古竜に乗って商売始めました

武田武蔵

第1話 始まり

 数百年前、ドラゴンと人間の間にある契約が結ばれた。人食いドラゴンにはそれに見合うだけの食物──ドラゴンは雑食であったのだ──を。その代価は、ドラゴンが人間に隷属すると言う事であった。今まで狩りをして生きていた彼らも、有り余る食物に瞬く間にその数を増やし、人間への服従に不平不満を感じるモノもいなくなっていった。

以降、契約は破られる事なく続き、今に至る訳である。……



 山間にある城下町の噴水前では、今日も市場が開かれていた。近くの森の中に棲むエルフたちが育てた野菜や、摘んだ薬草を使った傷薬、また、ドワーフたちの工房で造られた剣などが売りに出されている。その中で特質するのが、遠い港町からの新鮮な魚介類である。長い黒髪を後ろで束ねた商人は、声を張り上げ魚を売り捌く。その後ろでは一匹の銀色のドラゴンが、時折あくびをしつつ彼を見ていた。

 近年増えつつあるドラゴンを使った商人たちは、大陸の内陸部に位置する町や村に、その飛行する早さを利用し、今までは届く事のなかった捕れ立ての魚や貝を届けているのである。港町に住む者や、王公貴族のみ食されていた生魚が格安の値段で手に入ると、人々は大いに喜んだ。

 で、ある為、大抵は数刻で商品は売り切れてしまうのである。

「お魚さん、もうなくなっちゃったの?」

 広げた店の片付けをしている商人である青年に、悲し気な声で少女が問いかけた。

「ごめんよ、今日は売り切れになっちまったんだ。明日からはまたガーチスの旦那が来るから、もっと品揃えも良いぜ」

 と、少女の頭を撫で、青年は言った。

 ガーチスとはこの城下町やその周辺にて商いをする商人たちのギルドの頭取であり、彼自身もドラゴンを使った魚介類の販売を行っている。ドラゴンを何頭も従えており、その分店に並ぶ品も多いのである。ここ一帯で商売をする以上は、仲介料こそ取られはしないが、彼のギルドに名を連ねなければならない。

 例え、旅商人であったとしても。

「お兄ちゃんはもうここには来ないの?」

 ドラゴンの首に掛けられたカバンへと魚を陳列していた箱を入れ込む青年に、少女は尋ねる。

「また何年かしたら来るかもしれないな。その時はまた買いに来てくれよな!」

 ドラゴンにまたがり、彼は叫んだ。空へと消えて行く影をその瞳で追いながら、少女はスカートの裾を掴んだ。

 紹介が少し遅れたが、今飛び立った青年の名はキリルと言う。ある理由で──それはまた後ほど語る事になろう──故郷を追われ、根なし草の商人をしているのである。

「中々可愛い女の子だったじゃない」

 前方から、野太い声が聞こえる。

「嫉妬してる? ライナス」

 キリルは微笑した。

「ラナって呼んで。そうしないと振り落とすわよ」

 ライナスと呼ばれたドラゴンは、わざとらしく翼を斜め上へと持上げる。彼は身体はオスであっても、心はメスなのである。

「おっと、ごめんごめん、ラナ」慌てた風にキリルが取り繕い”ラナ”の産毛を撫でる。「今の俺にはお前が頼りだよ」

 するとラナは目を細め、

「まったく、この女ったらし」

 と、満更でもないように言った。

 既に日は傾き、天上には月が顔を見せ始めている。しかし向かう遠くの空は黒く染まり、雨を感じさせた。

 この分では、早く次の港町にたどり着かなけれはならない。

「少し急ぐぞ、ラナ」

 キリルは口早に言った。その言葉に、ラナは一度振り向くと、大きく翼を広げ羽ばたいた。

「掴まっていて。あと少しで着くわよ」

 風を切り、急降下する。近くに迫っていた港町の灯りが近付いてくる。

 町に設置された門の前の草むらに降り立つと、キリルは地に足を着けた。

「通行料、どのくらい?」

 ラナを連れ、門番へと話かける。鎧をまとったいかつい門番は片手をキリルに差し出し、

「人間は一人10オーロ、ドラゴン一匹75オーロ………」そこまで言いかけた時、彼は眉をしかめる。「銀の毛……あまり見ない種のドラゴンだな」

「れっきとした古竜よ。悪かったわね」

 と、ラナが門番とキリルの間に割り込み、低い声で言った。その声に哀れな門番は身を震わせ、

「ど、どどどうぞ……」

「ありがと」

 キリルから受け取った金を握りしめ門を開けた。


 ドラゴンを従えた商人用の部屋のある宿に着くと、待っていたかのように雨が降りだした。しとしとと降っていた雨は、やがて大粒のものに変わり屋根に打ち付ける。

 店主が用意したパンをかじりながら、キリルはため息と共に天井を仰いだ。雨が朝まで降り続くのならば、明日の漁獲量は期待できないであろう。幸い数日間分の金はある。しばらくこの港町に滞在するのも良いのかもしれない。

 それに、この辺りは既にガーチスの手の届かない場所なのである。明日にでも、新しい商人ギルドに顔を出さなければならない。座るラナに寄りかかり、キリルは目を閉じた。野原を揺らす風、小川のせせらぎ、エルフの棲む薄暗い森──浮かぶのは、懐かしい故郷の景色である。


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