主人公はひたすら、玉川上水緑道を歩く。歩き続けるうちに思い返すのは、少年時代の思い出、職場でのストレス、コロナ禍の圧迫感…いつしか小金井公園を通過して小平近辺へ。歩きながら通り過ぎて行く風景と、適度な休憩。絶妙のタイミングでいくつかの回想が語られ、ちょうど歩くペースに合わせているようでテンポがよい。読み手としても、主人公と一緒に軽く汗ばんでいる気分になる(そういえば今日はちょっと暑いな)。終着点で、主人公のもとに飛び込んできたのは…。ただただ歩き続けるうちに、日々積み重なったイライラも、いつしか玉川上水に流れ行く。密を心配しなくても、ひとりでできるリフレッシュ。さ、明日からがんばろう。
この作品は主人公が玉川上水緑道を歩くお話です。展開自体はそれだけ。にも関わらず、あっという間に読み終えてしまうほどひき込まれる作品です。
もちろんただ歩くだけではなく、主人公の色々な葛藤が歩きながら提示されます。その葛藤、そのエピソードはまるで読んでいる自分がその境遇にいるかのように錯覚するほどリアルに描かれています。自然と自分自身を主人公に重ねて読んでしまい、アンニュイながらもどこか落ち着いた気持ちにさせてくれるのが魅力的です。
また軽妙洒脱な文体も、そのひき込まれる要因の一つでしょう。リズムのよい文章は驚くほどスルスルと頭の中に入ってきて、文字を追っているだけでも爽快感を味わえます。
情景描写が分かりやすく丁寧で、主人公と歩いている気分を味わえました。訪れたことのない場所なのですが、自分が見たことのある風景に重ね合わせて、懐かしい気持ちになりました。
主人公の一人称「俺」の視点で物語が進んでいくのですが、自分は何歳だとか、名前は何々だとか、基本的な情報説明が書かれていないので、それが逆に、直接主人公と自分を重ねて、感情移入することを促しているのではと思いました。
最後のオチも、よく分からないけど何だかいい話で終わらすのではなく、また月曜日になれば、日常が淡々と続いていくと感じられるもので、リアリティがありました。
仕事の鬱憤を晴らすために、一歩一歩リズムを取って歩き、週末に上手く自分で消化していく、日常生活に戻り、また前を向いて歩んでいく。その繰り返しが人生なんだろうなと思い出しました。