕が、そっと解かれる。
身体を離すと
「……ッ?!」
まるで熱いものに触れたかのように
それはやがてシガレットケースの下に溜まりを作ると同時に、あれほど輝いていたシルバーもまた徐々に硫化する様を見せ、黯い翳りを宿し始めた。
「これ……」
「禍い転じてなんとやら、だな」
「もしかして、呪いが解けた? でも、何で? 何しても傷もつかなければ、壊れそうにもなかったのに」
「あの『銀杏堂』の爺さんが試そうとしていた心当たりってのも、もしかしたら、これと似たような毒を以て毒を制すってヤツだったのかもな」
地面に投げ出された歪んだシガレットケースは、見つめる僕たちの前で瞬く間に長い年月を経た本来の姿に変わる。そうしている間にも雪は忌憚なく、その上に次から次に舞い落ちては溶けてゆくのだった。
やがて
その人達は幼い子供から老人まで、不思議と男性しかいないのは、おそらく昔の因習と関係する呪いの縛りがあるのだろう。
……舞う粉雪は僕の眼を濡らし彼等の姿を、朧にする。
その時、一際鮮やかな赤が左眼に、ふわと揺れた。手描き友禅と思われる独特な色彩のグラデーションが美しい、花や蝶を描いた振袖の袂だった。その、あまりの鮮やかさに彼等も魅せられたようだった。
赤い袂が翻り金糸や銀糸が燦く様は、懐かしい、いつかの夕焼けにも似ていて郷愁を誘われる。
鮮やかな輝きは、やがて淡く消えゆく。
振袖姿の女性が視えなくなると同時に、彼等もまた、雪に溶けるようにして失われたのだった。
僕は、知らず詰めていた息を吐き出す。
おそらく
往日の、その願いが何だったのか成就したのかは分からないが、永きに渡って科せられた呪いは消えたのだから。
こうして、
何ごとも、終わってみれば呆気ないものであると、誰もが知っている。
終わらせるために始めるのか、始まりがあるから終わりがあるのか。
おそらくは、その両方。
「……終わりにしたくない時は、どうすれば良いんでしょうね?」
僕の言葉に、
遅れて立ち上がろうとする僕の脚がまだ少し震えているのを見て取ると、肘を掴んで起こしてくれた。
始めなければ、その終わりは来ないのだろうか。気づかないうちに、始まっていたら?
雪は、粉雪から灰雪へと変わる。
ひらひらと、花びらが舞うように降るそれは、瞬く間に薄らと世界を白く染め始めた。
「何にせよ、まだ始まっちゃいないだろ」
「……?」
「区切りが一つ、ついただけだ」
不意に僕は、あることに気づく。
この真っ白に染まりゆく世界は、実際には透明な氷の結晶の光が散乱する燦きで出来た世界なのだということに。
つまり今、僕が眼の前にしているのは雪に埋もれ消えゆく世界ではなく、光に満ちてゆく世界に他ならないのだ。
何度だって新しく始まる、その世界。
そうやって物事を見れば全ては連綿と繋がり、区切りはあっても終わりというものは存在しないのかもしれない。
「
「さて、な。何処に居るのかは知らないが、この場所は変わらずに在るんだ。もしかしたら、いつか『
「僕も、そう思います」
「ははッ。待ってくれていると思った女が、居なくて驚くだろうよ」
「そうですかね? 僕は
「……ふうん?」
「あれ? ここは
肩透かしを喰らったような気持ちで僕が
「
「……え? な、何を? 悪い予感しかしないんですけど」
「俺としては、
「って、何を言ってるのか分からないとまでは言いませんけど、どうしてそこに
「はははッ。分かってれば良いよ」
どちらからともなく鈍色の空を見上げる。
重たく垂れ込める黯い空から、白く絶え間ない世界の始まりを告げる静寂が落ち来るのを、二人暫く眺めた。
「……寒いな。コーヒーでも飲まないか?」
《了》
夢告げ 石濱ウミ @ashika21
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