あとがき

 * 2013年3月17日付の「あとがき」をもとにして、一部書き加えました。「近況ノート」と重なるところがあります。


 お読みいただきましてありがとうございます。

 『荒磯の姫君』はまだまだ続きますが、とりあえず、真結まゆいが「次の頭」を引き受けたところでひと区切りです。


 私は海から少し離れた街で生まれました。海まで行くのに電車で一時間以上、しかも「泳げる海」まで行くのはそこからさらに一時間以上もかかるという場所でした。だから、子どものころには、「海に泳ぎに行く」というのは、私の両親から、ときには親戚まで巻きこんだ一大イベントだったのです。

 したがって、私が大きく、生意気になって、家族旅行に行かなくなると、自然と海で泳ぐ機会もなくなりました。いまでは海辺に行くことさえめったにありません――かというとそうでもなくて、東京の有明の海辺にある巨大施設には年に数回行っていますね。

 でもあれは「海辺に行く」というのとはちょっと違いますから。

 ま、海辺ですけど。

 一時期はそれでも帰りは水上バスをよく使っていて、東京は「水都」だと実感する、などとうそぶいていたのだけど、コミティアで撤収作業に途中まで参加していると水上バスの時間に合わないんだよね……。

 そして、2020年以来、ついに、その場所での同人誌即売会にサークル参加しない、という状態が続くようになりました。

 来年(2022年)には復帰したいと思っています。

 よろしくお願いします。


 幼いころの私が初めて行った海は大きい入り江の遠浅の海でした。

 海は青いというより緑色に見えました。ろくに泳げなかった私は「一〇一匹わんちゃん」の浮き輪につかまって泳いでいました。くらげに刺されるのは痛くて怖かったけれど、海に出たいという欲求はそれを上回っていました。

 そういえば、この物語の登場人物たちはくらげに刺されたりしないのかな? すっかり忘れてた、くらげのこと(くらげファンのひとごめんね!)。

 海水浴場から少し行ったところには船着き場があり、そこの海はわずかに青い色で澄みとおっていて、水底の大きな石が揺らいで見えました。そこから出帆したヨットが海の向こうに見えなくなるのを見て、私はなんとなく「もっと遠くに行ってみたい」という気もちになりました。

 SFの始祖の一人とされるフランスの作家ジュール・ヴェルヌは、子どものころ、親に無断で海外航路の船に乗り込み、次の寄港地ではるばる追ってきた父親につかまって連れ戻された――という話があります。そして父親にこっぴどく叱られ、「これからは想像のなかでだけ冒険します」と誓った。そして大人になって冒険小説の作家になったとか。

 ヴェルヌと較べられるはずもありませんが、私も、そのとき感じた「遠くに行ってみたい」というあこがれのずっと先で、いまでもこうやって物語を書き、そしてここ(即売会場)でこうやって本を売っているのだろうと思います。

 ま、こないだ若い人に聞いたところによると、そのヴェルヌの幼少時のエピソードは伝記作家が作り上げたフィクションなんだそうですけどね。


 この物語は、二〇一一年六月に福島県の郡山で開かれた「創作旅行」に出す新刊として書き始めたものです(※現在の「みちのくCOMITIA~創作旅行~」です)。

 そのときには、この物語を書くことが無謀な試みだということには気づいていませんでした。

 書き始めて、だいぶ経ってから、やっと、この物語を書くには、漁村や漁業について、また、江戸時代についての知識が必要だと気づきました。途中で書くのを中断し、知識を仕入れてから書こうとも思ったのですが、すでに設定とあらすじは作っていたのですでに遅く、けっきょくまったく考証しないまま最後まで書き上げました。

 したがって、この物語には、現実に照らすとおかしなところがいくつもあります。

 たとえば、この物語では海鼠なまこは海女漁(潜水漁)で獲っていることになっていますが、海鼠は砂地にいるので底引き網で獲るらしい。では海女漁では獲らないのかというとよくわからないのですが。私は海鼠は触るのはもちろん、見るのもいやなんで、食べるのもあんまり好きではないのですけど――でもこれは個人の好みです。見るのも食べるのも好きな人はどんどん海鼠とつき合ってください。

 いや、それより、ここに出てくる赤海鼠(遺伝子解析したところ、赤海鼠とほかの色の真海鼠まなまこは別の種類らしいのだそうです)は、夏は「夏眠」というのをやって岩の奥に引っこんでしまうので、この物語の季節である夏の獲物にはならないらしいのですが。

 たしかに店頭で海鼠の姿をよく見かけるのは冬の寒い時期ですね。赤、青、黒といろいろな色の海鼠が店頭に登場します。

 また、この物語では、水中眼鏡のない時代に海女が海水中で目で見て(「素目」というそうです)獲物を探していることになっていますが、これはかなりきついはずで、実際には水面に油を垂らして水中を見やすくし、獲物のいる場所の見当をつけて目をつぶって潜っていたらしい。でもこれも素目の漁がまったくなかったかというと、よくわかりません。

 その後、板ガラスを使った「箱眼鏡」が登場し、そしてウェットスーツでの漁が行われるようになりました。

 さらに、海女は子どものころから年長者に技術を仕込まれるので、この物語に出てくる「娘組」「大人組」のような年齢別組織になっているという実例は、私の調べたかぎりではないようです。実地で調べたのではなく、本を何冊か読んだだけですけどね。

 江戸時代の制度についても、「参勤交代があるので藩主は二年に一年は江戸在住、妻子は常時江戸在住」という基本的な事実を忘れていました。さすがに「この世界では参勤交代はないのでお殿様は常に国許在住です」ということにはできないので、あとからつじつまを合わせました。お姫様をめぐる家族関係がやたらと複雑なのはそのせいです。

 すみません……。


 書き始めたときには短い物語で終わるはずだったのですが、けっきょく、コピー本としては分厚い百ページ前後の本三冊となり、一年以上の時間をかけて、二〇一二年九月にようやく完結させることができました。

 これからもこの物語は続きます。引き続きよろしくお願いします。

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荒磯の姫君(上) 清瀬 六朗 @r_kiyose

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