第10話 収穫月

 鳥の鳴き声で目が覚めると、キリルは昨日と同じ羽毛のベッドに寝かされていた。窓を見ると、既に朝日は昇り、朝市の終わりを伝えている。

「……つ」

 痛む頭をおさえ、キリルは起き上がった。

「あら、起きたの」

 寝床より顔を上げたラナが言った。

「無様だっただろ?」

 キリルは髪を掻いた。

 昨夜、ルネに支えられてこの部屋に入ったような気がする。否、夜市で飲んで彼に絡んだ記憶からして曖昧なのである。

「あなたの珍しい姿が見られて楽しかったわ」

「それはそれはご迷惑をおかけしましたぁ」

 と、思わず嫌味を言うと、

「ルネに言うべきよ」ラナが答えた。「あなたをここまで運んできた上に、ベッドにまで寝かしつけてくれたんだから」

「わかってるよ」キリルはため息を吐く。「いつかまた逢った時にするさ」

「今日もまだこの町にいるみたいよ。夜市で待ってるって伝言も預かっているわ」

「本当か?」

 と、キリルは声を弾ませた。

「もちろん」

 すました顔でラナは言った。どうやら、嫉妬するのは女に対してだけらしい。

 キリルはベッドに座り、立ち上がった。軽く背伸びをすると、筋肉が伸びる感覚がある。

「んん、よし」

 と、ひとりごちると、カバンを手に取った。

「どこに行くの?」

 ラナが尋ねた。

「商人ギルドと郵便局。一緒に来る?」

 するとラナは首を横に振り、

「じゃあ行かない。外で待ってて珍獣扱いはまっぴらだわ」

「入れないもんな。ここでゆっくり休んでいれば良い」

「そうさせてもらうわ」

 その声に見送られ、キリルは扉を開いた。

「お出かけですか?」

 受付の前に来ると、娘がキリルへと声をかけた。

「あぁ、ちょっとね」

「お食事はどうなされます?」

「昼はドラゴン用だけで、夜はいらない」キリルは答えた。「別に口が合わないとかじゃないよ。夜市で待ち合わせしているんだ」

「そうですか」

 娘はうなづいた。

 宿から出、空を見上げる。青い空に、長い雲が伸びていた。

広場まで歩き、ギルドへと足を向けた。中へ入ると、アリの姿はなく、マーニャと呼ばれていた老婆が植木に水をやっていた。

「あら、ごめんなさいね」良く見ると、そばかすのあるその顔は、ケイトと似ているように思えた。「──どうしたの?」

「いや、ちょっと知り合いに似ていて」

 腰を上げ、カウンターへと向かう彼女に続く。カウンター越しに向かい合うと、マーニャは言った。

「もしかして、ガルガニア図書館のケイトって女の子かしら?」

「知ってるのか?!」

 キリルが目を見開くと、

「ケイトは私の祖母にあたる人よ」マーニャは懐かしさに溢れた声を発した。「若くして母を生んで、私の姿を見る事なくガルガニア図書館の火事で命を落としているの。でもあそこは魔術書の魔法で永遠に変わらない場所。祖母はそこで今も生き続けているのねぇ──あら、私ったら」

「いいえ」

 売り上げ票をマーニャへと渡し、キリルはギルド内を見回す。指名手配の看板には、義賊ローランドの手配書が張られている。やはり世界をまたにかけているとは本当の事のようであった。しかし、微かな胸騒ぎはなんなのだろうと、キリルは疑問を抱いた。

 その時、

「お、キリル」

 と、アリが奥から顔を出した。会計でもしていたのか、タオルを頭に巻き、ペンを耳へと掛けている。

「よう、アリ」キリルは彼へと振り向いた。「会計か?」

「収穫月だからな。農夫やエルフたちが採れた野菜を売りにここまで出てくるんだ。例え年に一度の商売でも、その為にうちの土地を使うのは一緒さ」アリは肩をすくめて見せた。「俺が言うのもなんだが、うちは少数精鋭だけど、こう言う時には人が欲しいと思うね」

「そうか、頑張れよ」

「おぅ」

 そう言うと、彼は再び奥へと入っていった。

「はい、計算終わったわよ」

 請求書をカウンターへと滑らせ、マーニャが言った。

「ありがと」

キリルは書かれている通りの金を支払う。彼女はその手を握り、

「まだこの辺りの土地でお商売をするなら、また寄ってね」

 と、穏やかに言った。

「わかりました」

 キリルは頭を下げた。

 ギルドを出て、郵便局へと向かう。三ヶ月もなんの便りも出していなかった為、心配したシエラから手紙が届いているかもしれない。そんな事を思いながら、足は徐々に早くなる。最後に出した手紙には、南の大陸に行くと書いた。

テレパシー機能を持つワイバーンを使った事による郵便の情報網の発達により、私書箱を持っていれば、今はどの大陸にいても伝言や手紙を受け取り送る事ができる。息が上がるのを感じつつ、キリルは郵便局の扉を開けた。

「いらっしゃいませ」

 受付に座る女はにこやかにキリルを迎えた。

「キリル・ヴェロスの私書箱に手紙は届いてる?」

「少々お待ち下さい」彼女は帳簿をめくる。「三通ほど届いていますね。どれも同じ、ガルド地方から」

「すぐ読ませてくれ」

 受付カウンターから身を乗り出し、キリルは言った。

 手紙の差出人はシエラからであり、考えていた通り、安否の確認と日常の事であった。リーザは時折家事の手伝いもできるようになったと、したためられていた。

「急いで手紙と仕送りをガルド地方のシエラ・リエン宛に頼んでも良い?」

キリルは尋ねた。

「あ、はい。大丈夫です。こちらにお書き下さい」

と、女は羊皮紙とペンを差し出した。

「ありがと」キリルは受け取ったペンを羊皮紙へと走らせた。「──諸事情で手紙を送れませんでした、心配させてしまい申し訳ありません。こちらは心身ともに元気です。リーザも無事なようでなによりです。三ヶ月分の仕送りをします。建てる家の値段の他に、生活の足しにもなりますように」

 それから財布から1500オーロを取り出すと、手紙に添える。

「お願いします」

「では、お預かりいたします」

 女はこうべを垂れた。

 郵便局での用事を終え、町をふらりとしていると、人気のない、見るからに富豪の屋敷の前で、なにやら考え込む影があった。見覚えのあるその姿に、キリルは近づいて行き、声をかけた。

「ルネ!」

「うわぁ!」その声に、ルネはおどろいたような声を出した。「お、おう。キリルか」

「なにやってるんだ? こんな所で」

 すると彼はキリルの手を引き、物影へと身を隠した。そして、

「俺がここにきた事は誰にも言うなよ」

 と、耳元でささやいた。

「なんで」

「ほら、あそこに窓があるだろ? そこから時折顔を覗かせるこの家の娘に俺はぞっこんなんだ。でも俺は旅人だ、側に近づいて手の甲に口付けする事すらできねぇ。見ているだけで満足なんだよ」

 ──嘘だな。

そう思いながらも、キリルは話を合わせる事にした。面倒事に巻き込まれるのはごめんである。

「そうか、頑張れよ──あ、昨日はありがとう。助かったよ」

「礼を言われるほどじゃねぇ。じゃあまた昨日の店で待ってるぜ」

「わかった」

「今度は飲み過ぎんなよぉ」

 去って行く背に、ルネは声をかけた。……

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