きっと飾ってね

「登録してって言ったのに、ひと月は無視したね」

「49日を待ってて」

「本当に、そういうところがケイちゃんだわ」

 今日は長い髪を巻いておろしている真理奈が、前髪をかきあげながら言った。49日を待ったというのは適当な言い訳で、検索して出てきた真理奈のIDを眺めるだけで、それ以上の行動には移せなかったのだ。

 検索出来ない設定にしていたはずの啓子のIDに、先に申請を送ってきたのは真理奈だった。顔の広さと押しの強さで、啓子の唯一といっていい幼馴染とコンタクトを取って紹介機能を使って啓子のIDを手に入れたのだ。そんな機能があることも知らない啓子は、突然送られてきた真理奈からの申請に驚いた。その一方で納得もした。彼女が決めたことは必ず決行されるのだ。

 そしていま、二人は真理奈の選んだカフェバーに居る。

 パフェが有名だとの事前の情報通り、やたら細長いのやらワイングラスみたいなの、金魚鉢や花器にしか見えないような器まで、種々の美しい盛り付けのパフェの写真がメニューに並んでいる。午後からはワインの提供もしているらしく、真理奈はさっそく白ワインの頁を開いている。

「どうして私に声なんかかけたの」

「先に声かけて来たのはケイちゃんじゃない。お手洗いで」

 白ワインの長ったらしいカタカナの字は小さすぎて、真里奈は目を細めたり顔を離したりしながらそれを読んでいる。

「知り合いに偶然会ったからってだけでしょ」

「でもあんなところで会うなんて何か運命みたいな感じじゃない? それに私、あなたに告白されたことあるし」

 あっけらかんと言い放ち、メニューから顔をあげて真理奈は笑った。

「告白? なにも思い当たらないけど」

「大好きで大嫌いって言われたよ。大嫌いで大好きだったかもしれないけど」

 大嫌いという強い感情を自分が抱いていて、しかもそれを当人に伝えるだなんて信じられなかった。

 しかし全体として映えない中学生時代の記憶の中でも真理奈の存在は強烈で、もしかしたら当時の啓子はそう言い逃げしたのかもしれなかった。大好きだなんていうのは、真理奈の嘘か都合の良い脚色だろうけれど。

 真理奈は欲望に忠実で、その実現のためにはすべての持ちうるものを使う。その点は現実的な性質だが、真理奈の都合の悪いことはいつの間にか虚になって、都合のよいことは実として押し通される。その時のパワーは圧倒的で、恐ろしかった。

 恐ろしいが、見ることはやめられなかった。それだけの磁場を持っていた。それが啓子にとって抗いがたい強力なものだったのだ。

「言ってないと思うけど。いいや。飲むの? パフェは食べないの?」

「合うのよ、決めていい?」

「パフェがまだ決まらない」

「先にワインだけ、乾杯してからゆっくり考えるの」

 そういう作法だとでも言うように断言されて、啓子は黙って従った。真理奈が目線だけで呼びつけた店員と、親しげに会話を交わしながら注文するのを、懐かしい気持ちで啓子は眺めた。

「どれも美味しいから、いつも迷っちゃって決められないの。パフェはちょっと考えるね」

「季節限定のものも出ていますよ、マリさんがお好きそうなのはこれかな」

 店員がラミネートされた季節限定のメニューから、マンゴーとトロピカルフルーツの鮮やかなイエローが層を成すパフェの写真を指差して答える。ここでは「マリさん」と呼ばれているらしい。常連なのかもしれないが、たとえ一度か二度来ただけでもこのように振る舞えるのが彼女だ。

「うん、それ気になってるの。でもイチゴのソルベとレモンジュレもすっごく美味しそうだし」

「どうぞごゆっくり選んでくださいね」

 店員が啓子にも会釈して去っていく。真理奈は見もしないで手だけ軽く振って応えたあと、前髪をかきあげると、テーブルに両肘をついて上半身を乗り出した。

「ねえ、ところで今保険って入ってる?」

「入ってるけど」

 突然切り出された啓子は思わず素直に答えてしまった。

「医療? 生命?」

「あなたにそんなこと話す義務ない」

「あるわよ! 私保険には詳しいの、ね、今の保険に満足してる? 私優秀なんだから」

 どうやら真理奈は保険の営業をしているらしかった。確かに彼女の性格には合っているだろう、それにこの甘ったるい声で説明されてうっかり加入してしまう男も居そうではある。と啓子は瞬時に納得した。

 ちょうど運ばれてきたグラスワインを手にとると、彼女からの乾杯を拒むようにすぐに口をつけた。甘口のワインが飲みやすく、多めの一口をあおれば喉の焼ける感覚が気分を開放する。

「あなたにだけは相談しない」

「なんでそんないけず言うかなあ」

「あなたに相談なんかしたらすぐ信者にされちゃう」

 アルコールのまわりが早いのか、いつもの啓子なら口にしないような本音がつるりとこぼれ出た。そういえば昨晩は寝付けなかったし、今朝もずいぶんと早く起きてしまった。ペースをゆるめるか、と思っても、ついまた一口含んでしまう。

