第15話 不撓不屈の魂を持て

 100万の軍勢、その馬蹄が轟く。馬のいななきは雷鳴のごとく、馬蹄のとどろきは天地をどよもす。皇国と大公家の一戦、それが決着したかと思えた瞬間、見澄ましたかのようなタイミングで入来した元帥・朝比奈大輔の軍勢は大陸の歴史上屈指の兵力に加え、まぎれもなく史上、最も洗練された武装に身を包む。ナヴェレ河畔の戦いの勝利者たる皇国軍はすでに満身創痍であり、ただでさえ数で圧倒されているうえに帝国軍の武威を支える能わない。乕はひとまず全軍を約40㎞ほど下がらせた。


「撤退! 算を乱すことのないように! 山谷地帯の隘路に敵を誘引して迎撃します!」

 天桜を指揮杖がわりに、男にしてはやや高めの声が陣中に響き渡る。不思議と兵士たちの心を奮い立たせ、この主君を盛り立てて勝たせてやろうという気にさせる声はやはり父譲りのカリスマというべきであった。新羅乕以下の約8万は明染焔の大公家の軍約6万を接収して混乱をきたすことなく、潰走を装いつつもその実は整然と、山谷地帯へと帝国軍を引きずり込もうとする。


「罠か…。いいだろう、罠ごと食い破る!」

 朝比奈大輔は皇帝エーリカから拝領した疾風装騎兵2万を選抜、皇国軍中に馳せ入り、名に恥じぬ疾風の用兵で冲撃する。大輔が皇国軍の鼻先を打撃し、これに皇国が反撃の挙動を見せるや副官に率いられた帝国軍本隊が前に突出した皇国軍を撃つ。大輔の突撃に付き合わず自軍の形勢を整えればいいのだが、強烈な突撃はただの誘いではなく油断すればそこから一気に全軍を瓦解させに来る威力。全力で相手せざるを得ず、誘引をしかけているはずの皇国軍が逆に大輔を囮にした帝国の戦術にいいように翻弄されてしまう。


「全隊奮起! ……大輔くんすごいなぁ~、鬼気迫るってゆーか。今日は実力以上にみなぎってる感じ…」

 牢城雫は銘刀・白露をかざして疾風装機兵の前に出る。雫の獲物は長刀だが、率いる部隊の武装はおのおの9メートルに近い長槍。これだけ長いと突き刺す用途には使いにくいが、それで構わない。この際の使用法は振り回して間合いに入る前に敵を殴り、なぎ倒すことだ。こうして騎兵の衝撃力を殺し、動きを止めた敵騎兵隊に、


「撃てぇーぁっ!!」

 後方から、上杉慎太郎に率いられたライフル銃兵隊の一斉掃射が薙ぎ払う。そして側面から梁田詩の軽騎兵隊が襲う! 完璧な誘引はできなかったがこの際はやむなし、覇城すせりの作戦による複合兵科連撃は功を奏し、疾風装機兵の動きを鈍らせる。


 それでもなお。


 朝比奈大輔は止まらない。彼は卓越した統率力でもって不利を覆し、奮撃して雫、上杉、詩の三人を押し返す。かつての、副将たることに満足していた朝比奈大輔は皇帝・新羅辰馬の遺命「元帥となり民草を守護せよ」を遵守し、大元帥・大公家惣領・明染焔にも劣らない将器を発揮するに至っている。大輔の率いる数万だけで雫たち3人と互角であり、さらにそこに帝国軍100万が叩きつけられるのだから支えることは難しい。かろうじての意地で戦線を維持してはいるが、どれほど支え続けられるかわからなかった。


「軍を引いてください、元帥・朝比奈大輔! 新羅辰馬の世子たる僕と、新羅辰馬の忠臣であるあなたと。両者が争う理由がない! これは帝国が仕掛けた両虎共食の罠です!」


 後方から、乕が叫ぶ。このセリフは覇城すせりが言わしめたものであり、彼女の読みは極めて正しい。皇国と大公家を食み合わせて大輔に始末させ、さらに皇国・大公家の勝者と大輔が喰い合ったあとでさらにその勝者をも始末する。それが女帝エーリカと宰相出水の策であり、もし兵を全うして還ったとしても狡兎死して走狗煮らるる、大輔は捕らえられて殺されるだろう。エーリカにとって先帝健在時のころを知る大輔は目の上のたんこぶである。出水も同じ立場ではあるが彼は国を治めるうえで替えの効かない政治力と文化的才能という能力で地位を安泰としており、その点において決定的に違う。


 それでも。


「知らんな! たとえそうであったとして、俺は帝国元帥! ここで節を枉げるわけに行かん!」


 そう叫ぶ大輔の脳裏に妻の力ない微笑みがよぎるが、それでも元帥としての節を枉げて皇国と結ぶことはできない。新羅辰馬と約束した「元帥として民草を護る」という言葉を遵守するために、彼は愚直なまでに約束を守り続ける必要があるのだった。


「言葉では無理ですか…、では、これでいきましょう」

「わかりました。…出ます!」

 すせりの言葉に、乕が出撃する。手には蛇腹の短刀、紫髪は銀に染めぬき、童顔の化粧。先刻来の新羅辰馬の扮装であり、先帝の写真をもとにより化粧を辰馬に似せて出た乕を見て、大輔はビクリと戦く。


