第十三夜 月だけはすべてを知っている・3

 フィーランの守軍は善戦したもののあえなく敗れ、砦は敵の手に落ちた。

 そのひと月後に帝都ギオザも攻め落とされ、ギオン皇帝もザンチら将軍もみな討死した。エリク皇太子は敵の手に落ち、命までは取られなかったようだが消息は分からなくなった。

 ディエナはを抱えて帝都から逃げ出した。シャルルはディエナにも馬車を支度してくれていたが、故郷ボンサンジェリーとは逆方向の北へと向かった。シャルルを探すためであった。

 フィーランまでの十三日半の道程は、どこも戦禍に見舞われて悲惨な有様であった。行く先々で死者が打ち捨てられたまま朽ち果て、生者もまた果てしない絶望の淵で呻き喘いでいる。

 こんな状況で、シャルルが生きている望みは少ない。それでもディエナは確かめたかった。家族の仇で、そうとは一度は知らずに愛した男の顛末を見届けずにはいられなかった。――そしてもしもう一度会えたら、今度こそ「復讐」を果たしたい。

 いくつもの家や、テントで作られた急造の療養所を巡り、シャルルの姿がないかを探す。人にも尋ねた。黒髪の背の高い男で、顔に火傷を負っているのだと伝えたが、めぼしい情報は得られなかった。生き延びた兵士の多くも敵の魔道のせいで火傷を負っていて、シャルルのような人は珍しくないらしい。

 きっとシャルルは死んでしまったのだ。彼が誰からも見向きもされずに戦場に斃れたままだと思うと、ディエナは悔しくて仕方がなかった。どうせなら、もっと早く殺しておけばよかったとも思った。

 目的が果たせないなら、せめてこの地の人たちの役に立ちたい。ディエナは不器用ながらに、テントに寝泊まりして傷病兵の看護を手伝うことにした。

 テントは常に苦悶の声と汚物の臭いにまみれていた。ディエナが助けられる人は、ほとんどいなかった。どれだけ手を尽くしても、みな母を求めて死んでいった。この世にたったひとりしかいない人たちが、みなありふれた死によって永遠に連れ去られていくのを、何度も目の当たりにした。

 やるせない状況の中でも、ディエナは気丈に立ち回った。絶望には慣れている。、そう何度も強く自分に言い聞かせた。

 フィーランに着いてひと月が経ち、長く厳しい冬の前触れでしかない秋を迎える頃、街に続々と男たちが戻ってきた。フィーラン砦で敵の捕虜になっていた将兵たちだ。

 ディエナはテントから飛び出した。列をなして戻ってきた男たちは、誰もがほっとした表情をしていた。敵は意外にも人道的で、捕虜を手厚く迎えたらしい。しかも豊富に薬品を有しており、傷ついた捕虜のためにも惜しみなく使ってくれたと。帝国軍のやり方とはずいぶん違うようだ。

「シャルル! シャルル!」

 いるかどうかも分からない人の名を、ディエナは夢中で叫んだ。

 あちこちで泣きながら固い抱擁を交わし、再会を喜ぶ人たちの姿が見えた。だがそれよりも、夫や息子の姿を見つけられずに泣き崩れる人のほうが多い。愛する人が戻ってくるかもと繋いだ一縷の望みが断たれたとき、残酷な刃になって遺された人々の心を痛めつける。

 そのとき、ディエナは見つけた。たくさんの顔の中にある、頭ひとつ大きいシャルルの姿を。彼はまだ傷が癒えぬのか、杖を突いてよろめきながら歩いている。ディエナは何もかも忘れて、その人に駆け寄った。

「シャルル……!」

「……ディエナ?」

 シャルルは杖を手放して、ディエナを腕の中に迎え入れてくれた。立っていられずに、ふたりして地べたに膝をついた。

「私に、復讐しに来たのだな?」

 ディエナは涙を溢れさせて何度も頷いた。

 私、あなたを許せない。この手で殺したい。……でも、いまは、できそうもない。

 言葉にならないディエナを、シャルルはきつく抱きしめてささやいた。

「……ならば、ともに暮らさないか。お前がいつか私を殺せる日まで」


* * *


 あれからいくつもの月が巡り、再び短い秋が訪れた。

 ギオーク帝国は滅びた。ゼアテマやウルグリアなど、いくつかの国は再び独立を取り戻した。小さくなった帝国領は、海から来た新しい王が引き継いだ。新しい国の名はギオーク人には発音が難しく、地域によってまちまちに呼び表された。

