第10話 侘しい新年
いろいろあって、1870年は過ぎた。
真統新羅皇国成立から初の正月だが、その皇室における料理の膳は侘しい。皇国の物産はおもに米と味噌と魚と酒。旧アカツキ時代および帝国初代皇帝新羅辰馬、二代目皇帝新羅瑞穂の当時はもっとこの土地でいろいろととれるようにしてあったのだが、女帝エーリカの分担政策により旧アカツキの土地は全面的に「このへん全部農地!」とされてしまった。なので豪華だったり贅沢だったりな食事に、最近この国に生まれた緋咲やすせりは縁がない。緋咲など、西方のハッシュポテトで失神するほど喜んだものである。さすがにそれで乕に惚れたわけでもなかろうが。
ともかくそうした事情で、皇国の食卓はわびしい。一応は皇帝という、至尊の位にある乕の膳は、ヒジキ煮と薄い味噌汁、そして一応これだけは上等な鮎の塩焼きと、白米がないため玄米のごはん。およそ皇帝が正月に食すメニューではなかった。
「本来であればもう少し上等な食生活を遅っていただけるはずなのですが……帝国の経済封鎖で異国物の食材はすべて締め出し。これが精いっぱいです」
戚凌雲は言って頭をさげる。とはいえ戚の食膳に並べられるものは乕のそれよりはるかに貧相であるから、責めることなどとてもできない。
「僕はこれだけ食べられるなら十分ですが……やはり民衆は急に食事のグレードが下がったことで、不満を抱えているでしょうね……」
乕は味噌汁の椀にごはんを入れ、猫まんまにしようとしたが、儀礼をつかさどる典礼官がその手を激しく打った。
「っ!?」
「皇帝陛下ともあろうおかたが、そのような作法をなさるものではございません!」
「はあ……そういうものですか。しかしもう作ってしまったものですし。こうするとおいしんいですよ?」
「お捨て下さい」
「ぇ……いや……」
「お捨てなさい、陛下」
「ぅ……はい」
気の弱い皇帝はあっさり押し切られ、猫まんまも満足に食わせてもらえない。ちにみに下座には雫と緋咲がいて、緋咲は雫から猫まんま伝授を受け大喜びでかっこんでいるわけだがこの二人に関しては誰も咎めない。唯一梁田詩は緋咲の失礼ぶりに憤慨しているが、典礼官にとってみれば緋咲など乕の囲い女に過ぎず、礼儀など必要としないのである。乕は旨そうに正月飯を食らう緋咲を見てうらやましげに詠嘆した。
うまそうといえば上杉慎太郎、この不良老人大将軍もまた、非常にうまそうに飯を食っている。
本来、父帝以来の元勲として、そうでなくとも重臣として、この玉座の間に列する資格を持つ上杉だが彼は宮中でまずい飯を食うことに耐えられるようないい子ではない。昨晩、ライフルに弾を込めて山に入るや猪を2頭ばかり仕留めて戻り、今朝城の御厨で自らそれをさばくや配下の軍卒たちと庭先で焼肉パーティーとしゃれこんでいる。はっきり言って皇帝より向こうのほうが贅沢だった。のぼってくる臭いは乕たちの心敗北感と哀愁を呼び込む。
「僕も狩りに行きたいものです、久しぶりに」
「では、支度させますか」
ついぼんやりと独り言ちると、戚がそう言ったので慌てて取り消した。皇帝の主催する狩り、ともなると国を挙げての大事業になってしまう。帝国のような巨大な財力があるならともかく、貧乏国家の屋台骨を傾けてまで断行することではなかった。
「ごちそうさまでした」
「そんじゃ、いこーか、トラちゃん、緋咲ちゃん」
とっくの昔に飯を済ませている雫が、そういって立ち上がる。正月、元日である。こういう情勢でなければ着飾って見せもするのだがいまは戦時。普段通りのレオタード+短パン+ジャケットという見慣れた姿であり、雫を愛してやまない乕としては落胆しきり。その隣で正月らしく振袖に着飾って乕の言葉をそわそわと待っている緋咲に「かわいいね、緋咲」と言ってあげることのできるあたり、心の持ちようが実父に比べると余裕ありである。まあ、実父の享年より乕はすでに年上なわけだが。
「そうですね。すせりおねーさまがお待ちですよぉー、にーさま」
「初詣、ですか? いまこの状況でそんな場合では……」
「だから、今後の方策をすせりんに訊くんだよ♪ トラちゃんはまだあの子の天才がわかってないなぁ~」
「……」
そういわれると恥じ入るしかない。乕は良くも悪くも一介の武弁、学問に関してはそれなりに仕込まれたが、知恵働きにおける反射神経に関しては実父・新羅辰馬のような天才に遠く及ばない。平素ひととの交わりにおいて自信なく一歩引いて見せるのもまさしくその頭脳的瞬発力、反射神経の低さゆえであり、いうなればインテリコンプレックスが乕にはある。というわけで覇城すせりという少女が乕は苦手だった。
「とにかく行くよ。巷間の様子も見ておかないと♪」
「……わかりました、行きましょう」
………………
この地の主権がアカツキ皇国であった時代から、ヒノミヤはこの地の宗教と信仰の中心にして枢要。近年、女神サティアが最初に降臨した……ここから世界を支配しようとしたとは、世間的に知られていないが……宮代信仰も盛んになってきてはいるが、やはり日之宮(ヒノミヤ)には及ばない。なにせ今は生身を持った美少女女神が参拝者を
優しく迎えてくれるわけで、ある意味ヒノミヤ内宮本殿に祀られるサティアはアイドル的存在であるとすら言えた。
