第14話 ナヴェレ河畔の戦い-2

父・焔のげんこつを食らって幕舎に戻った明染白夜は、そこでようやく自分が負傷していることに気づく。


焔の剛拳によるものではなく、しかも甲冑越しの傷はかなり深い。すぐに倒れて動けなくなるほどの重傷ではないが、それでも白夜は驚いた。竜種の母を持つ白夜の肌は竜鱗、見た目も肌の柔らかさも普通の人間と変わらないが、強靱さに関して言えば竜の強靱をそのままに受け継いでいる。それを、神と魔が存在し魔法というものがあった前時代の技ならともかくとして、現代の、肉体の技量のみでここまで深く傷つけてのけるとは……。


対するに、牢城雫のびんたで吹っ飛ばされた新羅乕もまた、自陣で驚嘆させられていた。


愛用の短槍が、陣に戻った瞬間ばらりと割れて砕けて落ちた。穂先以外は木製とはいえ、神官(そのあたりの真偽は相変わらず、不明なままだが)の祝福も受けた業物が、狙ったように刻まれている。相手がもし本気で自分を殺しに来ていたら、一撃を入れる前に切り裂かれていた、と思うとぞっとする。


これが、世界の命運がかかった戦い……ですか。


乕は戦慄を心の中に押しとどめ、鎧を脱ぎ、汗をぬぐう。やはり服を脱ぐと、乕と父・新羅辰馬は似ていない。生ぬるい日向で培養された辰馬の柔肌に対して、乕のそれは秋霜烈日の中で鍛え上げられた鋼だ。肌の焼け具合も全然違う。この肉体があってはじめて戦えるのだから、育ての母・牢城雫には感謝しかない。なんなら想いも遂げたいところだが、おそらくそれが遂げられることが決してないのはようやく、乕も理解しつつあるところ。それほどに新羅辰馬と牢城雫の間の絆は強く深い。


侍臣たちの助けを得て着替える。なにせ今日の戦陣で乕は「皇帝・新羅辰馬」に扮するため、一度服を脱ぎ、化粧を落としてしまうともう一度外見を繕うのに時間がかかるのだった。


「伝令! 覇城すせりさまが入来されました! 皇国の一将領として参戦のご意向!」

 着替えの最中、天才軍師の到来が告げられる。帝国、エーリカとの外交交渉にはあたってくれたがその後またヒノミヤに戻り、ヒノミヤのみを守るのか皇国に参与してくれるのか不明瞭だったすせりだが、ここにきて皇国につく。


「万軍だ……!」

 すせりの予知能力にも等しい知謀はすでにもう何度か見せつけられた。であるなら、すせりが自分たちに味方すると言うことは絶対の成算が……、


「残念ながら、成算はありません」

 化粧も途中で迎えに出た乕に、すせりはにべもなく言った。そしてくすくすと口を押さえて含み笑い。美青年が美少年に扮装しようという途中だと、まあ、有り体に言ってオカマにしか見えない。


「笑わないでくださいよ。僕だって父の真似なんかしたくはない」

「ふふ、そうですね。乕公は素のままの方が魅力的です。ですが、戦場にあっては『完全無欠の赤帝』を模倣するのは効果的。そして、策がないにせよ『ヒノミヤの巫女軍師』がここにあるという事実が、一つの策にもなるというものです!」


 覇城すせり入来、その報せは大々的に全面的に吹聴される。ヒノミヤの巫女軍師が持つ予知能力、その噂を知るものがすせりの皇国参与を聞き知れば、やはり一様にこの戦、皇国の勝ちなのかと誰もが思う。大公家の士気は萎縮し、皇国のそれは奮い立った。そこにもってきて、着替えと化粧を直した乕がまた、新羅家と皇家の正統を叫んで全軍突撃を指示する。一度始めた陣法をその日のうちに変更することなどどんな名将にも不可能、ゆえに皇国は鶴翼、大公家は魚鱗でぶつかるしかなく、兵力互角であり、陣形の前進突破力は魚鱗である大公家が上、しかしそれでも、圧倒的な士気の差が大公家優位を大きく覆す!


「トラちゃん、今度は突っ走っちゃあだめだよ?」

 雫が言う。乕の周囲には雫のほかに上杉慎太郎、晦日緋咲、梁田詩らが居並び、先駆けした馬鹿皇帝が二度同じ馬鹿をやらないようにと見張る。乕としては内心でしゅんとしつつ対外的には自信満々な皇帝を装わねばならず、表情と態度の選択が非常に困難。


「これで、互角……」

「まだですね。向こうには生ける軍神、明染焔がいます。彼が姿を現して号令一下、突撃を命じればその瞬間、形勢は逆転するでしょう」

 乕の希望的観測に、すせりが冷静な批評を加える。


「であれば……どうします、これ以上打つ手は……」

「策がない、と言いましたけど。あれは嘘です。ひとつ、ここに来る前に布石を打たせていただきました。それがそろそろ、効果を現すはずです」

「?」


 すせりの言葉にもかかわらず、戦況は互角のままに推移していく。すでに全力以上を出してようやく互角の皇国軍に対し、大公家には「明染焔出御なれば」という一抹の希望がある。その希望の分の余力すらある。このままでは皇国に勝ちの目はない。


 焦慮する乕。その目の前で、川が撼いた。


 ナヴェレ川本流を前に両軍は布陣しているわけだが、これだけの大河が一本だけの流れで出来ているはずがない。前にも後ろにもいくつもの支流が有り、支流の中にはアカツキからぐるりと回って大公家の軍後を襲撃できるようなルートが有り、そしてさらにその中には大船団が乗り入れられるだけの川幅もあるのだった。


