第3話 ルネと言う男
キリルは目を開けた。まだ雨は降り続いているようで、絶え間ない雨垂れの音色が耳へと響いてくる。
「あら、起きたの?」
起きていたラナが首をかしげた。古竜はあまり眠らないのである。
「ん……」
覚めやらぬまぶたを擦り、キリルは息を吐く。
「ずいぶん幸せそうだったわよ」
「懐かしい故郷の夢を見たんだ」
「ふぅん」するとラナは前足でキリルの手首を掴み干し草のベッドへと押し倒し、「故郷の女の夢なんて見ていたら──食べちゃうわよ?」
「そんな事したら罪に問われるのはお前だぞ?」
キリルの長い黒髪が白いシーツに散らばる。雨の奏でる音が二人の間を通り過ぎた。
こうしてしばらく黙ったまま見つめあい、しびれを切らしたようにラナが前足の力を抜いた。
「冗談よ」
「それなら助かる──お休み」
気だるげにそう言って、キリルは横向きになった。干し草の良い匂いが鼻をかすめる。故郷の夢を見たのも、その所為なのかもしれなかった。
翌朝、キリルは宿にラナを残し商人ギルドへとおもむいた。雨は相も変わらず降りやむ事もなく、深く被ったローブを冷たく濡れさせた。
「えぇと、鮮魚専門のお商売ね」
カウンターに座る女性が、帳簿に彼の名を綴ってゆく。ギルドの中には雨の日であるのか人気はなく、ペンを滑らせる音が響いていた。
「仲介料はいるのかい? そうなら売り上げの何割を渡せば良い?」
「三割かしら」女性は笑顔を向ける。「売り上げの偽装はうるさいから、気を付けてね下さいね。それじゃあよろしく」
「こちらこそ」
踵を返し、キリルは答えた。
漁船の泊められている港に立ち寄ると、やはり漁に出ている船はなく、満ち潮に流されないようボラードに縄できつく結ばれている。隣接する市場も静まりかえり、どこか寂しさを感じさせた。
そのまま郵便局へと向かい、リーザの元へと仕送りをする。約350オーロと、簡単な手紙を宛てた。どれほど懺悔を重ねても、赦されはない罪を犯してしまった事は、いまだに彼の心に太い針を刺すのである。あの時行為を拒んでいれば、彼女は領主と共に幸せな人生を送れたのであろうか。少なくとも、気がふれてしまう事はなかったであろう。
「……リーザ。もう一度、君の笑顔が見たいよ」
郵便局から出、空を仰ぎ見る。いっそこの雨が全ての罪をぬぐいさってしまえば、どんなに楽であろうか。
宿へと帰ると、ずぶ濡れのその姿にラナが驚いたように目を見開いた。
「どうしたのよ、一体」
「少し考え事してたらこの様だよ」
ローブを壁に掛け、キリルは言った。
「風邪、ひかないでよ」
珍しくラナから不安気な言葉が紡がれる。
「わかってるって。それにローブを着てたから中はあんまり濡れてないしね」
キリルは干し草のベッドに寝転んだ。目蓋を閉じると眠ってしまいそうになる。夕食までの少しの時間だけ──それも良いのかもしれない。
雨はいつの間にか止み、キリルが目を覚ました時には夕刻に灯されたランプがばらまかれた宝石のように町中を包み込んでいた。彼はラナも連れ、ドラゴン連れでも歩く事のできる市場へと出かけて行った。
「綺麗……星の中に迷いこんだみたいだわ」
周りを見回しながら、ラナはうっとりと呟いた。市場には今日この町に着いたのであろうドラゴンを連れた旅人や同業者もおり、軽く挨拶を交わしつつ屋台で夕食を食べた。すると向かい側に座った同じくドラゴン連れの男が話しかけてきたのである。
「よう、葡萄酒でも分け合わないか?」
セピア色の髪の男は肘を付いた。胸元には宝石の付いた首飾りをしている。その傍らで、メスであろうドラゴンがにこやかに微笑んでいた。
「別に良いけど」
姿から見て商人ではなさそうである。キリルはこころよくうなづいた。
「おぉ、良かった。ありがとう!」
葡萄酒を一瓶頼むと、キリルのいる方へと向き直り、男は豪快に笑った。
「どういたしまして」
「ここいらの葡萄酒は美味しいと評判でな。だが一人だと中々一瓶空けられる自信がなかったんだ──あぁ、ありがとう」店員の運んできたグラスに葡萄酒を注ぎながら彼は言った。「俺はルネ。こっちは相棒のエレーヌだ」
「キリル。後ろにいるのがラナ。よろしく」
キリルはルネに倣いグラスを掲げ、
「出逢いに乾杯!」
と、葡萄酒を含んだ。あまり酒には詳しくはないが、確かに豊潤で飲みやすい葡萄酒であった。
「キリル、お前は何してるんだ?」
二杯目をグラスに注ぎつつ、ルネは問うた。
「しがない旅商人。あんたは?」
「俺? 旅人と言われりゃ旅人だな」
「何か含んだ言い方だな」
「疑うなよ、若いの」ルネは更に料理を追加注文する。「今夜は俺の奢りだ! 好きなものを頼めよ」
これが、義賊ルネ・ローランドとの最初の出逢いであった。
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