マリリンと幼馴染

 あれから数日が経とうとしていた。赤石 光は少しずつではあったが、再び学校に来るようになったようだ。まあ、バックに霧島が控えていたら、誰も手は出せないよね。

 この日は、すっかり霧島ラブとなった毘奈が、どうしても霧島の家に行きたいと駄々をこねた為、僕と霧島は毘奈の部活が終わるまで校内で時間を潰していた。

 基本霧島と一緒にいると凄く目立つので、僕らは相変わらず屋上で放課後を過ごし、そろそろ頃合いってところで、校舎を降り始める。



 「霧島、どうしたんだ? そんなところで立ち止まって?」



 その部屋からは、ゾクッとするような煌びやかなメロディー、そして野獣がうなり声を上げるような暴力的なサウンドが漏れてきていた。軽音部の部室だった。

 霧島はその前で立ち止まると、まるで風邪を惹いた子供が外で楽しそうに遊ぶ子供たちでも眺めるように、じっと中の様子を伺っていたんだ。 



 「もしかして入りたいの? 軽音部?」

 「いいの……どうせ私が行っても、皆を怖がらせるだけだから……」



 そう言い残すと霧島は、何事もなかったかのように踵を返した。僕にはその光景が悲しく見えてしょうがなかった。

 もし霧島がこんなにも強くて優しくなければ、もしあの時赤石 光を助けていなければ、霧島にもこの中で楽し気にギターを弾く普通の女子高生みたいな日常があったのかもしれない。

 あのDQN系女子たちに言ってたように、霧島だって本当はまっとうに生きたかったんだ。いつか誤解が解けて、霧島がこの中の人たちと一緒に笑いあえる日が来ればいいのに……。



 僕が一人でセンチな気持ちになっていると、校舎を出たところで不意に毘奈が霧島に抱き着いてきた。



 「マーリリン! 待っててくれてありがと! うーん、今日もいつもに増して可愛いですな~!」

 「ちょっ!? あ、天城さん、そういうのやめてもらえないかしら? それに……その呼び方!」

 「えー! 可愛いじゃん! 摩利香だからマリリンだよ!」

 「わ、私はどこかのヘヴィーロッカーではないのよ!」



 もうすっかり霧島ラブとなっていた毘奈とは裏腹に、霧島自身は少し毘奈のことが苦手そうだ。霧島に苦手意識を持たせるなんて、実は学園最凶……いや最強なのはこの幼馴染なのかもしれないね。

 その破天荒な幼馴染のせいで、さっきまでのセンチな気持ちなんてどこかに吹っ飛んでしまったよ。



 それから僕たち三人は、この前みたいに黄昏色に染まった道を、ビルの合間に沈んで行く夕陽を目指して喋りながら進んだ。喋っていたのは、ほぼ毘奈一人だったけどね。

 そして久しぶりに来た霧島の住んでいる高級マンション、夢で行ったのを合せると、来るのは三回目になるかな。



 「すっご!! こんな大きいマンションに一人で住んでるの!? マリリンって何者なの? セレブなの?」



 毘奈もほとんど僕と同じ反応であった。そりゃ、皆んなそう思うわな。

 派手なリアクションをする毘奈を適当にいなしつつ、僕らはエレベーターに乗って霧島の部屋へと向かう。

 玄関扉を開いて中に入ってみると、そこは何だか悲しいくらい前に来た時と変わっていなかった。

 ホテルのように最低限置いてあるテーブルや椅子、ほとんど使っていないのか綺麗に整い過ぎたキッチン、やたら高価なオーディオセット、大昔のロックスターのポスター、まるで時がここだけ止まっているように見えた。



 「ひっろーい!! いいなー! 私もこんな部屋で一人暮らししてみたいな!!」

 「おい毘奈、あんまり勝手にうろうろするなって……」



 テンションが上がり、子供のようにはしゃぐ毘奈を僕は諌める。もう遅くなってしまったが、明日は学校も部活も休みだということもあってハイになっているんだ。

 そして部活後でお腹を空かした毘奈は、三人で夕飯を食べることを提案する。霧島は少し困った様子で、申し訳なさそうに言う。



 「そ……そうね、それじゃ、ピザでも……とろうかしら?」

 「いいよいいよ! せっかくだからさ、私があり合わせのもので何か作るよ! ちょっと、冷蔵庫を拝見!」

 「ちょっ! 天城さん!」

 「……ありゃ?」



 少し想像はしていたけど、冷蔵庫の中は部屋と同じようにだいぶ小ざっぱりとしてて、飲み物が数本入っているだけだった。

 霧島は慌てて冷蔵庫の扉を閉めるが、毘奈は酷く心配した様子で霧島に詰め寄る。



 「ねえ、マリリン、普段一体何食べてるの?」

 「……カップメンとか、パンとか……あとはデリバリーかしら」

 


