霧島 摩利香
あれから一時間近くは経っただろうか? 霧島は再びジョン・レノンみたいな丸メガネをかけ、僕らは何をするでもなくレコードに聴き入っていた。
全く、毘奈があんなこと言ったせいで、必要以上に霧島のことを意識しちゃうじゃないか。霧島はレコードを変えるごとに何か言っていた気がしたが、全く耳に入ってこなかった。
いや、待てよ。今流れているのはジャニス・ジョプリンで、このシュチュエーションはいつかどこかで……。もしや、これはあの夢の!
「ジミ・ヘンドリクスと並んで、ジャニス・ジョプリンはサマー・オブ・ラブを代表するアーティストだったわ。だけど、二人ともその終焉は早くて……ちょっと、聞いているの?」
「つまり……今夜はロックンロール・オールナイト!?」
「え? いきなり何? キッス(の楽曲)のこと?」
「ききき……キッス!!?」
「分かった……ちょっと待ってて、(レコードを)用意してくるわ」
(わ、分かったのか!?)
霧島はそう言うと、静々と奥の部屋へと入って行った。ていうか、一体何の用意? もしかしてベッドの……とか、エチィ下着に……とかか!? いやいやいやいや……とにかく、それはまだ展開が早すぎだ。
キッスから始まる(?)二人のロックンロール・オールナイトへは、まだものの順序ってやつがあるだろう。そうだ、霧島は世間知らずなとこあるから、それが分からないだけなんだよ。うんうん。
しばらくして、霧島は一枚のレコードを抱えて帰って来た。よし、まだ間に合う。ここは僕が、霧島に高校生同士の健全な男女交際というやつをレクチャーしなくては! 決してビビったわけじゃないぞ、僕は。
「霧島、大事な話があるんだ!」
「ど……どうしたの? 那木君、急に改まって?」
「いいかい、なんだかんだで、僕たちはまだ出会ったばかりだ。そうだね?」
「そ……そうね」
「だからさ、こう……もっとだね、お互いのことを深く知り合ってからの方がいいと思うんだ。……そういうことは!」
「……」
全ては僕の単なる妄想による勘違いであった。しかし、この噛み合わない会話によって、僕は偶然にも霧島 摩利香という謎多き少女の最深部に触れてしまうことになったんだ。
「そうね……もういい加減、那木君には話しておかなければならないかしら……」
霧島は水晶のように透き通った瞳で僕を見上げ、何か覚悟を決めたような顔をしていた。その物々しい雰囲気に、僕は違和感を覚える。
もしかしたら、僕はわざと気にしない振りをしていたのかもしれない。霧島 摩利香最大の謎を……彼女の幼少期、そして霧島事件に隠された最大のミステリーを。
「私の生まれた地方では、昔からある言い伝えと言うか、信仰があったの……」
「例の大口様……ってやつ?」
「そう……大口様は、人々から災いを退け、恵みをもたらす守り神として古来から信仰の対象とされてきたわ」
正直僕は、何で霧島がこんな地元の昔話をしているのかよく分からなかった。もっと地元を含めて、彼女自身のルーツを知って欲しいってことなのかな。
「私がいた集落では数十年に一度、大口様を宿した子供が生まれるっていう言い伝えがあって、実際大昔は大口様の子供が生まれると神の子として崇拝されていたって話……」
「それで、霧島がその大口様の子供ってわけ?」
「そうよ、彼の子は満月の夜、戌の刻に必ず生まれるという言い伝えがあるの。私の生まれた日も恐ろしいくらい綺麗な満月の夜だったと聞いているわ」
「でも、さっきは神様なのに呪いだなんだって……?」
「そうね……戦後開発が進んで、私の地元も様変わりしたの。世代を重ねていくごとに大口様への信仰も薄れていって……」
新しく集落に入って来た人たちは、大口信仰を閉鎖的で原始的な因習と揶揄して、その象徴である大口様の子供を気味悪がった。
やがて、時代の流れと共に本来の大口信仰は人々から忘れ去られ、数十年に一度生まれてくる特別な子供への恐れだけが一人歩きしていったんだ。そして、いつしか彼の子は呪われた子供という偏見が生まれた。
「だから、私は地元では忌み嫌われる存在なの。父さんにも母さんにも、私のことで凄く苦労を掛けてしまったわ……」
「おいおい、霧島の地元の昔話は良く分かったけど、そんな迷信みたいな話で村八分だなんて……冗談だろ?」
