その音は聞こえない 後
避けたいのに、なんでこの能天気そうな顔が目の前にあるのか。
「ハルー。昼メシもう食った?」
昼休み。堂々と自分の違う教室に入ってきて、窓際でひとり大人しく昼飯を広げていた僕の机の横に海斗はしゃがみ込む。
「……見てわかる通り、今食べるとこ」
「なあ、ちょーっとだけでいいんけどさあ……」
そういって海斗の目が、僕が持っている手元のパンに注がれる。
大げさにハアと溜息をついた。
「また早弁して食うもんないのかよ」
「購買、もう売り切れちゃってさあ。ちゃんと後で返すから。ちょっとだけわけてくれない? このままじゃ部活までに腹減りすぎて死んじゃう」
はは、と明るく笑う海斗。たまにこうやって僕の昼飯を奪いに来る。
もっと強く拒絶してもいい筈なのに、これが惚れた弱みというべきか。結局海斗に甘い僕は断り切れない。コイツがきてもいいように、わざと一個多めにパンを買っているんだから、僕もあきらめが悪い。
「はあ。わかったよ、じゃあコレ……」
「なにー? 海斗くん、お昼ないのー?」
予備のパンを渡そうとした時に、クラスメイトの女子が声をかけてくる。
海斗は目立つし、交友関係も広い。なによりモテる。
僕は伸ばした手を引っ込めた。
「じゃあ私のお弁当、わけてあげよっか? 多く作り過ぎちゃって」
手作り弁当のアピールも忘れないとは、売り込みがちゃっかりしている。
愛嬌があってかわいくて、ちょっと胸が大きめの女生徒。かわいい子からの提案ならそっちを受けとるだろう。それで海斗は僕が望んだとおりに、離れていく。
それでいい。そう思うのに、ズキンと心臓を刺される音が、聞こえた気がした。
「んー? あー、ありがと。でもオレ、ハルからほしいから」
ニコっと海斗は笑った。そして大きな掌が僕の手元に向かってくる。
ぎゅ、とつかまれる手首。
瞬間、耳元でパリンという音。
さらに、そのひび割れる音の奥に――。
「いただき」
パク。と持っていたパンを大きな口で一口食べられる。
手に残されたのは、食べかけのパン。
「さんきゅーな」
「……え。あ? うん」
手が離されたことで音は止んだけど、残響が耳奥で響く。
ガラスが割れる音のさらに奥に隠れて、ひそかに聞こえた音。
トントントンと、少し速いビートを刻むドラム音。
イヤな感情ではなくて、いい感情なのかと言われると難しい。聞いたことがあまりない。焦ったような、緊張したような、そんな音。
いまのは一体なんだったんだ。
「あ、そうだ。土曜にバスケ部の練習試合あるんだけど、オレ出ることになったから見に来ない?」
「……えっ? あ、あー……イヤ、バスケとかわかんないし」
残響をふりきって海斗を見る。だけど視界にはいったのはさっき話しかけてきた女子。隣には新しい子までいる。
「……だから、僕以外のやつに応援してもらえよ」
「なんでだよ。オレはハルに来てほしいのに」
なんでだよ、はこっちの台詞だ。なんだそれ。なんでわざわざ僕なんだよ。もっと他にいるだろ。
ホラ、たとえば今、話しかけようとする女子たちとか。
「なになに、海斗くん、試合出るの?」
「すごいじゃん! さっすがバスケ部のホープ!」
手作り弁当女子のほかにクラスでも目立つキレイな顔をした女子がまざってくる。
「あー、別に向こうの一年も出るからっていうあれだし。ただの親善試合みたいなもんだよ」
「あたしたちも見に行っていい?」
きゃっきゃっとはしゃぐ声。海斗はこういうのに慣れてるせいか、おざなりにあしらっている。
だけど海斗に似合うのはこういうのだ。
愛想もなくてヘンな音を聞いてしまう僕が傍にいるより、かわいくて明るい女の子と一緒にいるほうが。
「……購買でノート買わなきゃいけないんだった。じゃあな」
