第11話 軍師と皇子

 皇都太宰から帝都ザントライユまで、汽車に乗って1週間。多少の乗り心地の改善はされたが、線路敷設ルートの都合上そのあたりの所要時間は40年前からほぼ、変わらない。覇城すせりと晦日緋咲は仲良く寝台特急に乗り込み、そしてすせりが眠りにつこうとするたび緋咲がやってきて


「ねーさま、起きてますかー?」

「帝国ってどんなところです? 怖くないですかー?」

「緋咲は皇国から出るのが初めてなので不安なのですよー」


 と、すせりを寝かせてくれない。可愛い妹分でもあるし無碍にすることもできないが、運動神経は祖母・穣の比較にならない秀逸とはいえ体力にはさほど自信のないすせり。対するに緋咲はスタミナに関しては尋常ならざるところである。帝国に上陸して向こうの政治家にどう申上するか、いろいろ考えなければならないのに緋咲の相手で時間がつぶれる。非常によくないところだが、お姉さんとしては緋咲を責めることはできない。はいはい、よしよしと相手をしていると緋咲はわんこのように尻尾を振ってよってくるので、きりがないのだがすせりは本当に、妹に甘い。


 ともかくもそうこうするうちに1週間の日々は過ぎて、帝国の玄関口(帝国=エーリカの言い分ではアルティミシア大陸のすべては帝国に統一されており、国境も玄関口もないことになるが)ハウェルペンに到着したのが1月13日。そこからは馬車に乗り換えることになるが、乗合馬車の乗車場で二人はなにやら場違いな30歳ごろの青年に出会うことになる。


 金髪に紫眼。ゆったりと鷹揚な雰囲気をまとい、まず間違いなくどこかの貴族か諸侯の子息、というふうだがまったく威張りも武張りもしていない。ある種、すせりの盟主で緋咲の主君、新羅乕に似たところがあり、そうした視点で見ると異常なほどに似ているのだが、しかし乕の瞳にある一途な責任感、剛毅さといったものは感じられず、どこかぽやーんと、茫洋としてゆったりおっとり、下手をすると実年齢より若い女性のようにも見える。下男らしき壮丁を10人ばかり連れており、彼らから無条件の忠誠を勝ち得ているらしいところから生来の貴族なのはまず間違いがない。実のところ彼こそ帝国皇太子で新羅乕の異母兄シェティ・ザントライユであるのだが、これまで皇国(旧アカツキ)内での情報網にかまけて他国については通り一遍の情報しか集めていなかったすせりにはこの青年の正体はわからない。


 ともかく、シェティと一緒に乗車することになったのだが、彼が人畜無害なおとなしい青年ではないことはすぐに知れた。


まず視線がいやらしい。


 すせりも緋咲も1週間列車暮らしで着替えをローテーションさせてなんとか急場をしのいできたのだが、列車の中でシャワーが使えたのは1日のみ。いくら着替えても体臭が気になるお年頃の二人。それを青年は心地よさげに鼻ひくつかせ、舐めるような、というほど露骨ではないがまずまず好色な視線で二人の体を見つめてくる。とくに胸元と股間に集中する視線に、さすがにすせりも緋咲も不快になった。


「あなた、不躾ではないですか?」

「? あぁ、失礼。あまりに美しかったものでつい、見惚れてしまいました。お許しください」

 シェティは厭味なくそういって、微笑んで見せる。すさまじい美貌を自覚したうえで、それを活用するすべも心得た社交界慣れした笑顔。普通の小娘ならコロッといっただろうが、あいにくすせりも緋咲も普通ではない。相手が素直に非を認めたことで毒気は抜かれたものの、セクハラな視線で不快にされた事実が消えるわけではないのだ。


「口が上手なのは帝国の流儀でしょうか? あいにくわたしは皇国の田舎者でありますれば、そのような言葉はむしろ忌むべきところ」

「ね、ねーさま……向こうも謝っていることですし、ここは勘弁してあげましょーよう? あんまり強気で行くと刺されますよ?」

「刺されるって……どういう旅行観ですか。そんな事件実際にはまずまずありませんよ、緋咲」

「あうぅ、でもあんまり帝国の方を刺激すると、いろいろ支障が……」

 すせりとシェティは大陸共通語で会話、しかし緋咲は皇国(アカツキ)共用語しか話せないので相手がにっこり笑って謝ったことはわかってもそこから先の会話はわからない。ゆえに不安の募り方は重い。同じことはシェティの壮丁たちにも言え、彼らは主君に食って掛かる(というほど強気でもないが)すせりに不快な視線を向ける。本当にナイフでも抜きそうな雰囲気だ。


「卿ら、憤るなかれ。彼女の言い分は正しい。……それで、私はどう詫びればよいですか、フロイライン」

「そうですね……まずは、この国の情報を。できるだけ主観のない、客観的な情報を望みます」

「それは、難しい。しかしまあ、美しいフロイラインのためです。頑張ってみましょう」


 シェティは語り始めた。すせりを陥れる意図なく、あくまでも客観的な、帝国臣民が見た実際的な帝国評を。先々代(新羅辰馬)からの代の民草は現在の女帝エーリカの政策に不満を抱えていること、しかし経済的には現状の三国体制中もっとも安定しているので、一度反乱が起こった以降国内はむしろ落ち着いたこと。新羅辰馬・瑞穂当時の帝国は貴族・諸侯や教会・組合との分権国家であったが、エーリカは強烈無比の剛腕で中央集権を推進して強靭な支配体制をほぼ完成させていること。世論としてエーリカは決して支持されていないが、その打ち出す政策の正しさから誰も反抗できない……そのほか。


