魔法はね、誰も知らないんだ
「これくらいあれば十分かな」
山の木々が色づき、様々な野菜や果物が収穫できる季節になった。日差しも和らぎ、過ごしやすい日が続いていた。
魔王とリーシャは麓の街まで買い出しに出かけていた。リーシャが住み込みを始めるにあたって買い出しは行ったが、その時は魔王一人だったため、リーシャは初の買い出しとなる。必要なものは既に粗方買い込んでおり、今は喫茶店に荷物を預け、テラスで二人して休憩していた。リーシャはアップルティー、魔王はブレンドコーヒー。
「かなり買い込むんだな」
「普段はここまでじゃないんだけどね。山の木々が紅くなっていただろ? もうすぐ寒くなるサインだ。寒冷期を乗り切るためには用意しすぎるほうがちょうどいいんだよ」
木々が紅く色づくと、まもなくして葉が全て落ちる。そうなると魔王が住む山々は寒冷期に差し掛かる。気温はぐっと下がり、大雪が降り、酷い時は氷点下を遥か下回る。野菜の栽培はもちろん、野生動物も冬眠か凍死をしているため、多くは望めない。そのため早いうちに保存食を中心に買い込む必要が出てくる。在庫切れイコール死となるため、いつも多めに買う。
「だから、寒冷期の間は外でのトレーニングができない日が続くと思うからそのつもりで」
「まぁ致し方ない。室内でもできることは色々あるから気にしないさ」
「あ、雪が積もるとマンドラゴラの収穫時期だから手伝ってもらうかも」
「そんなもん手伝わすな! 最悪私が死ぬじゃないか!」
「大丈夫だよ、収穫の時だけ魔法で一時的に聴覚を奪うから」
「ならいいか……いやそういう問題ではない!」
魔王とリーシャが出会って半年が経過した。あれからリーシャは魔王の家に住み込み、それなりの信頼関係を築いているようにも見えた。魔王を殺すために本人から教えを請い、魔王は殺されるためにそれを師事する。一見すると奇妙な関係だが、魔王本人が思っていた以上に今では居心地の良い関係となっていた。
「保存食って、自分で作れないものなのか?」
「作ろうと思えば作れるだろうけど、やったことがないからわからないな」
「寒冷期の間は暇だろう。作り方を覚えてしまえば買い出しの量も減らせるんじゃないか」
「なるほど、良い考えだ」
保存食の作り方が載っている本を探してみよう、と魔王が言うと同時に道路の奥から騒ぎ声が聞こえてきた。声がする方から顔が青ざめた人間が数人こちらに向かって走ってくる。目を凝らして見てみると、黒い煙が空へと登っていた。
「面倒事に首を突っ込むのは避けたいが……」
「諦めろ、行くぞ!」
「だよね」
会計を済ませ、人混みの中心へと向かうと、どうやら建物の一角で火事が発生しているようだった。木造の建物で火の勢いが強く、このまま放置しておけば周り火が移り被害が拡大してしまう。火の勢いに合わせて野次馬も増える一方で、しかし誰もどうすることもできずにいた。
ただ一人を除いて。
「リーシャ、人除けを頼む」
「わ、わかった」
火事の現場から少し離れた場所で両手を前に伸ばした魔王は、目を瞑り、何かを唱え始めた。木が燃える匂いが鼻をつく。長い白髪が怪しく揺れる。その間リーシャは野次馬に危害が及ばないように安全な場所へ誘導していた。とはいえ、リーシャ自身どこが安全か検討がつかなかったため、できるだけ火事の現場から距離を置くくらいしかできなかった。
野次馬が捌けた後も魔王は微動だにしていなかった。程なくして火事が発生している建物の頭上が不自然に暗くなった。まだ日が落ちる時間ではない。付近は暖かな昼下がりの陽気だが、火災現場周辺のみ真夜中のように思えた。
「雲……?」
リーシャが頭上を見やると、建物のすぐ上に分厚い雲が出来上がっていた。白い雲は次第に黒みを帯び、そしてゆっくりと雨が降り出した。雨は衰えることなく、それどころか次第に勢いを増し、豪雨とも呼べる大雨となり、建物から吹き出す炎の勢いを徐々に弱らせていった。
「よし、もう大丈夫かな」
魔王の顔は汗にまみれており、息も荒くなっていた。雨は相変わらず止む気配がなく、そのまま鎮火する勢いにも思えた。リーシャが魔王の元へ駆け寄る。
「これ、貴様がやったのか」
「自然現象を利用したから詠唱を短く済ませることができた。本当は大量の水を直接ぶつけたかったけど、流石に今の僕では魔力が足りないし、できたとしてもあまりにも露骨だしね」
「露骨?」
リーシャが疑問に思うと同時に再度野次馬が集まってきた。人々はこの奇妙な気象現象に首をひねり、火事の鎮火を見守った。火の勢いは確実に弱まっているが、建物内の火は完全に消えたわけではない。勢いが弱いため、ここから先は地元住民でも対処できる。野次馬は建物の上にのみ浮かぶ分厚い雲を見て口々に言った。
「なんだあの雲は」「不気味だ」「気持ち悪い」「何かの祟りじゃないか」「怖い」「意味がわからない」「誰かの仕業なのか」「そんなわけあるか」「こんなことできる人間などいるわけがない」「そうだ」「しかし、さっきそこでボーッと突っ立っている男がいたぞ」「誰だ」「知らん、あまり見ない男だ」
「さぁ、帰るよリーシャ」
「え、でも」
「いいから」
魔王とリーシャは火災現場から隠れるように離れた。野次馬は今発生した奇妙な現象について口々に語り続けていた。
喫茶店まで戻り、置きっぱなしにしていた荷物を引き取った。先程の騒動で体力を消耗した魔王は再びブレンドコーヒーを注文し、晴れ渡る外の景色をぼんやりと眺めていた。リーシャもそれに付き合い、外を見やる。
「魔法はね、誰も知らないんだ」
「どういうことだ?」
「魔法という存在がなかったことにされている」
3000年前、魔王が真の力を発揮し、世界を混沌に渦に陥れていた時代。魔法はあって当たり前だった。誰しもが魔法を使い、その力とうまく付き合っていた。
「3000年前の世界で魔法は特殊でもなんでもなく、極めて日常的な技能だったんだ」
「それは私も知っている。知っているが、なかったことにされているというのはどういうことだ?」
「歴史の上で魔法という存在が禁忌となった。魔王である僕が討たれた後、魔法そのものを歴史から消し去る大規模な活動があった。まず手始めに、世界の名だたる魔法使いは歴史のために抹殺された。日常生活で魔法を使えば密告され、また殺害された。世界まるごと動かす程の、大規模な歴史改竄活動だ」
魔王の話を黙って聞いていたリーシャはたまらず口を挟む。
「そんなことできるはずがないだろう。世界がどれだけ広いと思っているんだ。世界まるごと変えるなんて大それたことできる人間なんて……あ……」
言っている途中で何かに気づいたリーシャは口を開けたまま動くことができなくなった
。魔王は続ける。
「人間がひとりふたり集まった程度ではこんな大規模な改竄活動なんてできるはずもない。しかし、十人、百人と集まり、結託し、人間が実権を握る世界の中で、時間とともに世界を動かす程の絶大なる力を得ることができれば、魔法の根絶という不可能は可能になる。まぁ、完璧にとはいかなかったみたいだけど」
「そんな……そんなわけ……」
「魔法を滅ぼし、異能たらしめた張本人はフリーマン一族、君の家だ」
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