2.
道具屋で買い物を終えたあの獣人少女がスリーヴァの目前に迫ろうとしていた。獣人の傍を通る時は、どんなに恐ろしくても、絶対に走ってはならぬ。にこにこ卑しい追従笑いを浮べて、無心そうに首を振り、ゆっくり、ゆっくり、内心、背中にイビルワームが十匹這っているような窒息せんばかりの悪寒にやられながらも、ゆっくりゆっくり通るのである。スリーヴァはつくづく自身の卑屈がいやになる。泣きたいほどの自己嫌悪を覚えるのであるが、これを行わないと、たちまち噛みつかれるような気がして、スリーヴァは、あらゆる獣人にあわれな挨拶を試みる。髪をあまりに長く伸ばしていると、あるいは野生動物と間違えられて吠えられるかもしれないから、エルフの魂とも言われる長い白銀の髪をバッサリと肩の上で切り揃えた。士官の証である長剣など持って歩くと、獣人のほうで威嚇の武器と勘ちがいして、反抗心を起すようなことがあってはならぬから、長剣は近所の沼に永遠に廃棄することにした。ズブズブ……。そうして、獣人の心理を計りかねて、ただ行き当りばったり、むやみやたらに御機嫌とっているうちに、ここに意外の現象が現われた。
スリーヴァは、獣人に好かれてしまったのである。尾を振って、ぞろぞろ後についてくるのだ。
スリーヴァは、じだんだ踏んだ。じつに皮肉である。かねがね彼女の、こころよからず思い、また最近にいたっては憎悪の極点にまで達している、その当のケダモノに好かれるくらいならば、いっそオークに慕われたいほどである。どんな生き物にでも、好かれて気持の悪いはずはない、というのはそれは浅薄の想定である。プライドが、虫が、どうしてもそれを許容できない場合がある。堪忍ならぬのである。スリーヴァは、獣人をきらいなのである。早くからその狂暴の猛獣性を看破し、こころよからず思っているのである。ヒトの王国で暮らさんがために、同族を売り、山を挟んで人間の土地に住み着き、忠義顔して、同類であるケモンガルドの民を貶める物言いをし、旧き故郷を、けろりと忘却し、ただひたすらに人間の顔色を伺い、阿諛追従てんとして恥じず、ぶたれても、きゃんといい尻尾まいて閉口してみせて、ヒトの雇い主を笑わせ、その精神の卑劣、醜怪、犬畜生とはよくもいった。日に十ヘストル(一ヘストル≒一里)を楽々と走破しうる健脚を有し、ワイバーンをも斃す白光鋭利の牙を持ちながら、
「あ! エルフのお姉さん、こんにちはー!」
「げっ……!」
気がつくと件の獣人の少女が目の前にいた。一見すると歳の頃十ばかりの可愛らしい少女であるが、赤毛のショートヘアの上にはやはりあの忌まわしきケモ耳、唇の端には禍々しい牙が覗いている。まつ毛の長い鳶色の瞳には秘境の泉が如き澄みきった輝きがあるものの、それは無垢をよそおいこちらの警戒心を解こうとするあさましい算段の表れでしかないのは明白である。いまにも踵をがぶりとやられはせぬかと生きた気もせず、けれども毎度のことであり、観念して無心平生を装い、ぱっと脱兎のごとく逃げたい衝動を懸命に抑え、抑え、「ぐっ……ここここ、こんにちは」挨拶を返しぶらりと歩き出そうとすると、「どこいくのー?」と呼び止められてしまった。
「かか、街道の警らに向かうのである」
「今日はいい天気だねー」
「そそっ、そうであるな……というかお主何故ついてくる」
「だってケケルも方向が同じだもーん」
ケケルとかいう獣人少女はスリーヴァについてきながら、みちみち同族を見つけてはお互いにモフり合いなどはじめて、スリーヴァは、わざと振りかえって見もせず、知らぬふりして歩いているのだが、内心、じつに閉口であった。炎の魔導書でもあったなら、躊躇せずドカンドカンとFB《ファイアボール》でまとめて焼き殺してしまいたい気持であった。獣人は、彼女にそのような、
<3.へつづく>
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