第32話

 御饌使──身消し。

 嫌な言葉を使うものだと腹立たしさすら覚えた。失踪しても誰も届け出ない。そういう人間を選んで鎖でつないだとしか思えず、玉井工務店を疑う気持ちが膨らんでいった。

 ともかく原義一を見つけ、彼に何があったのか、どこまで自分の意思でやったのかを話させねばならない。そして、入所させることはできなくとも、せめて原めぐみのもとに連れて行ってやろう。

 そう思いながら喫茶店に入り、待ち合わせだと告げて、出入り口が見える四人席に座った。

 携帯電話で団体のホームページを読み出し、掲載されている代表の顔を確認し直した。

 ほどなくして、その人物が店に入って来た。写真で想像したよりもずっと長身で、スマートな印象だった。革靴にスラックス、青いワイシャツという出で立ちで、柔らかな雰囲気をまとっている。

 光弘が立って頭を下げてみせると、すぐに気づいて近づいてきた。

「シマオカ本社の松永光弘です。本日はお時間を頂きまことにありがとうございます」

「助け合いの会の代表をしています、おくやまともひとです。よろしくお願いします」

「どうぞ、おかけ下さい。暑いですから、冷たいものでも」

「お言葉に甘えます」

 奥山が店員を呼び止め、光弘と同じアイスコーヒーを頼んだ。

「渋谷の再開発を進めている会社の方からご連絡を頂いて、少々驚きました」

 穏やかに奥山が言った。

 表情も柔らかといおうか、透きとおっているという感じだ。牧師であるとホームページには書かれていたが、厳格な様子はない。想像していた以上の気さくで温かな笑みを浮かべられると、深刻な相談に来たわけでもない光弘ですら、頼もしい気持ちにさせられた。

「突然のご連絡にもかかわらず、ご対応頂き大変感謝しております」

「どなたかお捜しだとか」

「はい。今日、名前が判明したばかりでして」

 光弘は鞄からタブレットを出すと、地下の穴に横たわる原義一の顔と上半身だけを切り抜いた画像を表示させ、それを相手に見せながら、

「原義一さんとおっしゃいます。お見覚えはありせんか?」

 と努めて慇懃な調子で尋ねた。玉井工務店も原義一を捜しているであろうことを思うと、公平な調査のためにも、ここで奥山を味方につけておきたかった。

「はい。何度も炊き出しに来ていますし、手伝ってくれてもいます。教会で昼食が出ますので、そこでもお話をしたことがありますね。確か、奥さんが御病気で、施設にいるとか」

「ええ、そうなんです。その入所費を捻出したことで、財産を失ったようでして」

 奥山が深々と溜め息をついた。心から何かを嘆いている様子だ。ちょうどそこで飲み物が運ばれてきたが、すぐには手をつけようとせず、深沈とした調子で言った。

「とても生活ができないほどひつぱくしているにもかかわらず、生活保護を受けたくないという方が、ここ数年で、急激に増えました」

「え……それはなぜでしょう?」

「政治家とテレビです」

 耐えがたいほど嘆かわしいというように、かぶりを振りつつ、その二つを挙げた。

「というと……あ、はい。生活保護を、どう見直すか、というニュースをよく見ます」

「見直しなんてものではありません。ただ削減しているだけなんです。しかもそれに合わせて、あたかも生活保護を受けることが恥ずべきことであり、貧しいものには生きる権利すらないかのようなことを、ご立派な政治家がテレビで話すんです」

「はい……私もそうしたニュースを観たことがありますが、実際に影響が?」

「いたるところに影響が表れています。そんなことは、これまでなかったことです。路上生活者を排除しようとする動き自体は、珍しいことではありません。失礼ですが、御社の再開発でも、だいぶ居場所を失った者がおります」

「はい。存じています。担当の者が行政と相談して解決に努めていますが……」

「その行政が、生活困窮者を門前払いするようになりましてね」

「え──」

「それどころか、炊き出しや、厳寒期のシェルター提供ですら、敷地の使用を拒まれるようになりました。これまで黙認されるのが慣習だったのが、急に、と言い始めたのです。目の前で飢えて凍えている人々がいるにもかかわらず、ですよ。正規の手続きを求めても拒まれ、弁護士を同伴してようやく話を聞いてもらえる有様です。こんなこと、この日本であるなんて、と思ううちに、都内全域で──いえ、全国で、そのような風潮がまたたく間に広がっていきました」

「それは……存じませんでした」

「多くの方々が、まだまだ実感を持たれていないのでしょう。ですが、これまでも決して十分とは言えなかった公的支援が、まるで地震か何かで建物が崩れるように、壊れ始めているのを感じます。しかも、積極的に壊そうとしているのが、政治家やテレビであるということに、いずれ誰もが、絶望を覚えるのではと思えて仕方ありません」

「それほどの状況とは……思いもよりませんでした」

 本心では早く原義一の情報を口にしてほしいと思っていたが、いつの間にか少なからず同情心を覚えていたこともあってか、つい奥山に同調していた。

「政治家も、政権を取るために必死なのでしょう。しかしそのために、誰もが一斉に弱者を攻撃し始めたことには、とても懸念を抱かされます。しかもそうした弱者に、自己責任などと言うのですから。私が知る生活困窮者ほど、真面目に、必死に生きてきた方々はおりません。それでも、家庭の事情や、病気、怪我などで、どうしても生活が成り立たなくなってしまうんです。そういう方々を蔑むことが、なぜ危ういか? 結果的に、ずるくて悪いことをしてでもお金を稼ぐほうが偉い、と奨励することになってしまうからです。特に今、若い方々に、そうした傾向が広まっているのを強く感じます」

「はい。最近……なんでしたか。そう、半グレ、でしたね。そんな妙な呼び方をされる若者がいるとか」

 うろ覚えで光弘が言ったが、奥山はまたもや嘆かわしげにうなずいた。

「暴走族とも暴力団とも違う、何をするか予想のつかない若者たちが、ずいぶん増えました。若者の就労支援をされている方々と、よくお話をするのですが、むしろ暴力団よりも組織的になってきていると言っています。こうした現象は、結局のところ、公的支援の欠落を埋め合わせること、夢も希望も見いだせない人生を、どうにかしようとすることで生じてしまうのです。そしてこうしたことは、老若男女を問いません」

「はい……」

 光弘は、相手のいかにも誠実な嘆きに、あまり引きずられないようにしながら、沈痛な面持ちを作ってうなずいた。

 我が物顔で都内をかつし、犯罪や暴力沙汰を繰り返す若者たちのことなど、それまで興味を払ってこなかったが、一方で、金のために地下で鎖につながれる人間もおり、それらは支援が届かないという一点で同じことなのだと言われると、やけに胸に迫るものがあった。

 かといって、このまま相手の話を聞いていればいいというわけでもない。

「この、原義一さんも、奥さんが病気に冒されなければ、必死に働いた分だけ報われる老後が待っていたのでしょうか」

 光弘が話を戻そうとする意図を察してか、奥山が小さくうなずいて微笑んだ。

「そうかもしれません。ただ、ハラさんはむしろ、ご自身が置かれている社会的な状況をよくわかっていたようでした。あくまで生活保護を拒み……、自分たちのような人間に残された勤めが、一つだけあるといったことを、話されていたのを思い出しました。といっても、具体的なお仕事の話ではありませんが……」

「その、勤めとはなんでしょう?」

 光弘が尋ねると、奥山は、口にするだけで気が滅入るというような様子で、

「世のため人のため、人柱になる。そう仰っていたのです」

 と言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

骨灰 冲方丁/小説 野性時代 @yasei-jidai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