何なんだろう、この感覚? 霧島と話していると、まるで別の世界の住人か何かと話しているような感じだ。
霧島は瞳を閉じて一呼吸おき、自らを落ち着かせて話を続けた。
「冗談……ではないの。那木君は優しいから気付かない振りをしてくれているけど、私は人の皮を被った化物よ……大口様の子供とはそういうことなの」
「ははは……ちょっと何言ってるか分からないな……実はポエムじゃなくて、小説でも書いてたとか?」
あまりの重苦しい空気に耐えられず、お道化て見せようとするが、霧島はその美しい瞳を一ミリも逸らさなかった。
そうだ、その仮定さえ成立てば、霧島の幼少期の話も霧島事件も、全ての点は一つに結ばれ、心の奥につかえていた謎が綺麗に解決されるんだ。そんなことは最初から分かってる。だけどさ……。
「今はそれでいいわ、私も成長して小さな頃のような癇癪は起こさなくなった……でも、この前みたいに私に大きな危険が及べば、いつか取り返しのつかないことになる……」
「取り返しのつかないって……前に言ってた、く……食い殺すとか何とかってやつ?」
「私が人であることの一線を越えてしまったとき、きっとあなたやあなたの愛する人の右手を食い千切る。もう人には戻れなくなるの……」
ダメだ……。やはり話が荒唐無稽で飛躍し過ぎてて、もう何を言ったらいいか分からない。その気はあったかもしれないが、もしかして重症の中二病なのか? だが、今はとても茶化せるような雰囲気ではなかった。
僕が反応に困惑していると、霧島はもぞもぞとパーカーのポケットから愛用の音楽プレーヤーを取出し、繋いでいたイヤホンを引き抜いて僕に差し出した。
「だから、那木君にお願いしたいの。私がもし自我をなくすようなことがあれば、これを使って私を止めて!」
「と……止めるって、これただのイヤホンじゃないか?」
「そうよ、だけどこれは私が自分で選んだ枷……私が思いを込めた魔法の紐、グレイプニールよ……あなたに持っていて欲しいの!」
僕は霧島に差し出されるがまま、そのイヤホンを受け取った。だけど、そもそも前提の時点で理解できてないものを、僕はどう消化したらいいものか大混乱だった。
調度そんな時だった。僕と霧島のこの不思議な時間を終わらせるように、僕の携帯が鳴って、僕は半ば救いとばかりに電話を取ったんだ。
「ちょっと、ごめん! ……ん? 毘奈か、何なんだあいつ?」
きっと霧島と二人きりで緊張しているだろう僕を、冷やかす為にでも架けてきたのだと思った。まあ、それでもいい、ここは一旦心を落ち着かせたいからな。
「もしもし? 今更何の用……」
――霧島 摩利香は一緒だな?」
「……え?」
ドスの利いた男の声だった。僕はこの時何が起こっているのかを理解できず、ただ背中に悪寒だけが走っていた。
――三十分以内に、町はずれにある廃倉庫に来いと伝えろ。もし来なければ、この女……分かってんな?」
――吾妻、マリリン! 来ちゃダメ! ここには……!」
「ひ、毘奈!? 大丈夫なの……か!?」
毘奈の声が聴こえた途端、その電話は切れてしまった。僕はあまりの唐突さに、頭が真っ白になってしまっていたんだと思う。そんな僕を心配するように、霧島が声を掛ける。
「天城さん、何かあったの?」
「あ……ああ、何かさ、あいつ帰りに道迷っちゃったみたいでさ……あははは」
「そ……そうなの?」
あまりの不自然さに、霧島は怪訝そうな顔をして首を傾げた。本当は誰かに相談したいところではあったが、もう時間がない。町はずれの倉庫って、おそらく一ヶ所しかないけど、今から走って行ってギリギリの距離だ。
それにいくら何でも、そんなところに霧島を連れて行くわけにはいかない。さっきはああ言ってたから、見かけの割に喧嘩は強いのかもしれないけど、所詮は女の子だ。
「仕方ないから迎えに行ってくるよ! ……じゃあな、霧島!」
「え……ええ、またね那木君」
無理な芝居であったから、霧島には感付かれたかもしれない。だけど、もう考えている余裕なんてない。
「毘奈が危ない」、ただそれだけが頭の中をぐるぐると回る。僕は街灯が点在する夜道を、ただひたすら闇の深い方へと走っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます