30-4

 俺の本当の父は六年前に他界した。禄が大学を卒業するのを見届けて、自らの役目は終わったとばかりに心筋こうそくであっという間にってしまった。

 ある程度墓の周りを片付け、墓に水をかけてやると、二人で花を供え線香を上げ墓前で手を合わせる。周りに大きな建物もなく、うなじに照り付ける日差しがじりじりと暑い。額の汗を手でぬぐいながら立ち上がる。

「そういや、禄は元気?」

 禄とはしばらく会っていない。水村から送られてくる写真を見るたび、随分大きくなったなあといつも思う。俺の中の弟のイメージは、いつも俺にまとわりついて、俺とけんして泣きわめいて、布団を並べて眠りに就いて、そんな頃の姿ばっかりだ。

「元気に忙しくしてるみたいよ。なんかもう仕事が楽しくてしかたがないって感じ。私には理解できないわあ」

「あいつもいい加減落ち着けばいいのに」

「まあまだ二十八だもん。兄貴だって落ち着く気配ないわけだしね」

「確かに、それもそうか」

 はは、と水村が乾いた笑いを浮かべる。禄の話をするときの水村は、いつも少しばつが悪そうな表情を見せる。仲が悪いというほどでもないらしいが、ほとんど連絡を取り合うこともなく、年末年始に顔を合わせるくらいの交流しかないらしい。幼い頃よく懐いてくれていた禄の姿を知っている俺としては、その不干渉ぶりを耳にする度なんだか少し寂しい気持ちになる。それを水村も分かっているから、そんな顔をするのだろう。

「立派に親不孝させていただいてますよ。その点坂平くんはすごいよ。なんていうか、まっとうだなって感じがする」

「別に、結婚とか子供とかだけが親孝行ってわけでもないだろ」

 そうかなあ、と困ったように笑う。そんなやり取りをしながら寺へ桶と柄杓を返しに行き、そして車へと向かう。

「それじゃあ、親孝行で肩たたきでもしに行こうかな。お願いできますかね、運転手さん」

 お安い御用です、と恭しく頭を下げてみせる。

 水村はいつも肝心なことを言わない。だから水村が何をどう思っているか、俺はほとんど知らない。自分の生き方に疑問を持っているのかもしれない。俺の父に孫の姿を見せられなかったことを後悔しているのかもしれない。結婚しないのにも何か理由があるのかもしれない。でもそれは俺が水村の言動の端々から勝手にそう思っているだけで、そんなことちっとも考えていないのかもしれない。

 何も言葉にしないのは、水村なりに気を遣っているからなのだろう。でも、それはなんかずるいなと思う。俺は水村がいてくれなければ、この体で十五年生きていくことはできなかった。でもきっと水村は違う。俺がいなくても、坂平陸という男として充分生きていけただろう。

 水村まなみという女は、そういう人だ。強くて、ずるい人だ。


 俺の生まれ育った家はもうない。中学生の途中で越してきて、家族四人で身を寄せ合って過ごした狭い団地の一室だったが、それなりに思い入れはあった。けれど息子が二人とも東京へ行き、夫を亡くした俺の母は一人でそこで過ごすことを嫌がり、アパートの一室を借りて暮らすようになった。昔から働いていた蕎麦そば屋でいまだ細々と働いているらしいが、今の母の他人との交流はたったそれだけだ。古いアパートの部屋で、ぽつんと一人で寝食をする母の姿を想像すると、どうにも居たたまれなくなる。

 水村もそう思ってくれているのか、盆正月や長期の休みの時など頻繁にこっちに帰ってきているらしい。水村だって忙しいのに、ありがたいことだ。

 アパートの前に着く。着いたよ、と言うと、助手席の水村がじっと俺の顔を見つめてくる。

「なんだよ」

「坂平くんも、いっしょに来る?」

「馬鹿言うなよ」思わず鼻で笑ってあしらってしまう。我ながら感じが悪い。「行くわけないだろ」

 そっか、と水村が小さく返す。じゃあ行ってくる、ありがとね、と言うと助手席を出て、後部座席の荷物を肩にかけると、アパートへ向かう。

 車からは母の住む部屋のドアが見えた。二階の一番端っこ。階段を上った水村が、その部屋の前に立つ姿が見える。そしてしばらくして、ドアが開く。水村の陰になってそのドアの向こうは見えない。水村が部屋に入っていく瞬間に、ちらりとシルエットが見えた。遠目だからよく分からないが、なんだかまた背が小さくなったような気がする。

 もしかしたらもう二度と母と会うことはないかもしれない。父が死んでから、そう思うようになった。老いていく母の顔も声も、俺は多分知らないまま終わる。

 東京へ出て行くとき、覚悟はしていたはずだった。これが今生の別れになるかもしれないと。でも現実はそんな甘い覚悟を悠々とりようする。だってこの期に及んで俺は望んでしまうのだ。父と母と弟と、あの団地で食卓を囲んで笑い合うことを。とんでもない絵空事だ。その夢の中ではみんな、十五年前の顔をしている。そして俺は、坂平陸としての時間は十五年前で止まってしまっているという事実を、ただただ突きつけられるのだ。

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【受賞作大量試し読み】君の顔では泣けない KADOKAWA文芸 @kadokawa_bunko

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