第17話 旅の終わり
レン・ベンダーの町を発ち、故郷のある東の大陸へと向かう。大陸が近付いてくるたび、ラナの顔からは表情がなくなっていった。
「竜の谷から故郷の村まではどうやって行くの?」
たんたんと感情を殺したように、ラナは尋ねた。
「馬に乗って行くんだ」キリルは空をあおいだ。「実際馬の貸し借りのできる店が谷の近くにあるからな」
「──そう」
やがて、下の景色は海から陸に変わり、そうして谷が見えてきた。
「そろそろ降りるぞ」
キリルが言うと、ラナは黙ってそれに従った。
竜の谷は乾いた土が斜面を転がる谷間にある。そこへ降りると、粉塵が待った。
谷の入り口にある掘っ立て小屋が仲介業者のいる場所である。キリルは設けられた店番のいるカウンターに向かい、
「古竜を一年半。いくら?」
と、尋ねた。
「古竜なら4200オーロだな」
カウンター越しに男は話す。キリルは金を取り出し、支払うと、ラナへと振り返った。
「じゃあな。また新しい雇い主を見つけろよ」
「ええそうね。あなたよりももっと良い雇い主を見つけるわ」
これは大丈夫だな──そう思い、キリルが谷を上る階段へと足をかけかけた時であった。
「待ってよキリル!」背後から、泣き声にも似た叫び声が響いた。「嫌よ、もっと一緒にいたいわ! 同じ時間を過ごしたい。商売だけじゃなくて、冒険もしてみたいんだから!」
その声に耳を塞ぎ、キリルは階段を上る。
「ねぇ、待って! 置いていかないで、次の雇い主なんていらないんだから! あなたが私の唯一の雇い主よ!」
その声が聞こえなくなった時、キリルは谷を上がり終えていた。そのまま馬を借り、故郷の森へと急ぐ。
やがて森深くに行き着き、馬をとめてシエラの家の扉を叩いた。
「シエラ先生!」
と、声を張り上げる。
「その声は──キリル?!」シエラはおどろいたような声色で、扉を開ける。「お帰りなさい。さあ、中に入って」
と、頬笑んだ。
一歩足を踏み入れると、そこにはリーザと、歩けるようになった息子の姿があった。
「……リーザ」
キリルはリーザに近づき、その赤い唇に口付ける。そうして息子と共に抱きしめた。それからシエラへと向き直ると、
「実は、道すがら狂った者を治す魔法を見つけたんです」
「まぁ!」シエラは手の平を口にあてた。「でも、魔法の種はどうしたの?」
「隠れ魔道士の村から頂きました。詠唱する詩も教わっています──リーザ、君の心を取り戻すよ」と、キリルは詩を紡いだ。「汝、星の数より選ばれし娘。雪のように舞い、月のように歌え。闇の中も迷わぬように……」
そうして、すぐに魔法の種を割り、果汁を含ませる。それをリーザが飲み込み、しばらく時が経った頃であった。
「──キリル?」リーザの瞳から暗い影が消え、キリルの名を紡いだのである。「あれ、私、今まで領主様の部屋にいた筈なのに。なんで、シエラ先生の家に?」
「リーザ!」キリルは歓喜に声を弾ませた。「良かった、本当に!」
「私はどうしていたの?」と、リーザは傍らの黒髪の子供を見、「もしかして、アンドルー?」
「あぁ、俺たちの大切な子供だ。これからゆっくり育てていこう」キリルはシエラへと振り向き、「ずっと考えていたのですが、ここは村に近いでしょう。いっそ、旅に出ようかと考えています」
「旅に?」言ったのはリーザだった。
「あぁ。君を取り戻す為に旅をしていたんだ」
「出てみたいわ、キリル。そうして案内して。あなたの通った道を」
「そうだな」
答えながら、キリルはラナの事を思い出す。彼が良いというのであれば、また──今度はあてのない旅に連れていけるだろうか。
珍しい銀色の毛の古竜を連れた親子が旅をしているとアーサーが知ったのは、つい先日の事であった。あの時は喉から手が出るほどにそれを欲した為、召使いたちが情報を集めた。しかし、今はそうでもない。少年とは気まぐれなものである。
「お幸せに」
と、一言言うと、屋敷から下を覗いた。義賊ローランド逮捕の号外が飛び交っている。風で吹き飛んできた記事を手で丸めると、あくびを一つして、彼は身体を伸ばした。
end
古竜に乗って商売始めました 武田武蔵 @musasitakeda
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