第12話 犄角の勢
かつて「炎帝」と呼ばれ畏怖された、皇帝・新羅辰馬の覇業補弼の功臣、明染焔。紅蓮の炎熱を操り、数万からの敵兵を瞬時になぎ払う様は武人と言うより一個の殺戮兵器とすらいわれたものである。すでに神と魔の去ったこの世界で彼が練ることの出来る炎、その熱量はほとんど微々たるものだが、しかし明染焔という男の真価はそれだけではない。
天才中の天才、王覇の相・新羅辰馬に匹敵しうる将才。大陸唱覇戦争において新羅辰馬の最大の弱点は「辰馬が居ない戦局の脆さ」であった。個人戦の勇者なら辰馬の麾下に掃いて捨てるほどいたし、作戦立案なら神楽坂瑞穂と磐座穣、政略戦ならエーリカが傑出していたが、辰馬の代わりを務められるだけの大将がいなかった……現元帥・朝比奈大輔の真価は副将として辰馬の補佐であり、元皇国大将・上杉慎太郎は今も昔も遊撃・擾乱および狙撃による強襲が専門で大会戦の主力たり得る人材ではない……。のちにアカツキから出奔した北嶺院文、そして長船言継らが加わって陣容は強化されるわけだが、明染焔はそれらがそろう前の辰馬陣営を見事に支えたし、彼ら合流後もやはり傑出した将帥として新羅辰馬陣営、のち赤龍王国さらにのち帝国の大元帥の任をゆるがせにしなかった。
その、絶対の強者が、今帝国でも皇国でもなく大公家に合流する。新大陸遠征から遭難漂流しながらも数十万の兵をほとんど損なうことなく帰国したほとんど常人の理解の埒外といえる統帥力を持つこの78才は、帰国して嫡子、明染白夜を労うや大公家の兵権を剥奪、自ら統帥権を掌握して打って出た。
その用兵はまさに疾風。行く手に勁草あればそれを断ち、土礫が遮ればそれを砕き、最速最短で敵の拠点を襲撃しては圧倒的武威でこれを占領していく。まず帝国の穀倉地ニュルンベルグとシェレージァその周辺を画策、寡兵で出陣し、暗中大規模部隊を敵に悟られぬよう都市側面に迂回させると、油断しきってこちらの本体をたたきに出て空になった都市を別働隊が強襲し、一瞬で勝負を決めた。
経済封鎖による一番の苦痛、食糧問題から脱した大公家は一躍息を吹き返す。明染白夜が焔にかわった、それだけであまりにも圧倒的に戦力が激変し、生ける軍神とも言うべき明染焔の旗印の下その兵士たちはそれだけで昔日とは比べものにならない精強を加えた。特別な訓練は必要ない、ただ頭に軍神を戴いている、という事実。いうなれば指揮官のカリスマが彼らを強兵とする。彼に匹敵しうる軍事指導者は現在のアルティミシアにはなく、単騎存在するだけで彼は帝国と皇国を相手に互角以上、あるいは圧倒すらする威圧感を発揮する。
とはいえ。
「あー、いかんわ。腰えらいこっちゃやで」
ニュルンベルグ制圧後の陣幕で、焔は死にかけの冷や水ジジイのようなうめきを発する。この時代の世界における78才はすでに天命を迎えていておかしくないから実際、冷や水ジジイであるのは間違いない。往年、210㎝140㎏という圧倒的体躯を支え続けてきた焔の身体は、年を重ねるごとに自重を支えることが困難になり慢性的な腰痛に悩まされる日々なのであった。また、暴飲暴食がたたっての痛風もちでもある焔は、常に完璧なパフォーマンスを発揮できるわけではない。この弱点がおそらく、帝国、皇国側の光明となりうる。
………………
「ほむやんが……、アイツ生きてたのね。音信不通になって久しいから死んだものとばかり思ってたけど……ともかく、アイツと直接干戈を交えることは下策ね。こちらも手を打つわ」
帝都ザントライユの玉座で報告を受けた女帝・エーリカは穀倉地帯の一部を削り取られても慌てない。穀倉地帯なら旧クーベルシュルトという大農業国家があり、その公爵ロランはかつて新羅辰馬に恩を受けて登位した王太子フィリップとその妃ジャンヌの息子。帝国への忠信は厚く、エーリカが一言かければ常に十分な兵糧を帝都に輸送する。補給という点において、帝国に疎漏はなかった。