「新羅、さん…!?」

 一瞬、大輔の中で青い記憶がよみがえる。蒼月館に入学し、強すぎるゆえの孤独を抱えて荒れた日々、そこに現れた新羅辰馬、それからの鮮やかに色づいた、あまりにも充足した毎日。蒼月館2年、新羅辰馬と神楽坂瑞穂の邂逅、女神サティア討伐、学生会騒乱と竜の魔女ニヌルタ、魔皇女クズノハと第2時魔神戦役、女神の離反、正式な軍属になり、大陸唱覇と言われる一連の戦争、新羅辰馬の皇帝登極、その最終局面の対ウェルス戦、新羅辰馬不在の10年と最後に辰馬と戦った女神イーリス戦、そして皇帝の崩御。一瞬でそれらすべての思い出が去来し、大輔は涙を流す。皇帝の死に目に会えなかった大輔の抱える慙愧はあまりにも重く、魂を過去に引き戻された放心してしまう。


「朝比奈卿と100万の師、どうか僕とともに帝国の打倒を…」

「…駄目だ! 帝国はなものにも代えがたい、新羅さんの遺産! 貴様が新羅さんの息子であったとしても…侵させんッ!」

 大輔は乗騎の馬腹を蹴り、槍をしごいて乕に躍りかかる。しかし逡巡ゆえかその動きは先刻までに比べて明らかに精彩を欠く。


 乕と大輔の一騎打ち。実力では大輔の方に分があるが、上記の理由から動きを鈍くした大輔であれば乕にも十分な勝機あり。両者ともに剛烈の武技をもっての激突、すべてが一撃必殺の応酬を互いにことごとくかわしてカウンターを繰り出す。戦場は馬上からもつれあって地上に移り、互いにすかさず立ち上がるとまた交錯する。短刀から放たれる蛇腹、それを槍でからめ、引き寄せて突き、引き寄せられる途中で蛇腹を戻し、手中の重みが消えてつんのめった相手の顔面に抜き打ち、それを槍を持つのとは反対の手で受け、払いつつカウンターの拳を繰り出した相手の顔面に、こちらも短刀を持つのとは逆の腕でカウンター。それらすべてを互いに回避し、次の動きへとつないでいくのは一種約束組手のような型にはまった美しさがある。


 が、ここは戦場であって。両軍互いに容赦はない。


「今です、上杉卿!」

 すせりの声が飛ぶ。上杉は一瞬だけ逡巡の色を見せるが、次の瞬間には冷厳な狩人の目になった。「悪いな、筋肉ダルマ…大輔」マスケットを構える。ダン、と火を噴いた。薬莢が地に堕ちるより先に、大輔の身体が揺らめいて倒れる。


 強力な統率者を失った軍隊は脆い。部隊長・分隊長レベルの人材なら潤沢だが大輔に代われるだけの人傑を得ず、一躍反転逆撃に転じた皇国勢10万に帝国軍100万は瓦解させられる。破城すせりの策と上杉慎太郎の狙撃、それを可能ならしめたのは皇帝・新羅乕の扮装であり、ひいては先帝・新羅辰馬の幻影であった。


「申し訳、ありません……陛下……」

 地に倒れたの半身を大輔を緋咲が起こすと、憑き物の落ちた顔で大輔は言った。致命傷であり、すでに命は助からない。彼が即死しなかったのは新羅乕に先帝の意志を届けてから死にたいという意志の故のみであり、もはや命がないという状況になってようやく、大輔は自らを縛る縄から解放されることができた。


「朝比奈卿……」

「情けない顔をなされるな、陛下。……あなたに、一つ問いたい」

「何でしょうか?」

「帝国を打倒して、いかな邦を作るおつもりか?」

 穏やかだが厳粛な顔と声音。一切の嘘やごまかしの通用しない顔だった。


「……ひとが穏やかに、自由でいられる国を」

「そうですか……、ご父君と同じことを仰る。あなたは先帝……、新羅さんの思い出をほとんど、持っていないはずですが」

「ええ、知りません。昔は父のことをただのだらしない女たらしだと思っていましたが、最近それだけでもないのかと思うようになりました。…あなたに、父のことを聞きたかった」

「この傷では長く語ることはできませんが…、なにがあってもあきらめないことです。新羅さんはそれですべてを成し遂げられた。神と魔の支配を払い、運命というものに縛られた人々を回復された。あなたも不撓不屈の魂を持たれれば、帝国打倒も、穏やかで自由な世界も達成できるでしょう…」

「不撓不屈…、はい、肝に銘じます」

「……最後に、ひとつだけお願いをしてもよろしいか?」

「はい。なんなりと」

「では、早雪さん…妻の身柄の安全を保障してください」

「了解しました。必ず」

「安心しました。では……新羅さんのところに行くとしましょう……陛下に勝利と栄光がありますよう…」

 この言葉を最後に、帝国元帥・朝比奈大輔の魂は世を離れる。乕は叔父と言ってもいい父の友の死に涙を流し、旧知の牢城雫、上杉慎太郎の悲しみはひとかたならないものがあった。とくに自ら止めを刺すことになった上杉の悲しみは深い。


 この地でしばし休養した皇国軍は大公家の軍を完全に接収、半竜種の驚異的な回復力で傷から復活した明染白夜、神経痛から回復した明染焔を仲間に加えて募兵、合計25万となって北上、帝都ザントライユを目指す。

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黒き翼の大天使~外篇・紅蓮の女帝 遠蛮長恨歌 @enban

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