魔女は笑う。

 その後も、懲りずにギルバートは家にやって来ては、私に追い出されていた。だんだんとギルバートの警戒も解け、私たちはそれなりに楽しくすごしていた。私の出したお茶も飲んでくれるようになった。

 威圧的な口調は相変わらずだが、私を捕らえる気は薄れているようだった。最近では剣に手をかけることもない。

 こんな日々が永遠に続けばいいのに。



 その日は、やけに外がうるさかった。ギルバートがやって来る時間帯だったから、なんとなく察しはついた。

 ギルバートがなかなか私を連行しないから、お仲間の聖騎士が共に来たと言うことだろう。

「……時間切れ、か」

 こうなることはわかっていた。教会の、聖騎士の、魔女に対する執着は異常だ。異常という言葉でも足りない。

 はあ、とため息を吐きながら、私はドアを開ける。


「うるさいのだけど、ギルバート?」

「すまん」

「ツ、ツェツィー、リエ・シュ、シュシュネルドルファー、無駄な抵抗はやめて、大人しくついてこい」


 若干噛みながら、聖騎士はギルバートの言葉を遮った。

 聖騎士は四、五人いて、本気で私を捕らえる気なんだとわかる。


「あら、今日はたくさんお友達を連れてきたのね、ギルバート。でも、ダメよ? 私が招待をしてるのはお前だけだもの」

「貴様、無視をするな! さっさと家から出てこい!」


 ギルバートと話がしたいのに、聖騎士が邪魔をするせいで、まともに会話もできない。


「お前たち、さっきからうるさいのよ。私はギルバートと話しているの。外野は黙っててくれる?」

「……っ!」


 殺気に怯んだ隙に、すかさず指を鳴らす。ギルバートを家の中に入れ、他の聖騎士たちは教会に送り返した。



「あいつら、初めの頃のギルバートに似ているわね。聖騎士ってみんなそうなのかしら?」


 くすくすと笑う私とは反対に、ギルバートは思い詰めた顔をしていた。何のためにジョークを言ってると思っているのだ。少しは察してほしいものだ。


 とりあえず当たり障りのない話をしてみるが、ギルバートはいつまでたっても口を開かない。表情も明るくなることはない。

 結局、私の方から話を切り出すしかなかった。


「もう限界なのね?」


 ギルバートは黙ってうなずいた。


「そうよね。魔女の疑いがある私をいつまで経っても連行しないんだもの。むしろ、よく持った方ね」


 ギルバートは唇を噛んで、うつむいた。

 出会ったばかりの頃は考えられない姿だ。これまで私のことを心配してくれるなんて、嬉しいという言葉以外に何も出てこない。


「貴様は世間で言われているような、悪い魔女ではない」

「そうね。付け加えるなら、ほとんどの魔女が厄災に関与してないわ」


 そんなことは聖騎士であるギルバートだって知っているだろう。

 危険なのはごくごく一部の魔女。しかし、他の魔女にだって厄災を起こす力はある。

 だから、何かを起こす前殺してしまうのだ。それが一番手っ取り早い。


「……貴様のことを助けるには、貴様が無害である、有益である、ということを示さないといけない」


 今まで聞いたことのない重い声で、ギルバートは告げる。


「魔女について、教えてくれ。まだ話していないことがあるだろう? 『魔女は寂しがりや』という話だ」

「…………」


 別にそのことを教えることが禁忌なわけではない。ただ、進んで話したい内容ではないし、どちらかと言えば隠しておきたい類いの話だ。


「頼む、ツェツィーリエ」

「……っ!」


 ただ、私のために必死になってくれるギルバートを見て、教えないという選択肢をとれるはずもなかった。


「いいわ。そこまで言ってくれるなら、教えてあげる」

「本当か?!」

「ええ。でも、これは魔女の根幹にあるものであって、それが役に立つかどうかはわからない」

「それでも構わない」


 揺るぎない金の瞳。力強い返事。躊躇う必要なんてない。


「ねえ、魔女ってどうやって生まれるか知ってる?」

「え? 生まれたときからじゃないのか?」

「違うわ。魔女はね、寂しさから生まれるの」


 魔女は元々普通の人間だ。特別な力を持たない人で、両親だって人間。


「寂しいって感情が身体中埋め尽くしたとき、ただの人間だった私たちは魔女に変異した」

「貴様もか?」

「あら、ツェツィーリエって呼んでくれないの?」

「……ツェツィーリエもか?」


 相も変わらず、ギルバートは私の名前を噛まない。そんなことがとても嬉しかった。


「愚問ね。私も他の魔女と変わらない」


 寂しさから生まれた魔女。誰よりも孤独な魔女。魔女は寂しさに弱い。


「魔女は寂しさに弱いの。お前もわかるはずだよ」


 そう言っても、ギルバートは首を傾げるだけだった。

 すぐに思いつくものでもないので、話を続けることにする。


「魔女を処刑するとき、笑っている魔女がいるでしょ?」

「それが?」

「奇妙だって思うだろうけど、私たち魔女からすれば当然のことなの」

「は……?」


 人間と魔女の『寂しさ』の感じ方は違う。だから、ギルバートが答えにたどり着けなくても仕方なかった。


「魔女は寂しがりや。誰かに一緒にいてほしいの。それは死ぬときも変わらない」

「……あ」