「とはいえ……愛想笑い疲れるわー。すせりん、お酒ちょーだーい♡」
「こんな時間からお酒を出せるはずがないでしょう。はい、お茶です。これで夕方まで頑張ってください」
「んー……しんどいなぁ~……そもそもあたし、旦那様以外の人間って別に好きじゃないのよ」
拝殿奥で、ぶっちゃけた会話を交わす覇城すせりと女神サティア。この世に唯一残った女神が人間嫌いだなどと世間にばれたら非常に問題なのだが、すせりはいつものことなので動じない。ただ、仕方ないですねぇとため息をつくぐらいはするが。
「最近お酒の質も下がってるのよねー、すせりん手抜き?」
「失礼な。あなたの好みがリンゴ酒だからですよ。いま果物が高騰していて、なかなか手に入らないんです」
「あー……戦争のせいか。エーリカ、殺しちゃおうかしら……」
「人間の世界に神は介入しない、あなたの旦那様、先帝・新羅辰馬が決めた掟ですよ。お酒のためにそれを破ったなんていったら先帝はなんというか」
「そーよねぇー……いまのあたしに大した力も残ってないしなぁ……、だるい。寝ていい?」
「だめです。まだ参詣客の方がいらっしゃるんですから」
「う゛あ゛―、鬼だわすせりん」
「神が鬼を恐れるものではないでしょう。さ、働いてください」
「はーい……」
………………
「やはり、民心がすさんでいますね……」
30分に7回も男たちに絡まれて、さすがに温厚な乕も辟易する。柔弱そうな青年が綺麗どころを二人も侍らせて歩くのだからそれは人の反感も買おうというものだが、1月前までは実際に攻撃してくる男はほとんどいなかった。帝国の経済封鎖政策は、着前と効果を上げていた。
「どうにかして貿易を再開しないとなりません。せめて大公家とのパイプをつながないと……」
「だよねぇ~。おいしーものも綺麗な服も買えないし。ま、すせりんに訊けばいい知恵貸してくれるでしょ」
すせりに全幅の信頼を置いているような雫に、乕は複雑な気分になる。自分のほうが雫との付き合いは長いのに、自分にはここまでの信頼を雫は寄せてくれていない気がする。とりのこされたような寂寥感を、乕は感じた。
………………
「それで、どーにかなんないかなー?」
白山を登り、ヒノミヤ内宮。紫宸殿での執務を終えて下がったすせりに、牢城雫はざっと説明するとそう言った。
「そうですね。なにより、帝国にこの封鎖を解かせなくてはなりません。交渉にたけた使者をたてて帝国上層を説き伏せ、国策を転換させる、それまで国内の維持治安にはヒノミヤの警備隊も出動させましょう。力で押さえつけるのは得策とは言えませんが、今からこの国の物産を富ませるといってもすぐに実を結ぶわけにはいきません」
「大公家との誼は?」
「それは不要です。というより、大公家との現況が帝国との交渉の好条件になるでしょう……遠交近攻、です」
「?」
すせりの笑みは清冽ながらどこか凄みがあり、さすがに過去世の大軍師磐座穣の孫娘と思わせる。
「ただしそれは国家としてのこと。ヒノミヤの教主が勝手に大公家と修好を考えるのは、また自由」
「??」
すせりの言葉は乕や雫には難しい。実際大陸争覇戦争を潜り抜けた生き証人である雫はなーんとなく、でわかるのだが、具体的に言語化して見せろと言われると困難を極める。まあ、実戦の指揮官としては乕は優秀だし、突撃隊長として雫ほど頼りになる人物もいないので適材適所ではある。
が、わからない謎かけのようなものは不安になるので。
「……申し訳ない、僕にもわかるよう、かみ砕いて説明してもらえませんか?」
「こちらこそ、持って回った言い回しをして申し訳ありません。……わかりやすく言えば、この三国鼎立状態、まず大公家にご退場願おうということです。大元帥、明染焔の帰還前に」
「うん。ほむやん化け物だからねー。武術ならあたしが勝つけど、戦場であの子には絶対勝てないわ」
「なので、帝国と結んで大公家を滅ぼします。ただこの際、国土と人的資源はそっくりすべて、皇国が取ることが条件になりますが」
「先陣として皇国が大公家を攻める?」
「はい。そのうえで、あらかじめ誼のある、そのうえ皇国の枢要に影響力のある斎姫の名でかくなったうえは皇国に投ぜよ、そういえば?」
「……なるほど。そうすれば、初戦の勝利だけでほぼそっくり大公家を接収できる。流血も最小限で済み、制圧というよりは合併、というわけですね」
「そのとおりです……皇上はずいぶんと理解が早いですね? どこかで軍学を?」
「いえ、そうしたものはまったく……」
「そうとは思えませんが……、まあ、そういうわけです。この策のかなめ、絶対に失敗が許されないのは帝国との同盟。なので、わたしが行きましょう」
「いいのですか? 政にはかかわりたくないと仰っていたような……」
「それは今も変わりませんが、手のかかる主神がリンゴ酒を飲みたいとご所望ですので、かなえてあげないと暴れられても困るでしょう?」
そういって。
正月三が日の催事を終えるや、すせりは単身、汽車に乗って帝都ザントライユへと発った。
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