ケモミミ談

N岡

1.

 ハーフエルフのスリーヴァは獣人について一つだけ信頼できる部分があると考えていた。いつの日か必ず人類に牙を剥くであろうその獰猛さへの信頼である。人類はきっと彼らに蹂躙されるに違いない。もはや確信であった。獣人の国『ケモンガルド』との停戦条約により、弾圧の対象であった彼らが王国内での暫定市民権を得て三十余年、よくぞ今日まで内乱も起きず平和に過ごしてきたものだと不思議な気さえしているのである。獣人はヒトに非ず、すなわちケダモノである。素手で野生動物を狩り、場合によっては魔物を殺してその血肉をむさぼり喰らうというではないか。さもありなんとスリーヴァはひとり睥睨する。見よ、あの通りに佇む獣人の唇の端に覗く鋭い牙を。あの禍々しさ、人間ではない。今はあのように道具屋の前で無垢をよそおい、獣の耳がついているだけでヒトの少女となんら変わりはないのだと言わんばかりに、店の品を覗き込んだりしてみせているが、もともと素手で魔物を殺すほどのケダモノである。いつなんどき、怒り狂い、獣の本性を暴露するか、わかったものではない。獣人などかならず鎖に縛り付けておくべきなのである。少しの油断もあってはならない。


「おじさーん! この薬草ひとつちょうだーい!」

「あいよー。おや、お前さんは獣人村のぉ……」

「ケケルだよ! おじさんたらいい加減じょーれんの名前くらい覚えてよね」

「やや、すまんすまん。どうだね、お母さんの具合は」

「うん、だいぶよくなってきたよ。おじさんの調合のおかげだね」

「なはは、それはよかった。お前さんのような可愛い子に褒められると嬉しいのう。なはははは!」


 見よ、あの道具屋の腑抜け面を。獣相手にすっかり油断しきっている。条約締結以降、王国の人々の多くは、みずから恐ろしき獣人達と触れ合い、彼らが愛玩動物のような耳や尻尾を持っているという理由だけにて、まったくこのケダモノに心を許し、ケモやミミやなど、気軽に愛でて、さながらヒトの一員のごとく身辺に近づかしめ、三歳のわが愛子をして、そのケダモノの耳をぐいと引っ張らせて大笑いしている図にいたっては、戦慄、眼を覆わざるを得ないのである。不意に、獣人の凶暴化状態である『魔獣化』などでもされて喰いつかれたら、どうする気だろう。


「それじゃ、また来週くるね!」

「あいよー! 気ぃつけてなー!」


 そう、気をつけなければならぬ。魔獣使いですら、噛みつかれぬとは保証できがたいケダモノに、(魔獣使いだから、絶対に喰いつかれぬということは愚かな気のいい迷信にすぎない。あの恐ろしい牙のある以上、かならず噛む。けっして噛まないということは、魔獣学的に証明できるはずはないのである)そのケダモノに、市民権を与えて、気軽に買い物など行かせるとは、どんなものであろうか。昨年の晩秋、スリーヴァの同僚が奴らの被害を受けた。いたましい犠牲者である。同僚の話によると、彼が街の近郊、獣人村付近の街道を警ら中、獣人の少年が道の脇にある岩にちょこんと座っていた。同僚は何もせずにその岩の傍を通った。獣人の少年はその時、いやな横目を使ったという。何事もなく通りすぎたとたん、わんといって右の膝に喰いついたという。災難である。一瞬のことだった。友人は呆然自失、ややあってくやし涙が沸いて出た。


