骨上げ
火葬を終えたという連絡が入り、啓子たちは骨上げの部屋へと移動した。部屋といっても、衝立のようなもので区切られているだけで、扉はなかった。衝立には仏教的な絵が描かれているが、それが何なのかは分からない。
ただ、沈黙の苦手な叔母たちが、お弟子様かしら、如来様かしら、立派何な絵でねえ、とささやきあっている。
ストレッチャーにのせられて骨が運び込まれてきた。
ストレッチャー自身が放つ熱気で、空間の温度が一気に上昇する。なるほどたしかにこれは密閉した部屋では耐えられない、特に夏の葬式ではね、と啓子は納得した。
まだ若く持病も無かった夫の骨は大きくて頑丈だった。みんなで汗をかきながら拾う。拾っても拾っても終わらない。焼いた石のように蒸気が骨から上がってくる。
親戚が一巡したのを見届けた係員は、時間を気にしてか、「お骨がご立派ですのでね、男性の方お手伝いいただけますか」と男手を求める。それはもはや作業で、熱気も相まって何かの工場のようだった。
啓子の向かい、箸渡しをする男手が交代していくが、啓子だけは場を譲らなかった。みな赤い顔をしながら作業を続けている。はじめの頃の畏怖をこめた手付きは失せていた。どんどんと速くなる箸渡しのタイミングをあわせるのに苦労する。額に前髪がはりついて、鬱陶しかったが、それを直すひまも無い。
朦朧とする頭で、過去に祖父を送った時のことを思い出す。
祖父は背の高い人だった。ひょろりと細長い体型で、普通のサイズのお棺には入らないのだと祖母が困ったように笑いながら話していたのを聞いた。その祖父の骨上げの時、啓子は高校の制服を着ていた。地味な紺色のボレロとワンピースの制服姿で、灰が舞って制服につくのが気になった。でもそんなことを気にしてはいけないのだ、と考えれば考えるほど気になって仕方がなくて、体中に燻されたような臭いがまとわりついた。その幻嗅はシャワーを浴びて寝てもとれず、翌朝目覚めたときにようやく気にならなくなった。それで、祖父が死んだということをはっきりと認識したのだ。
そんな祖父の骨上げの時、啓子が今しているように汗だくで拾っても拾っても終わらないなんてことは無かった。
子供の骨はもっと細いのだろうか。あの子の兄というのならきっとまだ成長しきらないくらいの歳だろう。それとも真理奈も背が高い方だし、今時は高校生くらいでも体格がいいのかもしれない。
今頃ふうふう言いながら渡し箸をしているのかしら。こうやって骨壺にぎゅうぎゅうに詰める係の人を見て、あの子なら露骨に嫌そうな顔をするんだろう。お骨の説明なんか、くだらないって顔で聞き流すんだろう。私はなんで相槌なんて打っているのかしら。啓子はそう思って、相槌をやめてみた。
焦点を合わせないように眺めてみれば、ただ骨は白く、みんな汗だくで退屈そうで、係員のマスクから出た鼻の頭にも脂だか汗だか分からないものが浮かんでいた。
やっと骨上げを終えて部屋を出る時、時間が押していたのだろう、係員は駆け足でストレッチャーを戻しに行った。ひと仕事終えたという雰囲気で、親戚間の空気は啓子を置いて勝手に軽くなっていた。
義父に骨壷を任せ、啓子は位牌を捧げている。
そこに、別の部屋から出てくる尾原家とかちあった。
夫らしき男性が、位牌を持っている。ああ、やっぱり夫が喪主よね、と啓子は思うとはなしに思った。男性は背が高い方ではなく、ピンヒールを履いてすらりと立つ真理奈と並ぶと同じくらいの背丈に見えた。シルバーに染めた髪を後ろに流しており、黒い円縁の眼鏡をかけている。普段なら眼鏡の印象しか記憶に残らないような、小さくて丸い目が、不自然に見開かれていた。
背を丸めて位牌を持つ夫と、背筋をのばして遺影を持って歩く真理奈は対称的で、だからこそ夫婦なのだと傍目にも分かった。
お骨はうつむき加減に歩く娘が、大事そうに抱えていた。あるいは重すぎたのかもしれない。骨壷のサイズは啓子の夫のものと同じに見えたから。
啓子が観察している間、真里奈も同様に啓子を見つめていた。立ち止まった二人に、それぞれの親戚は大半が気付かない。おしゃべりに夢中で、のろのろと歩いていく。ごく近い者だけが、不思議そうな顔をしてなんとなくそこに留まった。知り合いか、と両家から声が上がるが、二人の耳には入らなかった。
先に真理奈が動いた。真っ直ぐに啓子に向かい近づいてくる。その胸元に抱えられた遺影を、啓子は見るに耐えず目をそらした。真理奈は啓子の真横、肩が触れるほどの距離で止まった。そして耳元で囁いたのだ。
「ケイちゃん、またぜーーんぶ比べてるでしょ」
思いがけない言葉に返答が出来ずにいる啓子の顔を覗き込むようにして、真理子は言葉を続ける。
「マリナばっかり、マリナはずるい。マリナよりも頑張ってる。マリナよりもかわいそう。マリナが大嫌いで気になって仕方がない。変わらないね」
身をひねって真理奈と距離をとろうとした啓子の目に、真里奈の抱える遺影が写った。光の反射の加減で、少年の八重歯の覗く口元だけが見える。それだけでも、きっと真里奈に似ていたのだろうと分かって、真里奈の言葉への感情も返答も失せてしまった。
立ち尽くす二人の間に沈黙が流れたとき、真理奈の夫がおーい、と呼ぶ声が響いた。憔悴した見た目に似合わず、どこか気の抜けた声だった。息子を失った父親の声とはこういうものなのだろうか。
夫を失った私の出す声は、正しく沈んでいただろうか。啓子は今の自分の感情がわからない、という事をはじめて認めた。わからないなら、ふさわしい振る舞いに合わせようと感じていた。
「鷹藤さん……マリナ、さんは、いつでもマリナさんなんですね」
鼻から短く息をぬいて笑って見せた真理奈は、啓子の袖を掴んで、
「名前でラインやってるから検索して。尾原の方ね。ねえ、絶対。絶対だよ」
と言い残して踵を返した。テンポのよい足どりでハイヒールを鳴らして去るその先には、夫と娘が困ったような顔で待っているが、その歩調が早まることは無い。
やはり、あんなに美しく喪服を着こなすひとは他にいない、と啓子はその背中を見送った。
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