第五話 ソウルメイト(ツインソウル)そして、結末
再び次の新学期を迎える頃、僕は紬の居ない生活にも慣れ始めていた。
そして何故か時々思い出すのは、紬と出会う前の自分だった。
勝手に『紬以前』『紬以降』と名前を付け、僕は可笑しな空想に耽っては、週末をお酒と共に過ごした。
自嘲気味に自らを思い返す。
紬は本当に居たのだろうか・・・。
いや、僕が本当に存在しているのだろうか・・・。
ドラマや映画、漫画でよくあるやつ、自分の頬を
バカみたいだ・・・。
それでも、紬に会いたかった・・・。
大枚を
自分でも何を考えていたか分からなかったが、兎に角、思い付きというか、何かの勢いで、僕はそれを提出してしまっていた。
確かに県の公務員である僕たち公立高校の教職員は、必ず一度はそういった地区での勤務が義務づけられてはいるのだが、何も来年でなくても良い。
提出した翌日、流石に冷静になって『しまった』と思いはしたが、今更引っ込みも付かず、あとは三月の異動辞令が有るのか無いのか、それを待つしかなかった。
希望書を提出したからといって、必ず異動を命じられる訳ではない。
紬と別れてやがて二年・・・。
そして、何事も起こらず二年が過ぎ、年を越し、受験シーズン真っ只中へと突き進んでいった。
三月初旬、僕は校長室に呼ばれ、離島への異動(内示)を命じられた。
三月三十一日午前中に、引越し業者に部屋の荷物全てを運び出してもらい、ありとあらゆるものが全て無くなった殺風景な部屋で、夕刻、不動産屋と鍵の返還を行った。
「今村さん、このお部屋、一年半、でしたっけ?」
「ええ、それにもちょっと足りないくらいですね」
苦笑しながら答える僕に、不動産屋は「学校の先生も大変ですね」と、愛想笑いを浮かべる。
「ところで、今日はどちらにお泊りですか?それとも今日中に飛行機に乗って、あちらに向かわれるんですか?」
「いえ、飛行機は明日です。今日は、実は何も決めていないんですが、空港の近くのホテルにでも泊まろうと思って」
「そうでしたか。いえ、もしなんでしたら、お引っ越しで出ていかれる方の為に、実はお布団の無料貸し出しサービスをやってるんですよ。ガス、水道も二~三日は止めずにこちらでお持ちしますが、如何なさいます?」
へぇ、確かに良いサービスだ。
しかし、僕は丁寧にそれを断り、キャリーバッグ一つ持って、不動産屋と一緒に部屋を出た。
「それでは、また、何かご縁がありましたら、何卒宜しくお願い致します」
「ええ、こちらこそ、お世話になりました」
不動産屋とありきたりな挨拶を交わした後、僕は喫茶『琥珀』に向かった。
「マスター、ご無沙汰してます」
バカに明るい調子でカウンターの前に立つ僕に、Tomyさんは凄く驚いた様子で、それでも嬉しそうに「ホントに久しぶりだね、いらっしゃい」と、カウンターの椅子に座るように促してくれた。
「何年ぶりになる?」
「そうですねぇ、最後に来てから、もうすぐ三年ってとこですかね」
「そうだよねぇ。確か、最後に来てくれたの、季節は夏前頃だったっけ?」
「よく覚えてますね?」
「そりゃあね、二人でコーヒー頼んでおいて、その二人とも一口もコーヒーに口付けないで帰られたことなんて、この店始まって以来、後にも先にも無いことだったからね」
そう言いながら笑うTomyさんには、どうやら嫌味を言っているつもりは無いらしい。
それは分かっていても、やはり申し訳なく思う僕は、本当にすまなそうな表情を作って、僕の注文したコーヒーを作っている最中のTomyさんに謝罪の言葉を述べた。
「あの時は、本当に失礼しました。いや、本当に申し訳なかったです」
「いやいや、いーのいーの。そんなつもりで言った訳じゃないから。ところで、今日、紬ちゃんは?元気にしてる?」
僕は特にドキッとする訳ではなかった。
何故なら、僕はそのことを誰かに話したくてここへ来たのだし、それよりも、ここに来れば、ひょっとして、紬に会えるのではないかと、紬も僕と同じ時間、同じ場所に来てくれるんじゃないかと、紬と僕が、本当に片割れ同士だったとしたら・・・、そんな淡い期待を抱いていたから・・・。
僕はTomyさんに、紬とは分かれたことを話した。特に細かいことは言わなかったし、Tomyさんもそれを聞こうともしなかった。
「そうだったの。それは残念だったね・・・。私はてっきり二人は一生仲良くやっていくんだとばかり思っていたよ・・・」
「ええ・・・僕も・・・そう思ってました」
僕は苦笑いを浮かべるしかない。
「ここに顔出してくれないのも、何処か県内の遠いところに異動になってるんだとばかり思ってたから、そのうちまたこっちに戻ってきたら、きっと顔出してくれるんだろうなって思ってたからねぇ」