さておきエーリカは大公家の重臣および有力武将に切り崩しをかける。利をちらつかせ、威で脅し。一人を裏切らせればそこから連環状に次を、また次を寝返らせる。この切り崩し工作を嫌った焔は速戦即決を狙って帝都ザントライユを狙うが、準備不足かつ相次ぐ寝返りで武将たちに動揺が走っている状況でのこれは軍神といえど困難事。帝都前の城塞都市ヴォーテンロゥで帝国若手の名将ハゲネ・グングォルトとヘラクリウス・アウグストゥスは大量の兵力と物資を使ったうえの籠城戦術という、一見消極的だが本当は非常な忍耐と統率力を要求される戦いを制し、軍神の突撃を阻んだ。
………………
こうして1878年1月が過ぎようとするなか、覇城すせりは女帝エーリカに拝謁する。当初、朝比奈大輔との面会を希望したすせりだが、朝比奈は妻・早雪の看病のことで手一杯であり、国家の大計に関わることを判断する能力が自分にはないと判断した。よって自分は後見人・介添人として覇城すせりおよび晦日緋咲に付き添い、女帝エーリカへの拝謁を実現させたのである。
「真統新羅皇国、皇帝新羅乕名代、ヒノミヤの齋姫、覇城すせりと申します」
拝謁の間に通されたすせりは、そう言って帝国式に一礼した。今のすせりはいつものヒノミヤの巫女服ではなく、帝国女官のまとうグレーのスーツとコート姿。祖帝シーザリオンの第1帝国、フリスキャルヴ王家を立てたゴリアテの第2帝国、そして新羅辰馬の赤龍帝国。これをもって第3帝国といわれる帝国の士官制服は分厚く頑丈で質実剛健、いかにも「高潔なる戦闘民族」の服というふうである。すせりは問題なく着こなせているが、後ろに控える童顔小柄の緋咲にはいかにも似合っていない。とはいえ相手の国情を慮らず自分の普段着で外交に出たために交渉決裂したというケースも、史上珍しくない。
「面を上げよ」
エーリカが、しずかだが厳かにそう告げる。場の雰囲気に飲まれている緋咲はともかく、すせりはヒノミヤの巫女たちを束ねる身として各地の有力者と対話する機会もあった。相手が女帝であろうと怖じけることはないと自負していたが。目の前に腰掛ける背筋のぴんと伸びた老女は。
これは……考えを改めなくてはいけませんね。
一目でわかった。上座の玉座に座るのは、ただ姑息な謀略で正当皇家から道統を奪った小物ではない。なるべくして今の地位にある天性の支配者。彼女が自分たちの大伯母にあたることで多少、なんとかなると考えていたふしは、すせりの中で瞬時に消えた。そんな甘えの通用する相手ではない。
あくまでも理で、説き伏せなくては。
「して、帝都まで越した理由を聞こうか?」
エーリカは傲然と言う。その目に一切の慈悲の光もなく、その瞳が如実に「新羅乕を正当の新羅家の公子として認めない」という立場を物語っていた。彼女にとって皇国は反逆の徒の集団、討ち滅ぼすべき害虫でしかない。
あまりにも強圧的、高圧的な視線にさらされてくじけそうになるすせりの手を、緋咲がきゅ、と握った。従姉妹であり実妹同然の緋咲の、無言の声援に後押しされて、すせりはもう一度エーリカを見返す。ねじ伏せたと思った相手の反抗に、エーリカの視線がわずか揺れる。そこに乗じるように、緋咲は口を開いた。
「恐れながら申し上げます。まずは本邦との同盟、そして大公家への共同戦線を」
「遠交近攻、か。帝国の力を借りて大公家を接収した上は帝国に攻め上る腹づもり、だな? 不義不仁の策、さすがは磐座穣の孫娘」
ぴくりと。
