雨が止む日

つるよしの

雨は降り続けども

「よりによって、今日が雨なんてね」


 そうは言うけど、俺にとって雨は何よりの呪詛だった。


「今日は雨だからな」


 俺は何回そう言って、君との外出の約束を反故にしたことだろう。


「そんなに言うほど、降ってないよ」

「そうは言っても、雨は雨だ。俺は無駄に濡れたくないんだよ」


 そう言うと、俺は由加里をベッドに押し倒す。

 そして首筋に痕がつくほどに強く、キスをした。


 そのあとは、まぁ、ご想像の通りだ。由加里の着替えたばかりの白いワンピースを乱暴にその肌から脱がす。


 赤のレースが官能的な下着を剥ぎ取るとき、由加里が羞恥の声をあげたが、俺はこんなにひらひらした下着を着けたからには、こうなることも期待していたんだろう、と男特有の都合の良い解釈を脳内に展開させて、その指先に力をより込める。



 情事が終わって、ふたつの弾んだ息の向こうで、雨音が聞こえると、俺はなおさら安堵する。


「ねぇ、雨、今日一日降り続けるのかな」

「そうだろうな」


 俺は由加里にぶっきらぼうに答える。そして、この言葉は肯定でなく俺の願望だと、心のどこか奥底で意識する。


 このままずっとずっと雨だと良い。

 なぜなら

 このままずっとずっと君を独占できるから。


 俺は怖い。


 たとえ手を繋いで、腕を組んで、外に出ても、いつか君が俺の手をすり抜けて何処かに去ってしまいそうで。安心できない。

 

 こうして肌を合わせていないと。

 君が俺のそばにいるのだと、無理矢理にでも体感しないと。

 君に無理矢理にでも体感させないと。

 俺の熱を君に擦り込まないと。

 君の熱を俺は吸い取らないと。



 だけどいつか雨は止むものだ。


 たとえ、絹糸のような細い無数の水の線が天から落ちてくる様子が、俺の窓越しの視界を覆っていても。


 そう、今日も変わらず雨が降っている。


「よりによって、今日が雨なんてね」


 由加里はいつかの白いワンピースを着ている。

 その片手にはトランクがひとつ。中身は俺の部屋に置いていた、数多くもない彼女の私物だ。


「お気に入りのワンピースなのに、濡れちゃう」

「別れの日を、お前は、お気に入りの服で迎えるのか」


 俺は由加里に背を向けたまま、ここそとばかりに皮肉を投げかける。それはせめてもの虚勢だと、俺は知っている。


「そうよ。今日だって、私には意味ある特別な日なんだから。あなたにとっては、そうでないかもしれないけど」


 由加里は冷めた声でそう言葉を放ってきた。


「俺にだって、そうだよ」


 だが、俺のその言葉は微かすぎて、聞こえなかったと思う。

 その代わりに俺が大きな声で言ったのは別のことだ。


「濡れるのが、嫌なら、今日出て行くことは、ないんじゃないか」


 そう言った俺の背後で、ドアが閉まる音がした。

 ついで、かんかんかん、とアパートの階段を降りて行く足音も。

 

 それがなんとも、軽やかに楽しげにリズミカルに聞こえて、俺は思わず憤りのままに、壁を蹴った。がつん、と言う音の後に壁を見てみれば、築20年の安アパートの壁らしく、そこには、べこり、とへこみが出来ていた。


 ひとりになった部屋に、雨の音が響く。

 だけど、もう、この雨音は、誰をも、俺のもとに引き留める呪詛になることは無い。


「今日は雨だからな」


 俺は独り言つ。

 もはや、その言葉が何の意味も持たないことを知りながらも、口にせずにはいられなかった。


 雨はいつか止むものだ。

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雨が止む日 つるよしの @tsuru_yoshino

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