「その異動なんですけど、実は、明日、なんですよ。だから、また、今日が最後で、暫く来れなくなっちゃいます・・・」
「ええ?なんなの、それ・・・」
Tomyさんは僕にコーヒーを差し出しながら、暫く黙っていたが、僕がコーヒーをひと口、口にした時、こう言った。
「今村くんさ、今日はお代はそのコーヒー代だけ貰って、その後は、私がビール奢るから、ゆっくりしていきなよ。最後の夜なんだからさ」
Tomyさんはどうやら、僕がこの店に顔を出した目的を分かってくれているみたいだった。
「じゃ、お言葉に甘えて・・・」
僕は素直にTomyさんの好意に甘えることにした。
ふと思った。『紬以前』では有り得ないことだな、と。
当たり前だが、紬が店に現れることは無かった。
僕はバドワイザーを三本平らげ、更にTomyさんのキープボトルのWild Turkeyをロックで一杯飲み干して、気付けば、時計の針は午後十時を回っていた。
今日はまだまだ飲めそうな気もしたが、Tomyさんに「ごちそうさまでした。何れ、また戻った時には顔を出します。新しい奥さんでも連れて」、そう挨拶して、席を立った。
自分で言っていて虚しくなったし、Tomyさんが少し悲し気な表情をしていたのは、僕の気持ちを察してくれていたからかも知れない。
予約した空港傍のホテルの最終チェックインが午後の十一時だった為、僕は店を出ると直ぐにタクシーを拾って、ホテルに向かった。
最終チェックインの十一時ギリギリに部屋に入り、シャワーを浴び、そのままベッドに倒れ込む。そして、堕ちていった・・・。
夢を見た。
何の夢かは覚えていない。
ただ、何かが近付いてくる夢だったような気がする。
その『何か』は決して怖いものでも嫌なものでもなく、何かは分からないのだけれど、高揚感と言うほど大袈裟ではないにせよ、近付いてくるその『何か』に、心はざわついている。
一体何なのだろうか?
僕は知っている筈なのだ・・・それが、何であるかを・・・。
朝の八時に目を覚ますと、二日酔いだろうか、少しばかり頭が痛い。
ホテルの部屋のバスルームで、飛び切りに熱いシャワーを浴び、眠気と同時にアルコールも飛ばす。
シャワー室から出て、着替えを済ますと、僕はチェックアウトの準備をし、荷物とルームキーを持って、一階のレストランの朝食バイキングに向かう。
着替えをしている最中からなのだが、夢の続きなのだろうか、胸の中のざわつきはずっと継続していた。
これから始まる新天地の生活に、心動かされているのだろうか・・・。
クロワッサンとスクランブルエッグ、それにサラダと皿に取り、バーカウンターでオレンジジュースを一杯貰った。
朝食なんて、二年以上摂ってないな・・・。
AM11:00発の飛行機のことを少しばかり気にしながら、最後にコーヒーを飲もうかどうしようかと迷っていると、不意に声が掛かる。
「おはようございます。異動ですか?」
僕が顔を上げると、そこには恐らく以前何処かの教育セミナーか何かで会ったことが在るのだろう、見覚えのある男性が立っていた。
「あ、おはようございます。ええ、これから飛行機で・・・。そちらも?」
「ええ、まぁ、そういうことです。因みにどちらへ?」
「T島です」
「そうですか。私はG島なんですよ。一緒じゃないのかぁ、残念。何か、話によると、今年はT島、本土からの異動、多いらしいですよ。良いですねぇ、仲間がたくさん居て・・・。」
「そうでしたか」
僕は実際、そんなことはどうでも良かった。
「それでは、またこっちに戻った時には、何れ何処かで。その時はまた、宜しくお願いします。では」
その男性教諭と思しき男は、軽く会釈をすると「まいったなぁ・・・」と、独り言のように呟きながら、僕を残して去って行った。
そうか、今日は地方公務員は異動の為、一斉に県内を動き回るのだな・・・。大変だ・・・僕もその一人なのだが・・・。
そのせいか・・・。何だか朝から僕も落ち着かないのは、きっとこの周りの雰囲気に影響されていたのかもしれない。
今もずっと、心はざわついている。
さて、僕もそろそろ行くとしよう。
最後に、もう一度、紬に会いたかった・・・。
飛行機に乗り込み、離陸から着陸までの間の、ほんの五十分程度のフライトだったが、昨夜のお酒でまだ疲れが残っていたのか、僕は寝入ってしまい、そして、また、夢を見た。
夢にははっきりと紬が出て来た。
夢の中で、僕は嬉しい。
夢の中で僕は訊ねる。
「どうして?」
「どうしてもよ」
夢の中の紬は笑顔でそう答えた。
「いや、だから、そうじゃなくて、どうして?」
「だから、どうしてもよ」
僕は悲しい顔をして、そして紬は笑顔で、同じ質問と同じ答えを繰り返す。
夢の中で、埒が明かない。