 それを聞いた毘奈は、かなりショックを受けたみたいで、大袈裟に頭を抱えた。



 「ダメダメダメ、ダメだよマリリン!! 成長期なんだから、もっとちゃんと栄養のあるもの食べなきゃ!」

 「で……でも、あまり料理とか得意じゃないの……」

 「分かったよ、マリリン! この毘奈ちゃんに任せて! すぐそこにスーパーあったよね? ちょっと買い出しに行って来る!」



 と言って毘奈は、呆然とする僕らを尻目に外へ飛び出していった。善意からなんだろうが、本当にまあ、お節介と言おうか節操がないと言おうか……。



 「那木君……まるで嵐のような人ね、あなたの幼馴染」

 「うん、よく分かってきたみたいだね……」



 ものの数分で毘奈は買い物から戻ってきて、何やら忙しそうに料理の準備を始めた。



 「待たせたね、マリリン! ちょいとキッチン借りるよ!」

 「あの……ちょっと、天城さん?」

 「大丈夫大丈夫! 心配しないで、私料理は得意なんだ! 期待しときなよ、美味いもの食わせてやるぜ!」



 もう何も言えず、棒立ちの霧島。まあ、毘奈はハイスペック女子高生と言われるだけあって、料理もかなり上手かった。だから、その点僕は少し安心していたんだ。



 「大きめの鍋にお湯を沸かして、フライパンにオリーブオイルを垂らして刻んだニンニクを弱火に……唐辛子は焦げやすいから後で、オクラは細かく刻んで、インゲンは一口大、ミニトマトは半分に、ニンジンは薄く短冊切で、ズッキーニは輪切りに……」



 毘奈は一人でぶつくさ言いながら、物凄い集中力で調理を進めていく。炎の料理人と化した彼女に、最早誰も声をかけることはできなかった。



 「ごめんマリリン、塩どこ!?」

 「あ……その……戸棚に」

 「グラッツェ! パスタを茹でる塩加減は、少ししょっぱ過ぎるくらいで……捩じって花を咲かせるように投入! 唐辛子を入れて、ニンニクが色づいてきたら、細かく切った生ベーコンをさっと炒めて、野菜を加えて白ワインでフランベ!」



 認めたくはないが、あまりの手際の良さにクッキングショーでも見てるみたいだった。最初はポカンとしていた霧島も、今は羨望の眼差しを向けているようにすら見える。

 


 「炒めた具材にパスタの茹で汁を加えて、軽く煮詰める……パスタが茹で上がったら、フライパンに移して手早く合わせて、仕上げにオリーブオイルを垂らして軽く混ぜれば……」



 絶対に気のせいだと思うのだが、僕と霧島は毘奈の作った料理が眩く輝いているように見えた気がした。目を擦りながらその光景を見つめる僕らを尻目に、毘奈は大きな声で料理の完成を告げる。



 「よし、できた! 毘奈ちゃん特製、たっぷり夏野菜の女子力53万スパゲッティーだ!! さあ、二人ともおあがりよ!!」



 自信満々で皿に盛られたスパゲッティーを差出す毘奈。色々と突っ込み所は満載であったが、その勢いに押されて僕と霧島は食卓についた。


 

