あの文豪小説に入ってしまいました! こころ編
第1話 私は暗い人生の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。然し恐れては不可せん。暗いものを凝と見詰めて、その中から貴方の参考になるものを御攫みなさい。
あの文豪小説に入ってしまいました! こころ編
風子
第1話 私は暗い人生の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。然し恐れては不可せん。暗いものを凝と見詰めて、その中から貴方の参考になるものを御攫みなさい。
「はーい、みんな!先日の小テストを返します!光(こう)、後で職員室に来なさい!!」
「・・・はい・・・」
昭和時代に建てられた古びた校舎の窓際の席で、光はぼんやりと外を眺めていた。
こんなにいい天気なのに、休み時間、職員室かよ・・・と憂鬱に眉をひそめる。
「なんで呼ばれたか、解っているわよね?」
「・・・この、、小テストですかね?」
「そうよ!!」
国語科の工藤先生は、きれいに足を組んで、腕まで組んで、、、真顔が美しいな。んで、相変わらずグラマラスだ!
「はい、自分で書いた読後感想文を読んでもらおうか。」
「・・・夏目漱石”こころ”を読んで。
この男最低です。お嬢さんも、もっと意思表示すべきです。母親も打算的すぎる。金目当てみたいだ。文豪作品と言われても、共感できるところはどこにもない。
私はいったい何を読まされているのか。」
工藤先生は左の人差し指でこめかみを押さえて、じっと聞いている。眉間の縦皺もせくしーだ。
「KもKです。いいやつだが、死ぬことはない。復讐してやる!位の気概が欲しかった。 以上!」
職員室内をくすくす笑いが覆っている。日本史の杉山先生が、飲みかけたお茶を噴き出している。あーあ。
「光さん、、、」
「はい。」
「・・・私も、そう思う。」
「ん??」
「だがしかし!
国語のテストとしては、この感想文に辛い点を付けねばならん!と、いうか、評価できかねる。わかっているよね?」
「・・・はい・・・」
「ここに、」
と言って、先生が自分の机の引き出しから、文庫本を一冊取り出した。
「この本をまるまる一冊読んで、読後感想文を800字で書いてきなさい。3日、かな。」
渡されたのは、まさに夏目漱石の”こころ”
薄っすらと日に焼けているのは、先生の蔵書なんだろうと思われた。
「なんの、、、罰ゲーム?」
「何?」
「いえ!なんでもありません!!」
「理不尽と思うような設問にも、どんなに自分がつまらない作品だ、と思っても、それは主観でしかないから、そんなもんストレートに書いても評価できない。わかるよね?それなりに作中から何か見つけて書いてきてね!入試にこんなこと書いたら、アウトだかんね!」
「・・・」
「あ、君は公務員試験一本なんだっけ?」
「はい!」
「うーん、まあ、いろいろ家庭の事情もあるかもだけど、文系でトップクラスにいるんだからさ、進学は考えにない?」
「ないですね。
どこかの田舎の公務員になって、経済的に安定して、趣味で裁縫をする、ってのが夢なので。」
「いや、だから、デザイン科とか被服科とかもあるよ?」
「うーん、少しでも早く稼げるようになりたいので。裁縫は本当に趣味でいいんです。お裁縫で食える時代でもないので。」
「ん~まだ高2だ。あと一年、よく考えてみなさいや。
じゃあ、3日後、楽しみに待ってるわ。」
教室に戻ると、部活が始まっている時間なので、帰宅部の子がちらほら残っているだけ。一応、文武両道を説く、なーんちゃって進学校なのだ。進学も、スポーツ系も文科系も、それなり。
小テストと文庫本をカバンにしまい込むと、旧館3階の家庭科室に急ぐ。
光の所属する家庭科クラブは、出入り自由。月一で家庭科の大野先生が季節に合わせて、生け花教室や、お料理教室や、お菓子作ったり、、、7月は着付け教室が開催された。家庭科クラブの子は男女にかかわらず、浴衣やお正月用のウールの着物なんかは自分で着られるようになる。
あとは、それぞれやりたいことをやっている。
「あはは!職員室で感想文読まされたって?」
「たーまーちゃーん!理系は国語科で”こころ”やんないの?」
「やったよー!ある意味、びっくりな内容だったよね!そろそろ教科書つくってる人も、新しい作品に目を向けるべき!いい作品いっぱいあるのにねえ!それでも、明治時代の文豪の ”こころ” なんだもんねえ」
と、三つ編みを踊らせながら笑い転げている。眼鏡がずり落ちるほど笑うことか?!