「うえっ。膝に牙を受けてしまった。これではもう、勇敢な戦士としてやっていけないかもー」


 さもありなん、とスリーヴァは買い物を終えてこちらへ向かってくる獣人の少女を睨みつけている。そうなってしまったら、ほんとうに、どうしようも、ないではないか。同僚は、痛む脚をひきずって医者へ行き手当てを受けた。それから二十一日間、医者へ通ったのである。三週間である。その上、膝の傷が治っても、心の傷は治らないかもしれぬという懸念から、癒しを求めエルフの遊郭に足繁く通わねばならなかった。獣人村に談判するなど、ケモンガルドとの停戦条約のある手前、とてもできぬことである。じっと堪えて、おのれの不運に溜息つく他ない。しかも、エルフの遊郭はけっして安いものではなく、そのような余分の貯えは失礼ながら同僚にあるはずもなく、いずれは苦しい算段をしたにちがいないので、とにかくこれは、ひどい災難である。大災難である。遊郭に通いながらの、同僚の憂慮、不安は、どんなだったろう。同僚は苦労人で、ちゃんとできた人であるから、醜く取り乱すこともなく、三七、二十一日遊郭に通い、エルフに癒され、今は職場に復帰しているが、もしこれがスリーヴァだったら、その獣人、生かしておかないだろう。スリーヴァは人の三倍も四倍も復讐心の強いハーフエルフの女なのであるから、また、そうなると人の五倍も六倍も残忍性を発揮してしまうハーフエルフの女なのであるから、たちどころにその獣人の頭蓋骨を、めちゃめちゃに粉砕し、眼玉をくり抜き、ぐしゃぐしゃに噛んで、べっと吐き捨て、それでも足りずに獣人村の住人をことごとく斬り殺してしまうであろう。こちらが何もせぬのに、突然わんといって噛み付くとはなんという無礼、狂暴の仕草であろう。いかに王国内では肩身の狭い少数民族であるといえども許しがたい。少数民族ふびんのゆえをもって、人はこれを甘やかしているからいけないのだ。容赦なく酷刑に処すべきである。昨秋、同僚の遭難を聞いて、スリーヴァの獣人に対する日ごろの憎悪は、その頂点に達した。肩から漏れ出たマナが燃え上がるほどの、思いつめたる憎悪である。

 王都の士官学校を卒業したスリーヴァはことしの初め、王国の東、ビルネー山脈の麓の街『リュッケンシュルト』への配属が決まり、八ヘクタム(一ヘクタム≒一畳)、三ヘクタム、一ヘクタムという部屋を借り、謎間取りながらそれなりに充実した士官ライフを過ごしていたのであるが、このリュッケンシュルトの街、どこへ行っても獣人がいる。おびただしいのである。往来に、あるいは佇み、あるいはながながと喋くり、あるいは疾駆し、あるいは牙を光らせて嬌笑し、ちょっとした空き地でもあると必ずそこは獣人村のごとく、組んずほぐれつ格闘の稽古にふけり、夜など無人の街路を風のごとく、ゴブリンのごとくぞろぞろ大群をなして縦横に駈け廻っている。リュッケンシュルトの家ごと、家ごと、少なくとも二人ずつ間借りしているのではないかと思われるほどに、おびただしい数である。ケモンガルドとの国境であるビルネー山脈の麓は、もともと獣人の暮らす地域として知られているが、街頭で見かける獣人の姿は、けっして噂に聞くような誇り高き戦闘民族のそれではない。赤毛の犬型ケモ耳少女が最も多い。採るところなきあさはかな駄犬ばかりである。もとよりスリーヴァは獣人に対しては含むところがあり、また同僚の遭難以来いっそう嫌悪の念を増し、警戒おさおさ怠るものではなかったのであるが、こんなにケモ耳少女がうようよいて、どこの横丁にでも跳梁し、あるいはとぐろを巻いて悠然と寝ているのでは、とても用心しきれるものでなかった。スリーヴァはじつに苦心をした。できることなら、トゲのついたすね当、刃のついたこて当、命を刈り取る形をしたかぶとをかぶって街を歩きたく思ったのである。けれども、そのような姿は、いかにも異様であり、王国の風紀上からいっても、けっして許されるものではないのだから、別の手段をとらなければならぬ。スリーヴァは、まじめに、真剣に、対策を考えた。まず獣人の心理を研究した。人間やエルフについては、彼女もいささか心得があり、たまには的確に、あやまたず指定できたことなどもあったのであるが、獣人の心理は、なかなかむずかしい。王国の公用語が、獣人とヒトとの感情交流にどれだけ役立つものか、それが第一の難問である。言葉が役に立たぬとすれば、お互いの素振り、表情を読み取るよりほかにない。しっぽの動きなどは、重大である。けれども、この、しっぽの動きも、注意して見ているとなかなかに複雑で、容易に読みきれるものではない。スリーヴァは、ほとんど絶望した。そうして、はなはだ拙劣な、無能きわまる一法を案出した。あわれな窮余の一策である。スリーヴァは、とにかく、獣人に出逢うと、満面に微笑を湛えて、いささかも害心のないことを示すことにした。夜は、その微笑が見えないかもしれないから、無邪気に妖精の唄を口ずさみ、やさしいハーフエルフであることを知らせようと努めた。これらは、多少、効果があったような気がする。獣人は彼女には、いまだ飛びかかってこない。けれどもあくまで油断は禁物である。


<2.へ続く>

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