第13話 ナヴェレ河畔の戦い-1

 ナヴェレ川は北方の大海から旧エッダに流れ、エッダを横断してラース・イラの中央部までにわたる大河である。その威容はほとんど我々の現実世界における長江に匹敵し、豊かな豊穣の象徴でもあるが氾濫という大破壊の側面から恐れられもする。巨大な河の流れは運河として貿易に使われるが、今年の春は氷雪激しく川は半ば凍てつき、巨大な流氷が荒れ狂って運河としての使用はほとんど不可能な状況であった。


 これゆえに。


 旧エッダを支配圏とする大公家は川運による物資の輸送を断念せざるを得ない。それは皇国の側の僥倖であった。一度に動員できる兵力は両国ともに10数万、しかし国家の体裁を整えたばかりで「動員力=国家総動員兵力」である皇国と、すでに明染焔が統治者として大公に封ぜられて40年以上の大公家では地力が違う。一度には無理でも、無理矢理動員すればさらに数十万人の潜在動員兵力が、大公家にはある。


 しかも大公家の先陣を切るのは、当主にして最強の将・明染焔そのひと。その令名のもと馳せる突騎隊の破壊力は先日、帝国相手に見せつけたばかりである。およそ常人の止めうる突破力とは思えない。そして首尾良く焔を止めえたとしても、副将としてこれまで大公家を支えてきた嫡子・白夜は父に劣らぬ衆望を獲得しており、軍師参謀レンナート・バーネルの知略もこれまでしばしば皇国を苦しめてきた実績を持つ。


「本来、敵対したくはない相手ですが……」

 陣前、新羅乕は敵陣の偉容を遠望してそう呟く。この距離から見える情報は全貌の半分にも満たないが、その兵士たちの練度、士気の高さ、そういったものが圧倒的であるのはまず疑いがない。


「まず、敵の突騎隊には我々が当たりましょう。先日の遺恨もある……なにより、今更騎兵突撃というものが銃兵の斉射の前では無力と言うことを、あのご老体に教えて差し上げる」

 と、意気軒昂に応えたのは帝国大将ヘラクリウス・アウグストゥス。ヴォーテンロゥの牢城戦で実質的敗北を喫した彼とハゲネ・グンヴォルトの二人が、今回帝国から皇国に貸し与えられた将帥であった。去年まではほとんど地方の叛乱や暴徒の鎮圧程度のキャリアしかなかったこの二将も、昨年1年間で将帥として実に優秀な経験を積むに至っている。ナヴェレ河畔は基本的に平地であり、策を弄するだけの要地隘路に欠けるが、敵が勝敗を決すべく突撃してくるならかならずこちらに接触する。その道の途上に馬防柵と鹿角を設けた。


 これはかつて風嘯平の一戦で先帝・新羅辰馬が神威那琴の突騎隊を破った戦法であり、こちらの世界であれば長篠の信長、ブライテンフェルトのグスタフ2世たちが歩兵(銃兵)の火力による騎兵撃滅に成功している、ある意味由緒ある王道。


 でありながら。


「にーさま、大変ですっ!」

 伝令として哨戒任務に当たっていた晦日緋咲が、血相変えて乕のもとに駆けつける。細かい話を聞く間もあればこそ、乕は本営に導かれ。


 そこで先陣の赤竜帝国増援部隊、壊滅をみる。


 馬防柵に対する明染焔の解法は単純明快、突撃のスピードを殺さず、馬防柵の奥でライフルの銃火が瞬いた瞬間、回避、再装填される前に馬防柵の奥まで突っ切り、側面突撃によって蹂躙する。


 目で見てから銃火をかわすというそのやりようが異常であり、それ以上に破天荒なのはその回避運動を自軍全員に適用させてしまう統率力。しかしどれだけ異常だろうが破天荒だろうが、明染焔という男はそれをやってのけてしまう。


