エピローグ

第65話 風の戦闘機

 マリアナ沖海戦から二カ月ほどが経った昭和一九年八月一五日、日本と米国は講和交渉においてその合意に至り、二年九カ月近く続いた戦争は終わりを告げた。

 もちろん英蘭をはじめとした他の連合国とも同時に講和に至っている。

 しがない下級士官の俺には一連の講和交渉の舞台裏で何が起こっていたのかは知る由もない。

 だが、首相爆殺事件をはじめ少なくない政治家や高級軍人らの事故死や不審死が相次いだことから相当に生臭い暗闘があったのだけは想像が出来た。


 その講和交渉において連合国が日本に出した条件は破格だったという。

 中国からの段階的撤兵とこれまでに占領した連合国の植民地の返還だけで、賠償金は一切発生しないというものだったらしい。

 米英からすれば、もし日本との講和交渉が決裂し、その日本が第一機動艦隊を欧州へ派遣すればその時点で英国の命運は尽きる。

 もし英国が戦争から脱落すれば欧州解放という米国の欧州大戦に参加する大義名分は大きく毀損され、米国民の厭戦気分は一気に高まる。

 そのことで、下手をすれば米国は戦争から手を引かざるを得なくなる。

 ただでさえ、西海岸は日本軍の侵攻を恐れる住民らの間でパニックが広がっているのだ。

 米英にとって日本との講和は英国の生存、それに米国がドイツとの戦争を継続するためには避けては通れない道だった。


 一方で、日本側に目を移せば、この先も米国と戦い続ければ日本が一〇〇パーセント負けることを知る講和派の政治家や軍人らが米英から切り出された講和の提案に飛びつかないはずがなかった。

 もし仮に、米国が英国脱落後も枢軸国と戦うことを決意していた場合、この機会を逃せば間違いなく日本は滅ぶ。

 講和派の軍人や政治家らはそう考えた。

 今なら少ない犠牲で済む。

 だから、継戦派相手に手段を選んでいる場合ではなかった。

 そして、実際に講和派の連中はかなり汚い真似をしたらしい。

 噂によれば連合国、特に英国の息のかかった連中がそのアドバイザーとなり、時には実行部隊にもなったという。


 だが、最後まで日本国民にその真相が明かされることはなかった。

 それと、新聞もいつの間にか継戦から講和へとその論調を変えた。

 一説には継戦派の新聞社や出版社には当局が伝家の宝刀である紙の配給制限を発動したからだとも言われていた。

 そうなってしまうと新聞社や出版社は当局の意に沿ったものしか書けなくなる。

 そして、マスコミに影響されやすい単純な日本国民が継戦派から講和派へ宗旨替えするのもあっという間だった。


 真実は分からない。

 俺の同期が想像だと断ったうえで、そう言っていただけだ。




 日本が連合国と講和してからちょうど一年となる昭和二〇年八月一五日、ドイツの無条件降伏によって長かった戦争は終結した。

 日本の裏切りとイタリアの脱落にもかかわらず孤軍奮闘していたドイツだったが、残存戦力をすべて欧州へ振り向けることが可能になった米海軍とさらにほとんど無傷を保っていた米陸軍、それにインド航路の復活によって息を吹き返した英国、さらにペルシャ回廊の再開やベーリング海経由による物資の補給によってゾンビのごとく蘇ったソ連に包囲されてはいつまでも優勢に戦いを進めることは困難だった。