 「い……いただきます」

 「どう? マリリン、おいしい? おいしい?」



 緊張した面持ちで、フォークに巻いたスパゲッティーを口に運ぶ霧島。毘奈がすぐ横で食べるのをガン見しているせいで、かなり食べ辛そうだ。

 でもまあ、心配はしていなかった。毘奈はだいぶお節介で、ときにはウザったいけど、基本は善良で利他的な奴なんだ。だから、こいつの周りの人たちは皆幸せになる。



 「……おいしい……優しくて、温かい味」



 スパゲッティーを一口食べた霧島は、それまでの緊張が嘘だったように、目を細めて柔らかに微笑した。

 霧島のありのままの反応に、横でじっと見守っていた毘奈は、感激して両手で何度もガッツポーズを繰り返し、霧島に抱き着いたんだ。



 「ちょっ! 天城さん! これではせっかくのパスタが食べられ……」

 「うんうん、また美味しいもの作ってあげるからね! ちゃんと食べないと、胸も大きくならないよ! なにしろ、吾妻のエチィ趣味はね……巨乳好きの傾向が……」

 「コラコラコラコラ!!!」



 全く、本当に油断も隙も無い。こいつの周りの人たちは皆幸せになる……ただし僕を除いてね。

 感情が高ぶり、悪乗りする毘奈をやっとの思いで窘めると、ようやく僕もスパゲッティーにありつくことができた。



 「ねえねえねえねえ、吾妻もおいしいでしょ? おいしいでしょ?」

 「あーもう! 美味いよ、美味い! ネーミングセンスはどうかと思うけどね……」

 「なにそれ! 反応が可愛くない!」



 僕の軽口に毘奈がブーたれて、僕らは一頻りどうでもいい言い争いを繰り返した。霧島はそんな僕らを、微笑まし気に見つめ呟く。



 「あなたたち、最初見た時から喧嘩していたのに、なんだかんだで一緒にいて仲良しなのね……」

 「そうだね、それは喧嘩もしたりするけど、私たちは姉弟みたいなもんだからさ、時間が経てば、自然と仲直りするんだよ」

 「幼馴染ね……何だか懐かしい」



 それまで微笑んでいた霧島が、儚げな顔で言った。それは今まで謎に閉ざされていた霧島 摩利香の過去への扉だった。

 しかし、それを詮索するには、こちら側にも大きな覚悟が求められそうだ。

 そんな僕の心配など無意味であるかのように、毘奈はずけずけと霧島に問い掛けるのだが……。



 「マリリンの地元にも、小さな頃から仲のいい友達がいたの?」

 「そうね……小さな頃、よく遊んでいた女の子がいたわ」

 「へー! その子、今はどうしてるの?」

 「分からないわ……もう、会うこともできないし……」



 この後に及んでも、僕らは霧島のことについて知らないことばかりであった。何故彼女はこの街に来て、こんな寂しすぎるくらい広いマンションで一人暮らしをしているのか? 

 それは僕たちと霧島が出会う遥か昔、この街にやって来る前の霧島 摩利香の物語だ。



 ――あなた可愛い、お名前何て言うの? 私、スズカ、一緒に遊びましょ。



 ――摩利香……マリちゃんだね。私のことはスズって呼んで!



 ――マリちゃん、今日も公園で遊ぼうよ! 私がブランコ教えてあげるから! きっと楽しいよ!



 ――私、マリちゃんと一緒で凄く楽しい、小学校に行っても、中学校に行っても、ずっと友達でいよーね!



 少女と少女の遠い日の約束。彼女たちにとって未来は遥か先で、とても計り知れないものだった。だが、彼女たちの終わりは、無情にもすぐそこに待っていたんだ。



 ――おいお前、大口の子供だろ? 父ちゃん言ってたぜ、あそこの子供は呪われてるってな! 気味悪いから、帰れよお前!



 ――マリちゃんは呪われてなんかないもん! マリちゃんに謝って!!



 ――なんだよ! そいつの味方すんなら、お前も出て行けよ!!



 ――痛い、やめてよ! 何でこんな酷いことするの!?



 目の前で理不尽に、しかも自分のせいで傷付けられる親友を見て、彼女の中で何かが起こった。美しく精悍で、獰猛な何かが彼女の奥底で殻を破ったのだ。



 ――マリちゃん、もうやめて!! 私なら大丈夫だから! お願い!!



 ――一体どうなってんですか!? うちの子にこんな大怪我させて!!



 ――あんたんちの子おかしいよ! 大口様だかなんだか知らないけど、こんな危ない子、外に出さないでよ!!



 ――申し訳ございません。もう二度とこのようなことは……。



 彼女は何も覚えていなかった。気が付けば、親友は近くで泣き崩れており、親友を傷付けたいじめっ子たちは、ボロボロになって地面に横たわっていた。

 そして、家に押し寄せるいじめっ子たちの両親、頭を抱える父と母。彼女は何も分からないまま、両親の許可なく外へ出ることを禁じられた。



 ――ああ、普通の子だと思って忘れていたが、やっぱりもうダメか……。



 ――でも、この子のせいじゃないわ、大口様の怒りだもの。どうすることもできないわ……。



 ――ある程度理性が育つまで、勉強はうちで教えましょう。大丈夫よ、小学校なんか行かなくても、いい家庭教師がいるんだから!