苦々しげな口調で言うエーリカに、すせりの片眉がつり上がる。祖母を罵倒されたすせりも不快だが、エーリカはすせりやその祖母磐座穣に対して含むところがあった。赤龍帝国皇妃に立てられたのはすでに周知の通り神楽坂瑞穂であり、エーリカが第2皇妃に立てられたのだが、その前の段階で磐座穣こそ皇妃にふさわしいと彼女を擁立する派閥があった。その理由は一番最初に新羅辰馬の嫡女を生んだということで、妻と迎えられても長らく子宝に恵まれなかったエーリカにとって穣が目の上のたんこぶであったことは間違いない。さとい穣は権力闘争でエーリカと争っては勝てないことを悟って自ら身を退き、ヒノミヤに帰ったわけだが、そうした理由でエーリカは穣とその孫であるすせりが憎い。これは理性や理屈でおさえられるものではなくほとんど本能的嫌悪感とも言うべきものであるから、抑制不能であった。
嫌悪と憎悪と、両者の視線が交錯する。さきに目をそらしたのはすせり。悔しかろうが何だろうが、いま彼女は同盟の使者として頭を下げる立場、けんかを売るわけにはいかない。
「……なんにせよ。本邦との同盟は帝国にとっても不利益ではないはずですが」
「人を利用しようという輩が、よく言う。……だがまあ、よかろう。兵員は出してやる。明染焔、かの軍神を野戦で破れるものならやってみろ」
こうして、互いにぎすぎすした雰囲気をはらんだままながら、交渉は成功裏に終わった。
「いいのでゴザルか?」
覇城すせりと晦日緋咲が場を辞して、文武の百官も引き払い残るはエーリカと宰相・出水秀規、そして元帥・朝比奈大輔のみ。出水が、エーリカを気遣うように聞いた。
「かまわないわよ。ただし……皇国と大公家の戦いに決着がついたらそこに乗じて、両国ながらに滅ぼしなさい。OK?」
エーリカは平然と答える。平然とした口調で、しかしながら口にする内容は凄絶。
「は、了解したでゴザル……その大将は朝比奈、任せるでゴザルよ?」
「……いいだろう。新羅さんの亡霊、俺が払う」
出水が水を向けると、朝比奈もうなずいた。宰相と元帥、50年来の親友の、最後の総決算が近づこうとしていた。
………………
すせりたちはそれから、急いで帰り支度をする。やたらとすせりを気に入った皇太子、シェティ・ザントライユが二人の起居するホテルに通い詰めて鬱陶しいことこの上なかったが、「あなたはわたしにとって叔父に当たる方。恋愛対象にはなりません」の一言で切って捨てる。しかしこの言葉で叔父の乕に恋愛感情を抱いている緋咲がいたく傷つき、彼女をなだめるのに時間を要した。さておきようやく列車の旅券をとって、覇城すせりと晦日緋咲は約2週間をかけ皇国に戻る。
「よくご無事で」
駅には皇帝・新羅乕自らが出迎えに出た。
「にーさまー! さびしかったですよぅ!」
すかさず、緋咲が飛びつく。乕も困惑顔ながら緋咲を抱きしめ返した。
「なにか、ありましたか?」
雫ラブラブでほかの異性には一線を引いていた乕にしては珍しい対応にすせりが聞くと、
「んー、まあ。あんまりあたしにべったりじゃだめだよって、ちょっと強く言ったかな。次の戦い、誰か死んじゃうかもしれないし。特にほむやんが敵の前線に出てくるんなら、その前にあの二人を仲良くさせてあげたいじゃん?」
雫はそう答えた。
「あぁ……そういう。ご賢慮です」
「これでももと先生だからねー。そんじゃ、お城に戻ろうか、軍議だー!」
………………
ヒノミヤ密偵衆による揺さぶりがある程度奏功したところで、新羅乕と真統新羅皇国は明染大公家へ宣戦布告する。明染焔のがほから仕掛けてくるのとどちらが先かというタイミングだった。皇国と大公家の兵、それぞれ10万が、国境ナヴェレ川沿いの奇策を使う余地少ない平野で激突する!
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