「あーお光さんは面白いなあ~文系トップが笑いを取れるなんて、素晴らしいわ!」
「・・・ねらったわけじゃありません・・・おかげで、”こころ”文庫本一冊読んで、感想文になったわ。」
「まじかあ~ご苦労さん、としか言えないねえ」
そう言って、まだ笑い転げている。玉ちゃん・・・
「だんだん閉めるよー」
家庭科クラブの副顧問の杉山先生が、それぞれの作業に没頭する生徒たちに声をかける。いい人だ。のほほんとして。社会科の先生だけどね。
本当に日本史が好きらしく、授業中語りすぎて、脱線する。キラキラと目を輝かせて刀の話なんかするもんだから、一部の女子に人気が高い。
「あ、光君、だんだん片付けな。あと10分で閉めるよ!」
「はーい」
ごそごそと大きな風呂敷に荷物を片付けていると、先生が私を待ちながら独り言のように、
「明治時代は、文明開化、とか言われていたけど、やっぱり大学に行けたりするのは金持ちだけだったんだ。身分差も歴然とあったし、男尊女卑もひどかったなあ。夏目はあの”先生”のように、金持ちだったんだ。」
まるで、自分の昔話をするように、
「特に女の子は、良いところに嫁にやると、一家安泰だったり、、、まあ、財産だった、って感じかな。確かに、親の決めたところに嫁に出す、なんてことは昭和まで残ってたしね。」
「・・・じ、人身売買?」
「女性には生きにくい時代だったと思うよ。この頃の女性が、これからの女性の地位をあげていくんだ。」
「・・・・・」
「で、な?Kは確か浄土真宗だったから、確かに君が言った通り、自殺はどうかと思うんだ。」
「・・・?」
「鎌倉時代のところでやったけど、聞いてた?
親鸞は鎌倉時代の繰り返される戦乱、旱、飢饉、、、そんな時代を生きた人で、
”それでも生きろ”と言い続けたんだ。
人生は荒波の海のようで、渡り切れないように思えるけど、きっと仏様が助けてくれるよ、って。
だから、、、そこは違うと思ってるんだ。」
「・・・・・・?」
「あ、あとな、工藤先生が進学勧めるのは、君の実力を惜しんでのことだと思うんだよね。君にはいい迷惑かもしれないけど、もったいないと思うんだろうな。学ぶことは楽しいよ。あ、もちろん、どこにいても学びはできるし、君が君で選んだ進路を否定するものじゃないよ。」
「・・・はあ・・・」
「さ、そろそろ閉めるよ!お疲れさまー!」
「はーい、ありがとうございました。」
7月初めの今頃の7時は、まだまだ薄明るい。
ひょろりと細めの杉山先生の影が、これまたひょろりと廊下に長く伸びる。
「いいやつだなあ、杉山!」
後ろ姿に玉ちゃんがぼそっとつぶやく。
二人でうふふっと笑いながら階段を下りた。
*****
僕はもう誰にも騙されない。
両親を亡くした僕の財産は、後を託していた叔父にごまかされた。あげくに、叔父の娘と結婚させようと謀った。僕は財産を金に換えた。正直、利子を使いきれないほどの金があった。僕はもう騙されない。
金があるので、安い下宿を出て、快適な環境を求めた。未亡人とお嬢さんとが暮らす家に下宿することになった。帝大生だ、とわかると、交渉はすこぶる早かった。
お嬢さんは琴もお華も今一つだったが、なにせ美しかった。
奥さんはお嬢さんと僕を近づけようとしている。またか?僕の財産目当てか?
まあ、所詮、女だからな、女はどうせ愚なものなのだから。
そう奥さんを観察しながらも、お嬢さんには信仰に近い愛をもった。
おかしいだろう?
僕はもう誰にも騙されない。
でも僕はお嬢さんを信じている。
嫁にもらいたいと奥さんに言おうとしたこともある。しかし、罠かもしれない。まんまと陥れられるのはかなわない。
僕はもう誰にも騙されない。
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