 とどめとなったのは「狼の巣」に投じられた二発の新型爆弾だったという。

 このことでドイツ総統をはじめとした国の最高権力者たちが一斉にこの世を去った。

 弱体化が著しく、そのうえ国家指導層を一挙に失うという未曽有の混乱が起きてしまっては、もはやドイツに国家として組織的に戦う力は残されてはいなかった。




 大排気量発動機がもたらす膨大なトルクが機体をぐんぐん前に引っ張る。

 その小柄で太い機体は見た目とは裏腹に運動性能も悪くない。

 後ろをちらりと振り返ると列機の杉田飛曹長がいつもの位置につけている。

 俺の機体との距離、高度差ともにいつものそれと同じで、まったくブレがない。

 わが部下ながら恐ろしい技量だ。

 その列機の神業にぶるっていたら、前方に空母「瑞鶴」が見えてきた。

 乗り慣れた母艦ではあるが、あの飛行甲板に張り出した艦橋は相も変わらず気になって仕方がない、というかはっきり言って嫌いだ。

 しかし、軍人がやたらと好き嫌いを口にするものではないし、まして俺は「瑞鶴」戦闘機隊長であり大尉だ。

 男は黙って着艦だ。

 杉田飛曹長に航空無線で着艦すると告げ、俺は降下を始める。

 大直径発動機を持つ俺の相棒の頭はとってもでかい。

 要するに前方視界はあまり良くない。

 だから、少し伸びあがって「瑞鶴」の飛行甲板を見据える。

 翼面荷重が大きいから降着速度もこれまでの機体よりメチャクチャ速い。

 それゆえに着艦の難易度の高さはこれまでの戦闘機の比では無い。

 しかし、それも俺にとってはどうということはない。

 艦尾をかわり「瑞鶴」に着艦。

 見事に三番索を引っ掛ける。

 離着艦技量だけは素晴らしいと褒められる(泣)俺の唯一の見せ場だ。

 続けて杉田飛曹長も着艦態勢に入った。

 彼については見なくても分かる。

 俺と同じく軽々と三番索をつかむだろう。

 彼は俺なんかと違って空戦技量も海軍中でトップクラスだ。

 他の連中からは頼りがいのあるいい部下を得たなどとうらやましがられるが、出来のいい部下を持つ不出来な上司の気持ちとしては少々複雑だ。


 その俺と杉田飛曹長が操る機体は「六式艦上戦闘機」と呼ばれ、「陣風」という通称を持つ。

 今では陣風の方が通りがいい。

 これまでの機体と同様、風の名を持つ戦闘機だ。

 その陣風は前世代までのそれとは違い、国産ではなく米国製だ。

 本家本元の米国ではF8Fベアキャットと呼ばれているらしい。

 全長八・四メートル、全幅一〇・八メートルのそれは、烈風改に比べてずいぶんとコンパクトになったが操縦席周りが広いので乗り心地はむしろこちらの方がよかった。

 だが、コンパクトなのは見た目だけで、重量そのものは烈風改よりもずいぶんと重いから離着艦はそれなりの腕を要求される。

 そして、その機体を引っ張るのは大直径大排気量のR-2800-34Wだ。

 馬力は木星とさほど変わらないものの、故障知らずのそれは搭乗員にとってはなにより有難い安心安全の信頼性の高い心臓だった。


 陣風から降りるのを手伝ってくれていた発着機部員が飛行長が俺を呼んでいると教えてくれた。

 なにも深く考えることもなく出頭した俺に、飛行長は「陸軍の六式戦闘機のことは知っているか」と問うてきた。


 「知っていますよ。確かP51、陸軍では『旋風』と呼ばれているアメちゃんの機体ですよね」


 俺は世間話でもするかのように軽くこたえる。


 「その通りだ。実は陸軍はほんとうならば対地支援能力の高いP47が欲しかったらしいのだが、やたら高価なのでそれをあきらめてP51の導入を決めたらしい」


 P47という言葉を聞いて、俺はオアフ島沖での嫌な思い出が蘇ったがそしらぬ顔で飛行長にその先を促す。


 「つまりだ、陸軍の少佐殿がお前さんをご指名で海軍の陣風と陸軍の旋風の模擬空戦をやりたいと申し込んでこられたのだ。件の陸軍少佐はマリアナ沖海戦の際にサイパン防衛でたいへんお世話になった海軍にとっては恩人でもある方なんだ。だからすまんがひとつ相手をしてやってくれんか」


 その言葉を聞いて俺はげんなりした。

 開戦前に一式戦と二式戦、そして戦争が始まってからは三式戦を相手に模擬空戦をやったことは今でも鮮明に覚えている。

 そのときどきで俺は買わなくてもいい恨みを陸軍関係者らから買うはめになってしまったのだ。

 今でも時々、そいつらの怒りと憎悪に満ちた顔が夢に出てくることがある。

 軽いトラウマだ。

 その原因をつくった連中と言えば・・・・・・


 「貴官とともに模擬空戦に参加する者も間もなくこちらにやって来るはずだ」


 飛行長がそう言うのと同時に三人の士官が入室してきた。

 見慣れた顔。

 あるいは腐れ縁。

 武藤少尉と岩本少尉、それに西沢少尉の三人だった。

 三人ともニヤニヤ笑っている。

 俺は飛行長の前だというのにもかかわらず盛大なため息をついた。

 戦争が終わったというのに、またひとつトラウマが増えそうな予感がした。



 (終)


 最後までお読みいただきありがとうございました。

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風の戦闘機隊 蒼 飛雲 @souhiun

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