 ――摩利香、レコードでも何でも、好きな物は何でも買ってあげるよ。だから、お外で遊ぶのはもうやめよう。



 日常はある日突然奪われ、彼女は籠の中の鳥となった。そして、失意の彼女の元へ、親友だった少女が訪ねてきたのだ。



 ――マリちゃん、パパとママがもうここにはいられないって……だから、遠くに引っ越すことになっちゃった。



 ――ごめんね、マリちゃん、ずっと友達でいられなくて……。



 こうして霧島は、本来小学生であった時期を孤独のうちに過ごし、中学校には行かせてもらえたものの、彼女の存在を知る地元では最早居場所などなかった。



 だから彼女は選んだのだ。一枚の切符を握りしめ、その列車に乗り込むことを。縛られた土地から抜け出し、本当の自由を手に入れる為に……。



 「両親は私に凄く優しかったけど、ずっと腫物を扱うようだったの……。だから、私が家を出たいと言った時、お父さんもお母さんも応援してくれたわ。きっと、凄く疲れていたのだと思う……」



 霧島の両親が、彼女にこんな立派な部屋を与えているのは、娘の気遣いに甘えて遠くに放り出したことへの贖罪なのかもしれない。

 だから霧島は言っていたんだ。どんなに広くて豪華な家だったとしても、ここは彼女を閉じ込めておく為の犬小屋に過ぎないのだと。



 まあ、予想はしていたつもりだが、結構ずしんとくるような重たい話だった。所々、よく分からないことはあるんだけどね。

 さすがの毘奈も、こんな重たい話を聞かされちゃったら、さっきみたいにずけずけと軽口は叩けないだろう。



 「……って、毘奈? ええ!?」



 黙り込んでいた毘奈の顔をチラッと伺うと、彼女は顔面から出るだろう全ての液体を流さんがばかりに号泣していた。



 「う……うわぁーん!! マリリン可哀想だよぉぉーー!!!」

 「ちょ……ちょっと天城さん!? そんなに泣かなくても……って、苦しい! 抱き着くのはやめ……」

 「大丈夫だよ!! ヒグッ! これからはね……ヒグッ! 私も吾妻も……光ちゃんも……ヒグッ……ずっと一緒に……うわぁーん!!」

 「分かったわ、天城さん……ありがとう。でも……私のパーカーは、もうグチョグチョよ」



 だいぶ大袈裟だけど、この反応は毘奈の本心なんだ。だいぶお節介ではあるが、前述した通り基本はいい奴だからね。

 毘奈は一頻り泣いた後、今度はやけに真面目な顔をして語り出した。



 「ごめんね……私、マリリンのこと全然ちゃんと見れてなかったよ。吾妻の言う通りだった……」

 「いいの、元はと言えば私の素行が原因だもの。どう見られても文句は言えないわ」

 「吾妻ってね……偏見がないんだよ。だから、必ず自分の目で見てからものを判断するの。まあ、周りの空気読まなかったりするから、孤立しちゃったりもするんだけどね」

 「ああ、もう、悪かったよ」



 泣き止んだ毘奈が急に僕のことを持ち出すもんだから、僕はどう反応すればいいのか戸惑う。毘奈は僕を窘めるように続けた。



 「吾妻のこと褒めてるんだから、最後まで聞く! ……私もね、小学校の頃、ある女子のグループと対立しちゃってね、学校のウサギを逃がした犯人にされちゃってさ……」



 確かにそんなことがあった。あの時は僕も毘奈と同じクラスで、その女子グループとの対立の原因は、単純に毘奈に対する妬みだったと思う。

 今まで自分たちがカースト上位だと勝手に思い込み、他のクラスメイトを見下していた女子たちの前に、このハイスペック幼馴染が現れたってわけだ。

 しかも毘奈は、自分がいくら優れていようとも、誰にでも分け隔てがなく、彼女たちの大好きな階級主義みたいなものには、一切興味がなかったんだ。

 出る杭は打たれる。彼女たちは最初毘奈を仲間に加えようとしたが、毘奈が拒否した為関係は一気に拗れた。

 そこで彼女たちが目をつけたのが、当時飼育委員をしていた毘奈が可愛がっていたウサギだった。彼女たちはウサギ小屋の扉をこっそり開き、ウサギを逃がして責任を毘奈に擦り付けたんだ。