 そのまま皇国左翼に突っ込んでくる、大公家の兵というか明染焔直属。


「あたし出るよ! ってゆーか、あたしじゃないと止めらんない!」

 皇帝である乕と大将軍・上杉慎太郎は中翼本陣を動くわけに行かない。左右の翼にもそれなりに優秀な将帥を置いてはいるが、やはり焔の突撃力の前になすすべあるまい。ということで予備兵500を率いて飛び出したのは牢城雫。


「完全に、主導権を握られましたな……」

 軍師・戚凌雲が苦々しげに呟く。開戦の銅鑼が鳴らされる前に仕掛けてきた大公家のやりようは国際法違反。しかしこの場で皇国が滅びてしまえば関係ない。おそらく焔の狙っているところは殲滅戦であり、完膚なきまでに皇国をたたきつぶし、粉砕するつもりなのだろう。


「過ぎたことを嘆いていても仕方ありません。こちらも応戦します!」

 乕が指揮杖を執り、声高に呼ばわる。


 今日、乕が出遅れた理由。それは髪型と目の色にあった。青紫の髪は煌めく銀色に染め、左側の横髪を五色の玉石で留める。瞳にも燃えるような血のような、赤いカラコン。こうしてみると実父、新羅辰馬にやはり、乕は生き写しと言って良いほどによく似ていた。小柄であった実父より20センチ以上の長身であり、威風というなら父に勝る。


 その乕が、

「我こそは新羅の皇統! 簒奪者を討つべし!」

 と叫ぶのである。先帝・新羅辰馬のことを教科書でしか知らない兵がほとんどではあるが、彼らはほぼ全員が新羅辰馬の軍神伝説を親や祖父母に聞かされ、また教科書を自分で音読し、先帝の存在感というものを実際の世代異常に強く感じている世代である。皇帝・新羅辰馬の栄光ある軍隊の一員となった錯覚は、彼らの戦闘力を一躍、爆発的に高めた。


 敵の魚鱗に対してこちらの陣は鶴翼。本来であれば鶴翼の陣で中翼が真っ先に動くなどあり得ないが、大いに奪われた主導権を取り戻すためには本陣を危険にさらすことも厭わない。後生、新羅辰馬に比べて息子である乕はおとなしい人柄、と評されるが、こういう大胆な行動はやはり親子というべきであろう。中翼の動きに応じて左右の翼も転変し、左翼が支える敵先陣、明染焔の右翼後背を新羅乕の中翼が押し包んで冲撃、右翼はその中翼を護るようにして展開し、敵中翼、左翼に相対す形を取る。変則的すぎる機動ではあるが、こうでもしなければ左翼が完全に崩壊していた。


「ち……辰馬ンとこのガキもやるやんけ……」

 左翼を衝き壊す寸前で包囲されて危機にさらされた老将は、悪態をつきつつも楽しげに笑う。ここのところの敵は簡単に過ぎた、戦というのはこうでなくては。


 そこに。

「やーやー、ほむやん! 雫ちゃんがお相手だよっ!」

 馬上から打ち込まれる斬撃。焔でなかったら何が起こったか、認識するまもなく命を刈り取られていたに違いない。それほどの精妙剣。


「牢城さん……」

「どーすんの、ほむやん? 今回あたしたちも必死だから。やるならこの場で命をいただくよ?」

 牢城雫は普段の彼女が見せることのない、強い目で炯々、焔を見据える。焔にとって雫は初恋の相手、うかつには相手しがたい。そのうえで、雫は時間の流れを無視した若さを維持してその武技全盛期をさらに凌ぐほどであり、焔は矍鑠たる翁といえど老躯、さらに腰痛と痛風という弱点を抱える。


「………………退くぞ!」

 理性でか感情でか、自分でも判然としないその判断が、結果としてこの大戦の最初の局面を変えた。


壊滅寸前の左翼から救出されたハゲネとヘラクリウス、常人の胆力であれば明染焔のそれに飲まれて萎縮してしまい、終わるところだが、この二人とて尋常一様ではなかった。焔が離脱したそのタイミングを見計らい、この部曲に集中している銃砲を一斉投入、大公家軍に流血を強いる。彼らはそのまま左翼を立て直し、乕が反転、敵中翼に襲いかかるに当たって外翼からの猛撃を加える役を果たす。