「軍隊についても言及したほうがよいでしょうか?」

「ご存じであれば」

「皇子!?」

 壮丁が声を上げた。プリンツ、という言葉にさすがにすせりが片眉を上げる。改めて皇祖さまの肖像写真とこの青年を見比べ、そして新羅乕の顔と照らし合わせて……似ている。


「……、シェティ・ザントライユ?」

「……ええ、その通りです。しまったな、正体を明かすつもりはなかったのですが……」

 とはいえ返送していたわけでもない、すせりが事前知識を詰め込んでいれば一目でわかったはずであり、もともと本気で正体を隠すつもりはなかったのだろう。


「実のところ、あなたを出迎えたのは半分偶然でして。陥れるつもりはないのです。そこのところ、どうかお含みおきください、フロイライン」

「はあ……皇太子殿下ともあろう方が、なぜハウェルペンのような田舎に? ここにあるのは……」

「牢獄があります。表向きは精神病院ですが、実際には戦災により精神を病んだもの、あるいは捕虜として拷問を受け、精神を壊されたものが入れられています……。わたしは将として大公家との戦争に出、ある少女たちを手に入れようとしましたがそのために彼女らを生き地獄に落とすことになりました……ゆえに、これ以上武に訴えるやりようを取りたくはない」

 それはヘリアン・ディード以下3人の少女のことであった。この1年で将として開花した皇太子は、しかし将としての自分の存在価値にゆらぎを感じている。


「ならば、和平を結びましょう」

「そうしたいのはやまやまなれど、決定権は母に握られています」

「女帝エーリカ、ですか……翻意させることは、皇太子でも?」

「私は母から甘ったれのぼんぼんとしか思われていませんので。母を撼かせるとしたら、元帥・朝比奈大輔か宰相・出水秀規か……話がわかりとしたら武人である朝比奈公でしょうか」

「朝比奈卿と出水卿……上杉卿と並ぶ、帝国元勲の最古参ですね……」

「朝比奈公のほうが話が分かる、とはいえ、彼は帝国への忠誠皓々たる義士、うかつなことを言えば命に係わりますよ?」

「弁士としてここにやってきたからには、その覚悟はできています。朝比奈卿と面会の段、つけていただけますか?」

「いいでしょう。……お覚悟を」


………………


 公爵・朝比奈の邸は帝都ザントライユの郊外、やや人里離れた山裾にある。元帥・朝比奈大輔の令名をもってすればいくらでももっと良い一等地に移り住むことは簡単なのだが、妻・長尾早雪(夫婦別姓)の身体を考えるとむしろもっと田舎に引きこもりたいくらいだ。元帥としての職務ゆえに帝都は外れられないが、早雪の身体はかつて女神サティアの浸食を許したため、神力の失われた今の世界では自分の中にある神力の内訌で緩やかな崩壊に向かっている。女神サティア本人ですらその身の不滅性を失ったくらいだ、特別な背景があったわけでもない人間の早雪がこの40年、生きながらえたのは大輔の献身的な看護による。


 とはいえ最愛の妻も、もう長くはないのが見て取れた。

「あなた……」

「なんだい、早雪」

 無力感と世界への怒りと、そして妻への尽きせぬ愛と、それらがないまぜになった声で、大輔は早雪の置いて白くなってもなおゆたかな髪をなでる。戦場では修羅だ鬼神だと畏れられる朝比奈大輔だが、いざ家に戻れば妻を愛する一人の男でしかなかった。彼らの間に子供があったなら愛情はそちらに分担されたかもしれないが、大輔が早雪をおもんぱかっているうちに子をなせる時期は過ぎた。ゆえに、大輔の愛情はただひとり妻にだけ向けられており。妻の憔悴にどれほど心を痛めているかと言えば日々の腕立てと拳立てと指立て、100万回はこなしていたものを80万回に減らしてしまったくらいである。


「……宮代の……村が見たいわ」

「そうだな。帰ろう、君が少しよくなったら」

「よく……なるかしら……」

「なるとも。俺が保証する。70かそこらで、まだ老け込む時期でもないだろう?」

 その証拠に、俺はこんなに元気だよと力こぶを作って見せる。最愛の女性はおどけて見せる夫を力なく見上げて、儚く笑った。もう自分は長くないと、とっくにわかってしまっている笑みが、大輔の心を締め付ける。そしてこの世で最も尊敬する人物である新羅辰馬に対して、その尊崇が強いほどに反転した強い憎悪も感じてしまう。


(新羅さん……あなたがこの世から神魔の干渉を払ったから、早雪はこんなことになりました……あなたが、あなたが本当に万能で無謬の存在であったなら!!)


 決して矛を向けたくない相手に向けて、怒りが止められない。早雪に悟られぬよう、表情には怒りも憎悪も浮かべることなく、握った拳だけ、血がにじむほど。


その折、女帝から討伐命令が下る。


「経済封鎖の効果で皇国、大公家はともにやせ細り、花はまさに摘むべし。300万の兵を授けます、帝国のために力を尽くしなさい!」


 そして時を同じくして、皇太子シェティから和睦を求める使者との面会要求。


「三国ともに疲弊し、これ以上干戈を交えるは愚の骨頂。いま幸い、皇国の賢者覇城すせり来臨、智謀あり見識あり、ともに語らうに足る。遺恨を流して平和の道を求めるべし」


………………

 そして同じころ。

「あー、流されたぁ……。それんしても、人死にが出んやったんは幸いやったなぁ。……さて。白夜が帝国から独立したんやったっけ? あのションベンたれもちったぁやるわな。おとんとして手ぇ貸してやらんと」

 新大陸遠征から帰途、大波に流された明染焔、かつての帝国最強大元帥が、数十万の兵を統帥して大公家に帰還した。

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