夢の中なのに、僕は僕自身を俯瞰していて、『今目を開けて、この状況を打開したい』、そう思う。そして、それとは逆に、『目を開けた瞬間、今目の前に居る紬は、霧のように消えていってしまう』、そうも考えるのだ。
半分醒めかかっている中途半端な意識の中で、僕は勇気を振り絞って質問を変える。
「ねぇ、紬、君は今、幸せなのかい?」
紬は暫くの間、それには答えずに、もう一度笑みを作って、僕を見詰め返す。
「ねぇ、紬、君は今、幸せなのかい?」
やはり同じ質問を繰り返す僕に、今度はハッキリと「ええ、とっても幸せよ」、そう答えた。
夢の中でその言葉を聞いた僕は、酷く悲しい気分になり、このまま目を開けようかと思って、それでも、紬に対する未練を捨てることが出来ずに、もう一度、紬のことを目に焼き付けようとした。
すると、紬は続けて話し始める。
「今ね、とっても幸せよ。そして、これからも、もっと幸せになると思うの・・・。それは多分、貴史さんも一緒よ・・・。これまでも、これからも、あなたもきっと、幸せだったし、幸せになれると思うの・・・」
「どういうこと?紬が居なくなって、僕はずっと寂しいし、これからも紬が居ないまま・・・僕は幸せになんて・・・」
「ううん、もうあなたは大丈夫。大丈夫なの、きっと。そして、私も」
「言っている意味が分からないよ。君が居なくて・・・僕は・・・」
「あなたは、ずっと、幸せよ。これから、もっと。そして、私も・・・」
僕は紬に出会って今まで一度だって、彼女に腹を立てたことは無かった。なのに、僕は今、酷く怒っている、夢の中なのに。
「どうして君は、そんなことを言うんだい?君だけが幸せなのか?君に、僕の気持ちの何が分かるって言うんだよっっっ」
僕は目を覚ました。
大声を上げてしまったのではないかと不安になり、そっと隣の座席と周辺を見渡したが、誰もこちらに関心を持つ者は居なさそうだった。
僕は気恥ずかしさを押し殺しながら、何事も無かったかのように、窓の外、眼下に広がる海を眺める。
海は驚くほど蒼かった。
涙が流れるのかと思ったが、僕の頬は乾いたままだった。
また少し、心がざわつく・・・。
機内アナウンスで、飛行機が着陸態勢に入ることを知らされ、座席のリクライニングを元に戻しながら、今見た夢のことを思い返す。
酷く悲しい気分になった・・・。?。
?
?
?
あれ?そういえば、最後に僕が怒鳴った後、紬は何か言おうとしていたような気がする。
僕は大声を上げた(夢の中で)勢いで、そのまま目を開けてしまったが、確かに紬は次に口を開こうとしていたような・・・。
胸のざわめきが、次第に大きくなってきている。初めはさざめくほどだった心の揺れは、今、それが波だと分かるくらい、大きく揺らぎ始め、僕の胸に打ち寄せ始めていた。
そう、確実に、大きくなりながら・・・近付いてくる・・・。
僕は到着ロビーを飛び出し、そして、目指す。
勿論、初めて降り立つ空港、初めて訪れる島、右も左も分からない。
それでも僕には目指す場所が分かっていた。
そこに行けば良い。そう思った。
もう胸の中の大きな波は、すぐそこまで来ているのだ。
キャリーバッグを引きずりながら、僕はそこまで、右に曲がったのか左に曲がったのか、それとも真っ直ぐ歩いたのか、どこをどうやってそこに辿り着いたのかは分からない。
それでも辿り着いた。
空港から一番近い、見晴らしの良い、海辺。
僕が息を切らしながら浜に降りると、その先の波打ち際に、日傘をさして独り佇む女性の後ろ姿が在った。
「つむ・・・」
僕が彼女の名前を呼び切る前に紬は振り返り、「貴史さんっ」と叫ぶように僕の名前を呼ぶ。
映画のワンシーンなら、二人、駆け寄って、抱き締め合う・・・ところなんだろうけど・・・。
僕はゆっくりと歩みを進め、紬はそこで微笑んだまま、ジッと僕を待った。
「遅かったじゃない?」
「そうかい?」
「私はてっきり八時の飛行機に、あなたも乗っているものだとばかり思っていたのよ」
そう言って少し意地悪そうに笑う紬に、僕は答える。
「でも、こうやって、今、ここに居るよ。少し遅くなってごめん。でも、ただいま」
「うん、おかえりなさい。もう少し遅かったら、私、帰っちゃってたかもよ?」
「・・・いや、それは無いね」
「うん、ないかもね・・・。ないわね、きっと」
そう言って二人で笑い合う。
大きな波が、ゆっくりと引いていくのが分かる。
「そういえば貴史さん。聞いて、面白いのよ。私が借りたアパートと、あなたが借りたアパート、また同じみたいよ。しかも、隣同士・・・」
おしまい
にこいち(ツインソウル)・・・ありそうでない・・・なさそうである ninjin @airumika
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