 国名はどうであれ、下々の生活は大して変わらない。いやむしろ、帝政時代よりよほど良くなったといっていい。魔道の知恵を取り入れた彼らの農業は、不毛の大地にさえ芽吹きを与えた。民草たみぐさはみな、新しい時代の到来を喜んだ。

 シャルルはディエナとともにそのままフィーランへ定住して農民となった。ふたりは夫婦となり、やがてレオンとクレアという息子と娘にも恵まれた。確かにシャルルの血を分けた子どもたちだ。

「お父さん、あれ弾いて」

 五歳になったレオンが指さすのは、棚の上に飾られた竪琴であった。父の形見の、あの竪琴である。

 ギオザが戦火に呑まれるより先に、ディエナは竪琴を持ち出していた。

「シトリューカに託されたの」とディエナは言っていた。

 ――私の代わりに、を果たして。そのときまで、この竪琴はあなたが持っていて。

 シトリューカはそう言ったという。当時のディエナはその真意を測りかねたようだが、シャルルには分かる気がする。ディエナにはシャルルを殺せないことを、彼女は見抜いていたに違いない。

「レオンばっかりずるいー! おとうさん、わたしともあそんで!」

 庭先に出て騒いでいる三歳のクレアは、その手に小枝を持っている。妹のほうは音楽よりも、剣術に興味があるらしい。さてどうしたものかと考えていると、

「なら、僕は後でいいよ。クレアと遊んであげて」

 兄は父を気遣ってくれた。シャルルは自分譲りの黒髪を撫でて、頬にくちづけをしてやった。

「レオンは優しい子ね。それに比べてクレアはわがままばっかり」

 夕食の支度をする手を止めて、ディエナがため息をつく。

「お前をそのまま小さくしたようなものだからな」

「何それ、どういう意味よ!」

 ディエナがナイフを振り上げる。いつでも殺していい、妻にはそう伝えてある。けれども彼女の笑顔を見ると、今日のところはまだ本気ではないようだ。

「クレアは歌よりも剣術が好きか?」

 小さな娘が振り回す小枝を棒切れで受け止めながら、シャルルは尋ねてみた。

「うん。つよくてかっこよくなりたいもん! おんなのこなのに、へんかなあ?」

「いや。剣術が好きな女の人もいる」

「おとうさんのともだちにも?」

 シャルルは返答に困った。その人との関係性を表すときに「ともだち」という言葉が適するかどうか。

 いまでも先妻シトリューカのことを、ときどき思い出す。

 シャルルの用意した馬車に、シトリューカは乗らなかったらしい。フィーランに立ち寄った行商人や旅人たちに話を聞く限りでは、サン=セヴァチェリンには戻っていないようだ。かの国はいま、ブルゼイ王から代替わりして若きアルディミール王が統治している。シトリューカの弟だ。

「クレアもそのひとに、あってみたいな。どこにいるの?」

 フィーランの戦場で、シャルルはシトリューカとクロワを見た。あれは幻だとばかり思っていたが、本当に会いに来てくれたのかもしれない。だとしたら、その後ふたりはどこへ行ったのだろうか。

「……さあな。いつか綺麗なお月様が出た晩に、会えるかもしれない」

 シャルルはそう信じている。二人はきっといまもどこかで、歌を歌いながらともに生きていると。

「二人とも、そろそろご飯よ!」

 家の中からディエナが呼ぶ声がする。「はーい!」とクレアが枝を放り投げる。行儀の悪い剣士だが、剣の作法はシャルルにも教えられない。

「おとうさん、ごはんの後はお歌を歌ってね」

 レオンが目を輝かせている。

「もちろんだ」

 不要なものは、何ひとつない。いまシャルルはかけがえのないものに囲まれている。そのはるか頭上の夕空で、傾いた月も微笑んだ。(了)

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ムーンライト・ミンストレル 泡野瑤子 @yokoawano

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