新たな平和の世を築こうではないか
山々の色は紅から茶、そして白へと変遷していった。魔王とリーシャが住む山々は雪が積もり、雪ウサギが庭を駆け回っていた。
買い出しの一件からリーシャは塞ぎ込み、魔王が訓練に誘っても自室から出てこない日が多くなっていた。
自分が正義と信じて疑わなかった一族が、魔法使いを始めとした人間の大量殺戮を主導していた。その事実が受け入れられず、彼女自身これから何を思って生きていけばいいのかわからずにいた。そもそも一族から命じられた魔王討伐に関してもこの魔法根絶の一環であるとするならば、この行いは正義足りうるのだろうか。彼女の中に迷いが生じていた。
雪が積もり、空は青く晴れ渡る。魔王は平らな雪面を踏みしめ、凍えるような空気を全身で取り込んでいた。マグカップからは湯気が登っている。寒冷期では栽培できる野菜は限られる。しかし、手入れを怠ってしまうと次の栽培に影響が出る。面倒ではあるが、彼にとっては愛おしい時間でもあった。
青と白のコントラストを眺めていると、視界の端に動く何かが見えた。それはゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かってきている。銀色の鎧に金髪。既視感があった。懐かしささえ感じる。およそ1年前、リーシャが来た時もこのような景色だった。雪は降っていなかったが。
「魔王というのは、貴様だな」
魔王より拳ひとつ分ほど小柄(とはいえ、一般男性よりは随分と大柄な)男は、魔王をじっと見据え、訊ねた。息が上がる様子もなく、鎧と大剣は身体に見合っていた。
「魔王さんの家はあちらですよ」
「とぼけるな」
流石に通用しないか、と魔王は胸の中でほくそ笑んだ。金髪の男は魔王の冗談など意にも介さず、魔王の家を見回していた。少しして魔王の方へ向き直す。
「金髪の女が来ただろう。殺したか」
「来客は数百年ぶりだよ。数百年前の女性を探しているのかい。人間は長生きなんだねぇ」
「とぼけるな」
ここまで冗談が通用しないとさすがに面白みに欠けるな、と魔王は胸の中で悪態をついた。リーシャは相変わらず部屋に引きこもっている。会わせないに越したことはないが、果たしてどうしようか。
「リーシャ! そこにいるのはわかっている! 顔を出せ!」
魔王が考えを巡らせていると、男は大声を上げてリーシャの名を呼んだ。少しすると、ドアからリーシャが顔を出した。彼女の顔はやつれていて、いつものような覇気がない。
「お、お兄様……?」
「リーシャ! 心配したんだぞ。我々に便りも寄越さず何をしておったのだ」
兄を名乗る男はリーシャに駆け寄り、魔王の目を憚ることなく抱きしめた。リーシャは兄との再会で心に沸き立つものがあるかと思っていたが、自分でも不思議なほどに冷静になっていることに気がついた。
「お兄様……」
「おぉ済まない、苦しかったな。リーシャの帰りがあまりにも遅いので心配して見に来たのだ。何か酷いことをされていないか? 酷くやつれているみたいだが」
「酷いことをしているのは、我々ではないのですか」
「何……?」
魔王から聞いた歴史改竄活動、リーシャの中でその話が楔のように彼女の心に深く突き刺さっていた。いつかフリーマン一族を受け継ぎ、世界平和のために女王となることを決心した彼女にとって、その過去はあまりにも凄惨で残酷で、正義感のひときわ強い彼女にとって心身とも塞ぎこむに充分であった。
「いいかリーシャ、人間にとって魔法は悪なのだ。魔法の力をのさばらせては、また魔王のような混沌の根源たる邪悪が幾度となく生まれるのだぞ。我らが祖先ジャック・フリーマン様はその類まれな先見の明で悪を未然に防いだのだ。偉大なる祖先に感謝せねばならん」
「そのために、罪のない魔法使いを殺したのですか」
「未来の平和のため、そして正義のためだ」
リーシャの目は未だ光がなく、むしろ更に失われているように見えた。次第に目に涙が溜まり、一筋の道となって滑り落ちた。
「我らが祖先がおこなったのは正義でもなんでもない、邪悪そのものです。罪のない人々を殺し、歴史から葬ったのは悪の所業に他なりません。私は、そんなフリーマン一族が許せない」
「何を言う。では今から兄と共に魔王を討ち、二人で王と女王になろう。そして数多の子を成し、新たな平和の世を築こうではないか。お前が許せない過去の所業も水に流せるような、そんな世を作っていこうではないか。私とお前なら、きっとできるさ」
「お兄様、何か言いましたか? 何も聞こえませんが」
「何?」
リーシャの聴覚は既に魔王によって奪われていた。魔王は積もった雪を掻き分け、土から飛び出た僅かな緑の葉を掴み、それを引き抜いた。
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
辺りをマンドラゴラの悲鳴がこだました。
たまたま空を飛んでいた小鳥は雪の上にパサと落ち、雪ウサギは卒倒し、痙攣を繰り返し、リーシャの兄もまた、声にならない声を上げ、泡を吹き、雪の上に倒れ、動かなくなった。
「さて、君の兄殺しは僕が勝手にやったことだ。君は、僕を恨むかい」
「恨む? 何故」
しばらくして山々が再び静寂を取り戻した。どこか遠くで小鳥がさえずり、狼が吠える。
「私は何も見ていない。気分転換に外へ出たら何故か見知らぬ男が目の前で死んでいた。違うか?」
「……いいや、何も」
リーシャの聴覚と顔色は元に戻り、普段の快活な彼女に戻っていた。雪の感触を確かめるように数歩歩き、深く息を吸い、そして吐いた。
「勘違いしてもらっては困るから言っておく」
「なんだい」
「私の祖先がおこなった悪行は今でも許せない。しかし、かつての貴様の悪行を許したわけでもない。だから、これから先も貴様の命をもらうまでは今の生活は変わらんと思え」
寒空の下、リーシャの金髪と魔王の白髪がリズムよく風になびく。魔王はマグカップを持ったまま静かに微笑む。中のコーヒーはすっかり冷え切っていた。
「ちなみに、勇者が魔王を完全に討ち取れなかった理由を知っているかい」
「なんだ」
「僕は不老不死なんだ。魔力で身体を維持しているが、魔力さえどうにかできればいつでも復活できる」
「……そうか」
二人は互いにほほえみながら、家の中へと入っていった。外は相変わらず雪で覆われた純白の山々と、澄んだ青空が広がっていた。
リーシャと魔王と山々と 常盤しのぶ @shinobu__tt
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