先帝の遺児・新羅乕と大公家の麒麟児・明染白夜が相撃つことになるのはこの時期である。本陣中翼同士がわずかに3キロ未満の距離に近づいたこの状況、若き皇帝と大公家の御曹司はお互いに同じ事を考え、実行に移す。すなわち単機敵陣に乗り込み、敵将の首級を上げる。

「ああああ゛、トラさんっ!?」

 上杉慎太郎はその卓絶した視力で乕の軽挙に気づき絶叫するが、前線指揮中に敵陣に単機突撃をかけた司令官を呼び戻すすべはない。やむなく近衛の兵士10人ばかりに乕を追わせた。


「これでトラさん死なせたら、オレ辰馬サンにあの世でわびる顔がないだろーがよ!」

 言いつつも指揮の手は緩めない。この上杉の勇戦に加え敵からも麒麟児・白夜が抜けたこととさらに左翼、帝国からの増援組の突撃射撃も加わり、中翼の殴り合いは皇国の優位に傾く。


が。


 一度は退いた焔とその麾下約2000騎の突騎隊が再度戦場の地平に姿を現すと、その瞬間皇国優位は覆された。今度は戦場を大きく横断し、いちどナヴェレ川を渡ってから皇国後背に回り、中翼へ背面突撃である。皇国軍は一気にその主戦力を削られ、半壊に追いやられてしまう。

 このとき。


「っあ……またかいな!」

 鞍に突っ伏す焔。彼が持病の腰痛に苦しめられることがなければ、皇国軍は完全に分断され寸断され、敗北の憂き目を免れなかったはずである。しかし明染焔が宿痾に悩まされる身である故に、皇国は命脈を保ちえた。疾風のごとく逃げ去る明染焔隊を追い散らす間もあればこそ、まずは陣前、正面の敵に注力。


 そして両軍陣前中央で。


 新羅乕と明染白夜は出会う。


 出会った瞬間、相手の並外れた鋭気と烈気から尋常の相手ではないと気づく。白夜の銀白づくめの甲冑も相当に目立つが、なにより乕の今の格好。新羅辰馬に扮してここまで無理がないということは十中八九、辰馬の縁者であり、この戦場にいる辰馬の縁者で、しかも男というなら皇国皇帝、新羅乕以外にあり得ない。


「皇帝、新羅乕閣下とお見受けする」

 陛下と言わず、閣下と言った。それは帝国にも皇国にも傅かぬという、白夜の意地であり誇り。


「然り。貴公は、大公爵家の明染白夜公か」

「然り。一手ご指南お願いする!」

 佩刀を抜く。有無を言わさず斬りかかった。


 切り結ぶ。1合2の打ち合いはたちまち10合、100合を数えるが、互いに傷一つ負わせることが敵わない。両者が手加減しているわけではなく、実力が信じられないほど高いレベルで拮抗していた。


 やがて、切り結ぶ二人の正体が互いの軍に気づかれると、自軍大将の支援と敵大将の討ち取りを兼ねて砲撃射撃が集中、さしもの乕と白夜もこの砲火の中で雌雄を決するわけに行かず、この場はと互いに引き下がる。


こうして「ナヴェレ河畔の戦い」の緒戦は両軍優劣なし、戦いはいよいよ佳境に持ち込まれる。勝手に持ち場を離れた皇帝・新羅乕は戻ってきた牢城雫の全力ビンタで幕舎の端から端10メートル以上張り飛ばされ、明染白夜は父・焔の剛拳でげんこつ喰らって膝まで地面に埋まるほどの威力を喰らうことになる。こちらの威力合戦もほぼ互角だった。

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