………………

「取り舵! このまま敵側翼に砲撃を加える! 皇国のつわものたちよ、我が国の進退、この一挙に有り!」

 旧帝国海軍元帥・梁田篤は大気を振るわすような怒号とともに指揮杖を振るった。砲手たちは元帥の命に従い、炉も焼き切れよといわんばかりに艦砲を連射、2番艦、3番艦もそれに倣う。わずか10隻に満たない軍艦に後方を擾乱されて、大公家の軍は次々と壊乱を来した。


 なにより強烈なことは、梁田の艦砲の長距離射程にあった。簡単に言ってしまって、大公家の反撃が届かないのである。帝国の最新鋭砲、アレを搭載した皇国軍の戦艦たちの有効射程は軽く1.8キロメートル。ライフル銃の最大有効射程が600メートルに満たないのだから、どうあっても殴り合いが成立しない。


「諸君等こそこの戦の英雄である! 存分に活躍し、功名を千古に遺すべし!」

 完全に意気阻喪した敵軍を前に、老将は接弦して陸戦部隊を上陸させる。その数12400。謹慎中の梁田篤が覇城すせりの構想を聞いてひそかに公国各地の屯兵(帝国からの帰参組)を糾合した、職業軍人集団である。統御を外れて算を乱した敵兵を刈ることなど、彼らにとって容易すぎた。


………………

「あ゛―、こらあかんわ。俺もこんなんやしな、負けか」

 幕舎にあって明染焔はどこか人ごとのようにそう言ったが、黙っていられないのは息子、白夜のほうである。兵を数字として冷徹に見ることの出来る父と違って、白夜にとってその削られ消えていく数字は生きた生の人間であって、簡単に見限ることなど出来たものではない。彼は矢も楯もたまらず飛び出した。


………………

「新羅乕閣下! 大将同士の一騎打ちを所望する!」

 楼下に、明染白夜。最後の最後、戦局を覆すためばくちに出たものらしい。


「出てはだめですよ、陛下」

「だめです。緋咲にもわかります、必要ないですもん」

「しかし……、彼の意気を汲まないというわけには……」

 覇城すせりと晦日緋咲の言葉に、乕は気弱げに反駁する。乕とてこの戦況、趨勢は皇国に定まったことはわかっている。なぜか明染焔が出馬しなかったこと、梁田篤の船団が敵後背をついたこと、そしてその梁田を参戦させ地形を示して正確にあのポイントに出現させたすせりの神算、それらがあっての勝利であり、乕のなしたことは少ない(実のところ、乕が先帝の姿を模倣しなければ皇国の士気はくじけ、早々に敗北していたであろうから彼のなしたことは小さくないのだが、本人の感覚としてはただ仮装しただけでしかない)から、わがままも言いづらいがそれでも男同士、最後は一騎打ちで決めたいという思いはある。


「雫さん……」

「ん~、トラちゃん、槍なくしたでしょ?」

「……はい」

 得物がないから戦わせるわけにはいかない、そういうことかと思ったが、雫はなにか鞘に収まった短刀を投げてよこす。


「じゃ、それ使って勝ってこい!」

「……はい! 必ず!」


………………

「敗将のわがままにつきあっていただき、感謝する、閣下」

 明染白夜が佩剣を抜く。


「いえ……僕としてもあなたとは、もう一度戦いたかった。明染公」

  新羅乕も、得物を抜いた。64枚の氷の刃をつなぎ合わせた、蛇腹の短刀。乕はこの短刀の出自を知らない。かつて実父新羅辰馬がその生涯を通して使い続けた、新羅家家伝の宝刀・天楼。本来は女神混元聖母の持物の一つ、蒼海という名であり、焔の短刀紅羿と対で「万象と万障を切り裂く」という力を持つ絶剣。先日、資格たちの一人がこれを携えて乕たちの前に立ちはだかり、それを倒した雫の所有物となっていた。


 すでにかつての神霊的威力は失われているが、それを雫が乕に託したと言うことは、長い時をかけてようやく、乕の独り立ちを認めた似他ならない。


「では……」

「参る!」

 両者、馬腹を蹴った。


 白夜の剣が乕の首を狙い、乕は上体を反らして躱しざま天楼を振るう。変則的な軌道で同時に何カ所をも狙う天楼に、白夜もすべては躱せない。が、持ち前の肉体の頑健でそれを弾いてのける。


 見る者の息を奪う、芸術的と言ってさえいいような闘舞が繰り広げられた。約束組手のように片方が打ち込み、もう片方が受け、いなし、さばいて今度は逆襲。それが数十合、数百合と続く。力も技量も速力も、すべてが互角だった。ただ白夜には竜鱗という肉体の頑強が有り、その差がある以上乕が勝つことは難しい。


 が。


こんなとこで負けんなよ、ばかたれ。


「?」

 声が聞こえた気がした。たぶん、生まれてこの方一度も耳にしたことはない声だった。あんなきれいな声を一度でも聞いたなら忘れ得ない。だから、聞いたことはないのだ。にもかかわらずなんという、なんという懐かしい声であることか。そして、やけに自分をいらつかせる声でもある事か。


 その瞬間、乕は明染白夜を相手にしているのではなかった。


 本来ここには居ない誰か、彼の残滓を相手にして。


「あなたに言われるまでもないっ!!」

 胴凪ぎ。下から斜め上へと。蛇腹の氷刃は深く深く竜鱗を切り裂き。


 そして明染白夜は頽れた。


「ふぅ……彼に手当を!」


………………

「皇国と大公家は、皇国勝利か。まさかほむやんを倒すとは思わなかったが……やはり新羅さんの息子、か……」

 皇国と大公家の決着がついたその瞬間、馬蹄がとどろく。朝比奈大輔率いる100万の大軍が、終わったはずで弛緩しきった戦場に殺到した!

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