席を立って目の前の三人を通ったとき、手作り弁当女子の音が聞こえた。安物のオモチャが鳴らすようなファンファンという浮ついた音。それとギリギリと弦を引き絞るような嫉妬の音。それは海斗と仲良くすると周りからよく聞く音だ。
わかってる。僕がなんで海斗と仲良いのかわかんないって思ってるんだろ。邪魔だって思ってるんだろ。そんなことは僕のほうがわかっている。
だからお邪魔虫は退散するから安心してくれ。
「え? あ、待ってよハル!」
そう思ってたのに。
イヤ、なんでお前が追いかけてくんだよ。かわいい女の子たちと話してろよ。練習試合の話をしてろよ。応援しにきてもらえばいいだろ。
こっちはさっきのお前が口をつけたパンを食べたら間接するアレになっちゃうじゃんとかわざわざ僕に来てほしいとか特別扱いするようなこと言ったりすんなよとか聞きなれないドラムの音はなんだったんだとか女子からの妬みの音でもうこっちはいっぱいいっぱいなんだよ。追いかけられても今まともに話せないんだよ。
「ハル、待ってよ!」
「――うっせえな、ついてくんなっ」
だいたいこんな風に女の子放っておいて追いかけてくるくせにお前は結局ウソの音を鳴らすんじゃないか。親友だなんて思ってないくせに。なんでそんなんなんだよ。
いい加減諦めさせてくれよ。
早足で廊下を走っているせいで人とぶつかっていく。ガンガンゴンゴングアグアといろんな不協和音が耳奥から脳髄に響いていく。うるさい音が頭の中をしめていって、耳障りなそれらを振り切るように頭をふる。
ああもう。なんでこの世界にはこんなにノイズが多いんだ。
なんで僕は、いつまでたっても海斗の音に、行動に、言葉に翻弄されてしまうんだ。
「――ハルッ!」
鋭く自分を呼ぶ声。
そんな慌てて大声出すのは珍しいな、と思ってもガンガンとノイズの残響が残る頭はまともに前を見てなくて。
目の前の階段に早足で飛び込んだことに気づかなくて。
床があると思って踏み込んだ僕の足は空を切った。
身体がふわっと浮かんでから。
階段の下へと、落下した。
◆
不意に聞こえてきたのは、キィキィとなるブランコの音。
公園で一人ぼっちで揺れている様子が浮かぶ、物悲し気な、寂しそうな音。
それに混ざって、馴染みのあるガラスにパリンとヒビがはいる音と――トクトクとなる、太鼓みたいな――いや、そのひとの心音が聞こえる。
うっすらと目を開ける。背中や足が痛い。まだ眠くて、目をうまく開けられない。消毒液の匂いとうっすら見えるカーテンから、ああ保健室のベッドで寝ているのか、と思い当たった。
そうだ、僕はさっき階段から落ちたんだ。そこから保健室に運ばれたのか。
自分がどんな状態かわからないけど、そこまで重症ではなさそうだ。なら眠気にしたがってもう一度寝ようかと思っても――頭の中に響いてくる音の原因のせいで、眠ることも、動くこともできない。
左手に誰かが触れている。そのせいで音が鳴りやまない。
誰か、なんて見なくてもわかる。だってこのヒビの音は何度も聞いている。心音もさっき聞いたドラムに似ている。
海斗が、寝ている僕の横にいる。
階段を落ちるところを見ていた幼馴染である海斗がここにいることは不思議はない。
だけどなんで僕の手を――壊れ物を扱うかのように、慎重に触れて、ゆっくりと撫でているのかはわからない。それに、このキィキィ鳴っているさびしい音も、それでもどこか嬉しさと緊張が混じった、心音の理由が。
「――オレ、そんなにお前に嫌われてるのかな」
起きているのがバレたのかと身体が反応しそうになった。だけどそのまま淡々と言葉を続けたから、海斗の独り言だとわかった。
「オレのこと避けてるのはなんとなく気づいてたけど、あんなに逃げるくらいイヤだったのか」