「そ。なら別の話しましょ」

 あっさりと引き下がった真理奈もまた、グラスを引き寄せて、優雅な仕草でグラスに口をつけた。

「にしても、面白いこというのね。信者って! 昔から面白かったけど」

「面白いのは愚図に見えてるからでしょ」

「ケイちゃんこそ、ひとのこと詐欺師かなにかと疑うみたいにいつも見ていたくせに」

「興味があったの、嫌いなタイプすぎて。言われたことも当たってる。私のほうが、私よりも、って比べてるの。くだらないやつだと思ってたでしょ」

「そんな事無い」

「ある」

 言い切って、啓子は水のグラスを手にとって背もたれに深く体を預ける。手元が揺れて、グラスの水がスカートに数滴垂れた。

「本当に興味があって、面白いって言ったの。他人を羨まない人間なんていないもん。すっごく素直なだけ」

「ああ、そうやって丸め込まないでよ」

「わかったわかった、楽しい話しましょ。ケイちゃんお酒弱いなら先に言ってよ」

 真理奈は両手をひらひらとさせて話題を打ち切ると、良いことを思いついたというように顔の前で手を叩いてみせた。

「ね! パフェを選ばなきゃ! 自分がいま一番食べたいのを選んで注文して、交換するってのはどう? 絶対お互いが羨ましくなる。どうせなら美味しくて楽しいことで比べ合わなきゃ」

「それ、本当に楽しいと思う?」

「希望を言うのは禁止、心理戦も禁止だからね」

「そんな事もとから出来ないわ、愚図だし」

 啓子はいじけた気持ちのまま真理奈に絡んだ。絡みながらも、きらきらしいパフェの写真を前に高揚するのも事実だった。

「それで、ヒガミ合いながらパフェ交換して、それからどうするの」

「ちゃんと友達らしいことしたいじゃない? 今度は相手にあげたいものを選ぶってのはどう?」

「パフェ?」

「まさか! 別のお店。時間はあるでしょ?」

「うん、夕方までは母が娘を預かってくれる」

「今年一年生だっけ、可愛いよねえ。懐かしいなあ」

「晩婚だったからね」

 生返事のつもりだったが、呼吸の少し浅くなる感覚があった。久々におしゃれな場所に行くのだしと、つけてみた婚約指輪のダイヤが光るのが啓子の目に入る。人生で初めて、贈られた指輪。まだ傷一つなく、体に対して大きすぎるランドセル。

 そこまで考えて啓子は意識を無理やりパフェに集中させた。

 パルフェビジュー、貴腐ワインのソースをかけて。アマレットのアイスクリーム。アマレットって何だったかしら。味は分からないから見た目だけで選んでみようか。わたしはチョコレートの気分だ。定番のメニューの方が好みだ。

 真剣に選んでいると、どうせ交換するという事を忘れそうになる。向かいの真理奈は難しい顔をして季節限定メニューのラミネートを睨んでいる。

 結局、真理奈はイチゴのソルベにレモンジュレ、ミントの添えられたパフェを選んだ。啓子はダークチョコレートにさくらんぼ、メロンのパフェを。オーダーして、お互いの前に置かれたパフェを交換する時、真理奈はいたずらをするような顔を見せる。残念、どうせどちらも美味しいんだから。と啓子は子供のいたずらを見守るような気持ちでパフェを受け取った。

「お花屋さんにしよ!」

 グラスに突き刺さるダークチョコレートの岸壁を砕きながら真理奈が続ける。

「今度は相手に似合うと思う花を交換するのはどう?」

 次の遊びの提案のようだ。

「私に似合う花か、きっと地味なんだ。もらっただけで凹みそうだわ」

「派手になりたい?」

「わからない」

 夏らしい爽やかな酸味を舌で楽しみながら、啓子は素直にそう答えた。

「部屋に飾れる花を贈り合おうよ。仏花じゃない花が買いたい」

「それもそうね」

 どこに飾ろうか。キッチンのカウンターがいいだろうか。自分のための花なんて久しく飾っていなかった啓子は、真理奈の提案に少し惹かれはじめた。

「きっと気に入るのを選んであげる」

「わたしは花なんかわからないもの」

「そういう人に選んでもらった花がたまには欲しいわ」

 いつももらってるような口ぶりが真理奈らしかった。さくらんぼを口に運びながら言葉を続ける。

「気が滅入る事ばかりだから、お友達に貰った花を飾って少しでも家を明るくしたいと思わない?」

「本当にね」

「……大樹、息子なんだけどね。事故なの。でも普段通らない道で、何もお店なんかない国道で、なんでそんな所にいたのか分からないの」

 啓子の喉に空気の球がつかえた。あの日盗み聞きした言葉を思い出す。

『だってダイキくんの方が飛び出してきたなんて、誠意のない』

 絶妙なバランスをもって突き刺さるダークチョコレートとメロンの三角形を、うつむいて取り崩しにかかる真理奈の表情は読めない。指についたチョコレートをナプキンでぬぐって、ついでに口の端を軽く舌で舐めた。

「わたしの選んだ花、飾ってね。きっと飾ってね」

 下を向いたまま、真理奈がそう呟いた。

 深く息を吸った啓子の胸にミントの香りが抜けていった。


 了

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あなたに似合う花を選ぶ 髙 文緒 @tkfmio_ikura

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