「ひとりで死ぬくらいなら、蔑まれても大勢に看取られたほうが幸せなのよ。ひとりじゃないもの。寂しくないもの」


 ギルバートは何かを言おうとしたが、すぐに言葉を飲み込んだ。

 言いたいことはなんとなくわかった。けれど、わざわざ聞くようなことでもないので、気にしないことにした。それに言わなかったのは彼なりの気遣いのはずだ。


「笑っている魔女は本物。しかも、相当な寂しがりやのね」


 そもそも、人間なんかに易々と捕まる魔女なんていない。魔女はわざと捕まっているのだ。己の目的を――孤独な死を迎えないための。


「魔女の『寂しい』って感情を利用する。それはひとつの有効な手段よ。ただ、」


 そこで一旦言葉を句切り、ギルバートの金の瞳を真っ直ぐ見る。


「その感情は激しい。寂しさに支配された魔女を甘く見てはダメ」


 ギルバートの喉が鳴る。


「それはツェツィーリエも、同じなんだよな……?」


 言葉では表現できないような、様々な感情が混ざり合った顔をするギルバート。ここまで感情をあらわにした彼を見るのは初めてだった。


「私は魔女」


 それが唯一の答えだった。

 結局、その日はギルバートの顔が晴れることはなかった。



 *



 翌日、ギルバートが来るには早い時間に、どんどんと激しくドアが鳴った。

 胸騒ぎがする。ドアなんて開けたくなかった。


「魔女、今すぐドアを開けろ! いい物を持ってきたぞ!」


 外から声がする。昨日やってきた聖騎士の声だ。

 ますます嫌な予感しかしない。どくどくどく、心臓が激しく鳴る。

 どんどんどんどん。激しさを増していく音。ドアが壊れることはないが、この音は精神的に苦痛だった。


 耐えることができなかったので、震える手でドアを開けた。

 そこには昨日来ていた聖騎士たちが立っていた。予想通りだ。

 そんなことよりも、そんなことよりもっ!


「い、いやあああああああああああ」


 聖騎士のひとりが持っているあるものに、私の目は釘付けだ。


「貴様がしぶといから、手土産を持ってきたぞ。喜べ!」


 そう言って、乱暴にそれを私の方へと投げつけた。ごろん、と音を立て、左右に少し揺れる。


 慌ててそれを拾う。その姿を聖騎士たちは面白そうに見ている。


「可哀想だよな、ギルバートも。貴様にたぶらかされたばっかりにこんな姿になっちまって」

「あ、あああ、ああああああああああ」


 聖騎士たちが持ってきたもの。

 私の愛しい愛しいギルバートの、首。

 死んでから時間が経っているのか、すでに冷たい。綺麗な金の瞳も濁っている。


「そういえば、魔女は寂しがりやなんだってな? どうする? お気に入りは貴様を置いて、死んじゃったぜ?」

「あ、あ、ああ、あああ、ああああああああ」


 どうして、どうして、ギルバートがこんな姿に。

 彼は真面目だった。聖騎士の仕事も一生懸命取り組んでいた。

 こうやって、殺される人じゃない。こんな終わりをしていいはずがない。私を置いて、逝っていい人じゃない。


「貴様はひとりぼっちだ。だったらせめて、世のために死んでくれないか? ギルバートもきっとあっちで待ってるぜ?」

「ああああああああああああああああああ」


 誰が殺した? 教会だ。聖騎士だ。

 ギルバートの死を利用した。ギルバートの死を誰も悲しんでいない。


 どうして、どうして、どうして。せっかく見つけたのに。ひとりじゃなくなったのに。

 どうして、どうして、どうして。


「壊れたな。まあいいや。連れて行け。処刑の準備はできている」


 ギルバート、ギルバート、ギルバート。

 どうして私を置いていったの。ひとりにしたの。


 寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。寂しい。

 寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい。


 寂しいよ、ねえ!



 ●




 ひとりの魔女が処刑されようとしている。

 彼女は酷く泣きじゃくっていて、狂ったように何かをつぶやいていた。人名のようにも聞こえるが、ただの譫言だろう。


 そんな姿を見て、誰もがこの厄災の原因たる魔女だと確信めいたものを抱いた。


「最後に言いたいことはあるか、魔女よ」


 処刑人が聞く。

 どうせ、何も言うことはできまい。


「……ねえ、ギルバート。こんなに人がいる。私、寂しくないよ」


 うつらうつらと魔女は話し出す。

 予想外のことだったので、皆がざわめく。


「ちゃんと、仇をとるわ。見ててね、ギルバート」


 そして、魔女は満面の笑みを浮かべる。


「今行くわ、ギルバート」


 気味が悪くなった処刑人は魔女の言葉を遮るように刃を落とした。

 魔女の首が切れたのが先だったか。複数の雷が同時に落ちたのが先だったか。


「ああ、魔女の呪いだ」


 誰かがつぶやくと、瞬く間に悲鳴が広がっていく。





 ちょん切れた魔女の首。その顔は恐ろしいほど美しい笑顔だった。

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