ちがう。
逃げたのは、お前のウソに耐え切れなかったから。女の子に囲まれているのに嫉妬したから。
性懲りもなく、お前との縁を完全に捨てきれず、みじめな片思いを抱えている自分のせいだ。
左手の甲を、骨ばった指がなぞる。
「だけど――オレはそれでも」
なぞっていた指がピタリと止まる。
触れたところから聞こえてくる音は、パリパリとガラスが続けて割れ落ちる音。ガラスが崩れていくについれて、早まっていくトクトクという鼓動。
「ハルがすきだよ」
ドクン、とひと際大きく響いた心臓音。
それが海斗のものなのか、僕のものなのか、わからないくらい大きな音。
息が止まる。
「辞典を間違えて返したのだって、そしたらハルが話しかけてくれないかなってわざとやった。昼メシだって、少しでもハルに会いたくて、くだらない口実だった。お前から話しかけてくんなくなっても、断んないお前にずっと甘えて――」
それが許される立場を、手放したくなくて。
懺悔するように小さく、かすれてこぼされた声。
音はなにも聞こえなくなった。まるで凪みたいに。ただただ静かだった。
それはきっと。揺れ動く感情の音として、僕の力で感知できないくらい、その感情がずっとずっと大きくて、当たり前のように存在していたせいだ。
なんの音も聞こえてこないからこそ、わかる。わかってしまう。
「親友っていう立場を利用してでも、みっともないって自分でもわかってても――それでも、お前と一緒にいたかった」
海斗の言葉が、ウソじゃなくて、真実だということに。
「親友だなんて思ったことない。でも、ウソついてでも、オレはお前のこと、ずっと……それでケガさせてたら、元も子もねえけど。ほんと、どうしよう。お前に嫌われてても、あきらめらんねえよ」
ぎゅっと握りしめられる左手。でもそれはとても弱々しくて。
同時に、ずっと静かだったのに一人で寂しく揺れるブランコの音が聞こえてくる。ああ、これは後悔と、海斗がさびしいと思っている音なんだ。
なんでお前がこんな音鳴らすんだよ、こんなのお前には、似合わないだろ。
ホントは。
タンタンとリズミカルに弾むボールを操る音が好きだった。
キュキュッとなる、小鳥が鳴くようなバッシュの音が好きだった。
シュッと風のようにシュートを決める音が好きだった。
ハル、と呼ぶ声が、好きだった。
いつだってお前がいるところの音は、心地よくって。
どんなウソにまみれた音だって。その音は僕に向けられているものだってわかってたから。
お前がくれる音は、なんだって好きなんだよ。
だけどこんなさびしい音はイヤだ。
そんなの海斗には似合わない。お前は泣くより、能天気に笑うほうがいいに決まってる。
ドクドクと、心臓の音がうるさくなっていく。
これは海斗の音じゃない。自分の心臓が鳴らす音だ。
信じ切れない気持ちはあるけど、さっきの音と静かな感情を知ってしまった。
それに考えてみれば、ウソ以外の音で海斗が僕に不協和音を鳴らしたことは、一度もなかった。
心の音が聞こえるのは本当だ。だからこそ、疑うことなんて、できない。
だったら。好きなやつに、こんな音させてちゃ、ダメだろ。
逃げてばかりじゃいられないだろ。
緊張と不安が入り混じる。どんどん心臓の音が速くなる。
でもきっと大丈夫。
きっと、この心臓の音は――海斗の心音と、重なってくれるだろうから。
握られている手をぎゅっと握り返して、僕はゆっくりと目を開けた。
二人分の心臓の音が跳ねた。
その音は聞こえない コトリノことり(旧こやま ことり) @cottori
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