第64話 連合国首脳
マリアナ沖海戦の敗北は米大統領ならびに海軍首脳を極めて危うい立場に追い込んでいた。
正規空母と軽空母が合わせて一六隻、それに戦艦二隻と軽巡一二隻、さらに駆逐艦に至っては五六隻を擁する米第三艦隊があえなく全滅してしまったのだ。
そのいずれもが最新鋭艦と言って差し支えない精鋭部隊のはずだった。
だがしかし、空ではF6Fヘルキャット戦闘機が烈風改に惨敗を喫し、海上では「アイオワ」と「ニュージャージー」が日本の巨大戦艦の前に屈した。
海中の戦いにおいても米潜水艦が戦果を挙げることが出来なかった一方で日本の潜水艦のほうは補給部隊とその護衛艦艇の多くをマリアナの海中奥深くへと葬っている。
空母や戦艦といった主力艦だけでも一八隻、これに巡洋艦や駆逐艦、それに護衛空母などを含めると一〇〇隻以上もの海軍艦艇がたった一度の海戦で失われた。
さらに艦艇以上に深刻だったのが将兵という何よりも貴重な人材の損失だった。
ウェーク島沖海戦とマーシャル沖海戦で失った将兵にかわる人材をやっとのことで育て上げ、そして雪辱を期してマリアナ沖海戦に臨んだものの、同海戦の大敗によってまたも将兵大量喪失の憂き目にあってしまったのだ。
そのせいか、同海戦の直後から米海軍では辞職願を出す者が続出している。
こうなることを恐れていた合衆国政府ならびに同海軍は、マリアナ沖海戦の損害が判明すると同時に関係者にかん口令を敷いた。
しかし、そのあまりの負けっぷりと被害の大きさからその全容を完全に隠匿することはかなわず、今では合衆国国民のすべてが知るところとなっている。
そのことで、現在では海軍に志願する者もほとんどいなくなり、現役将兵の中には太平洋への配属をおおっぴらに拒否する者まで現れている。
その米海軍内では現在、日本海軍に対する恐怖が将兵の間でまん延していた。
マリアナ沖海戦で米第三艦隊が壊滅したのに対して日本艦隊の側はただの一隻も失っていないというのだ。
これはよほど科学力が隔絶していない限り起こり得ることではなかった。
日本軍は米国の知らない何か特殊な兵器を使っているのではないか。
疑心暗鬼にとらわれた米海軍将兵の間では同海戦の敗北の原因が究明できるまでは日本との戦闘を控えるべきだという声が日に日に大きくなっている。
そして、現在ではそれは大きな広がりをみせ、米海軍将兵によるストライキまで噂されるようになった。
この動きに慌てたのは合衆国政府と軍首脳だった。
かつて英国ではUボートによるあまりの被害のために船員組合がストライキを画策したことがあった。
それでも、このことはある意味においては民間の一業界団体の問題にしかすぎない。
しかし、代替の一切きかない国を守るための暴力装置である海軍将兵のストライキは国家の存亡に直結する。
そのうえ今は戦時なのだ。
すでに米海軍将兵の士気もモラルも地に落ちている。
順調に建造が進む軍艦とはうらはらに、それを操る人間は決定的に不足していた。
米大統領は政治の表舞台では防戦一方だった。
野党はマリアナ沖海戦の敗北の原因を大統領と海軍首脳の戦争指導に求めた。
米大統領も本音では「日本強すぎます」とか「合衆国海軍弱すぎます」と言いたいのだが、立場上そんなことは口が裂けても言えない。
その米大統領を何よりも悩ませていたのは西海岸で再燃したパニックだった。
西海岸の住民にとって日本艦隊は恐怖そのものでしかなかった。
三度目の大敗北となったマリアナ沖海戦では日本の艦隊は米艦隊と同様に十数隻の空母、それに数隻の戦艦を保有していた。
その中には「ニューメキシコ」級や「アイオワ」級を屠った巨大戦艦も複数存在するという。
母艦航空隊も極めて優秀で、米軍の艦上機はまったく歯が立たなかったらしい。
そのような話が尾ひれをつけて、しまいには日本の軍艦は沈めても沈めてもまた浮き上がってくる不沈艦だというような噂まで飛び出していた。
米大統領が苦境に立たされていたころ、英首相は軍情報部から衝撃的な話を聞かされていた。
ドイツが日本の第一機動艦隊の欧州への派遣を要請しているというのだ。
先日のマリアナ沖海戦の結果は当然のことながら英首相の耳にも届いていた。
米国は正規空母と軽空母を一度に一六隻も撃沈され、そのうえ同海戦で失われた戦闘艦艇は一〇〇隻を超えるという。
当面、米海軍は大西洋で船団護衛にあたっている一部の部隊を除いて使い物にならなくなったとみてよかった。
なるほど、確かに正規空母や巡洋艦、それに駆逐艦は続々と竣工している。
艦艇建造は順調そのものだ。
しかし、それに乗せる人材がマリアナ沖海戦の大敗によって完全に枯渇してしまったのだ。
それどころか、現在では生き残った海軍将兵らの間でストライキに打って出る動きさえあるらしい。
この動きに対して英首相が出来ることはほとんど無い。
完全に米国の国内問題だからだ。
しかし、万一米海軍の将兵がほんとうにストライキでも起こそうものならその時点で英国の命運は決まる。
英国にとって唯一残された生命線である英米航路は米海軍の協力無しではその維持が不可能だからだ。
それと、もしドイツが企図するように日本の一機艦が欧州に乗り込んでくるようなことがあれば、その時点でも英国は終わる。
英国近海、あるいは大西洋で日本の機動部隊に暴れられても英海軍にそれを阻止する力は無いからだ。
英海軍が持つ正規空母は四隻の装甲空母を除けばあとは「フューリアス」だけだ。
自分たちよりも遥かに強大な戦力を誇ったはずの米第三艦隊が一隻も敵艦を沈められずに壊滅したのだ。
その米第三艦隊より格段に力の劣る英艦隊が一機艦とまともに戦えばどうなるかなど考えるまでも無かった。
それに、そうなればドイツやイタリアも黙ってはいない。
北海の女王「ティルピッツ」や地中海の覇者「ヴィットリオ・ヴェネト」それに「リットリオ」も間違いなく一機艦に呼応して出撃してくるはずだ。
「詰んだ・・・・・・」
英首相は一瞬そう思った。
海上交通路を完全に封鎖され、飢え死にを避けるためにドイツの軍門に下る英国の姿が想い起こされた。
だが、次の瞬間に違う思いが脳裏を駆け巡った。
まだ、英国が生き残る手段は残されている。
日本を仲間に引き入れるのだ。
あるいはそれが無理でも戦争からお引き取り頂く。
日本人は幼稚で単純な国民だ。
うまくあやせば何とかなりそうだった。
しかし、それは米国と日本が講和に至ることが絶対条件だ。
そして、それを実現させるためには日本に対して大幅な譲歩が必要なこと、そしてそのことに対して米大統領への説得が困難を極めることも英首相は理解していた。
だが、必ずそれを成し遂げなければならない。
そうでなければ英国は破滅する。
英首相は思う。
今こそ英国が長年培ってきた謀略という人類最高の叡智を最大限に生かすべき時なのだと。
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