 「ただでさえウサギがいなくなって悲しいのにさ、その子たちは私が扉を閉め忘れたって言うし、状況的に先生も信じてくれなかったの。私さ……もう悔しくて、悲しくて、泣くことしかできなかった……」

 


 ああ、よく覚えている。普段完璧すぎるくらいの幼馴染が、理不尽な目に合って泣き崩れる光景を。

 別に僕は、根拠もなく毘奈を庇い立てする気なんてなかった。ただ僕は知っていただけだ。このムカつくくらい優秀な幼馴染が、ウサギ小屋の扉を閉め忘れる可能性など、万に一つだってないということを。



 「そしたらね……吾妻が先生に、『先生は、真実が何なのかを多数決で決めるんですか?』……って言ってくれたの。そしたら先生もバツが悪くなったみたいでさ、色々調べてみたら、ちゃんと目撃した子が見つかったんだ!」



 毘奈は少し目を潤ませ、嬉しそうに微笑んでいた。僕としては、普段何をやっても勝てないチート幼馴染に、一泡吹かせてやったくらいにしか思ってなかったんだけどね。実はこんなに感謝されていたとは……。

 そして、それを横で聞いていた霧島は、毘奈に寄り添うようにして、優しい口調で言った。



 「そうね……私も那木君のそういうところ、最高にロックだと思う……」



 僕には分かった。霧島のこの何気ない一言は、彼女にとって最大の賛辞の言葉だったんだ。僕はそれを確かめるように彼女を見つめ、霧島は穏やかな微笑でそれに応えてくれた。

 僕と霧島の間に異様な空気が生まれた。まるで時が止まったみたいだった。その空気を読み取ったのか、毘奈は急に空元気な声を上げる。



 「おーおー、お熱いお熱い! じゃ、後はお若い二人に任せて、お姉さんは帰りますか!」

 「あー、もう遅いし、そろそろ俺も……」

 「ダメダメ! ちょっと吾妻、こっち来なさい!」

 「え……ええ!?」



 僕が毘奈の帰りに便乗しようとすると、毘奈は都合の悪そうな顔をして僕をキッチンへと引っ張る。霧島は首を傾げた。



 「あんた馬鹿? せっかくマリリンといい雰囲気なのに、ここで帰ってどうすんの! 空気読みなって!」

 「いや……でも、なんか逆に二人だと緊張すると言うか……」

 「吾妻がそんなんでどうするの! 男なんだから、やるときはガツンと決めてきなさい! いーい?」

 「あ……ああ、頑張るよ(よく分からんが……)」



 そんなこんなで、毘奈は本当に帰ることとなり、僕と霧島は玄関で毘奈を見送る。全く、こういうとこ、本当にお節介なんだよな。



 「マリリン、今度また遊びに来てもいいかな? 次は光ちゃんも一緒にね!」

 「ええ、歓迎するわ」

 「吾妻、私が帰ったからって、マリリンに変なことしちゃダメだからね!」

 「す、するかボケ! (殺されるわ)」



 毘奈は相変わらず軽口を叩いて僕を揶揄うし、天真爛漫に振舞っている。傍から見る限り、彼女の笑顔には何の淀みもなかった。

 天城 毘奈は誰にでも分け隔てがなくて、こいつといれば周りは皆幸せになる。霧島や赤石だって例外じゃない。だけど、何でだろう。どうして当のお前自身が、そんなに寂しそうな顔をするんだよ……。

 別れを告げて歩いて行く毘奈の背中を、僕は複雑な心境で見つめていた。幼馴染の勘ってやつだ、毘奈は心の奥に何か気持ちを隠している。

 


 「……吾妻!」

 「毘奈……?」



 そんな僕の気持ちに呼応するように、毘奈はいつも見せないような切ない顔をして振返り、僕の元へと必死に走って来たんだ。

 そう……今まで決して告げることのできなかった、彼女の本当の気持ちを僕へ伝える為に……。



 「吾妻……さっきはああ言ったけど、チューまでだったら許してあげるからね!」

 「早く帰れ!」

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