第5話 精神的に向上心のないものは、馬鹿だ
今まで以上に夏木君の視線を感じる。まあ、あの雨の日以降ね。
あの雨はしばらく続いた。山のほうはだんだんと雪になっているのかもしれない。
川は今のように河川整備が行き届いていないので、雨が続くと大水になった。ごうごうと音を立てて、茶色い濁った水が流れていく。ぼっ~っと眺める。
珠ちゃんと約束してたのになあ、、、失敗したな。今度は気を付けよう。
私たちは3人でクリスマスミサに参加した。
聖歌隊の子供たちのかわいいこと!練習した賛美歌も上手だったよ!
神父さんのマリア様の話を、小坂君は瞬きもせずに聞いていた。
弱いもののために、、、できることを。
私はコツコツ縫っていたおとなしめのワンピースを。珠子様は清楚なドレスで参加していた。お父様とお母様と同席されている。
珠子様のお父様は、教会に多大な寄付を欠かさないらしい。珠子様曰く、
「まあ、それも彼のビジネススタイルなのよ。」
華族の地位に甘んじず、いくつかの事業を展開している”お父様”は、かなりのリアリストらしい。珠子様が津田塾に通うのも、この方が二つ返事で了解したらしい。
チャコールグレーのスーツにピカピカの革靴。お母様は紺色のワンピース。レースの襟がすてき!この頃のレースは高級品です。
いい身なりの方がたくさん来ているところを見ると、社会奉仕活動はなにかと使えるのかもしれない、、、寄付を集めるための回ってくる籠には、かなりの金額が入っているようだ。
もちろん中には、子供に恵まれず、孤児院から養子を取ろうと考えているご夫婦も来ている。子供たちをきれいに着飾ってよかった!良いご縁を祈らずにはいられない。
「ご縁か、、、」
「ん?」
「いや、ほら、子供たちが縁のあるお家に引き取られて、幸せに暮らせればいいなあ、って。」
「そうだね、、、」
「あ、こんな話いやだった?」
「いや、、、不思議だよね、縁、って。君に会えてなかったら、珠子さんに会えていなかったら、ここにいなかった。そう考えると、無理を言って僕を引き取ってくれた夏木に感謝だな。」
「・・・・・」
「僕は卒業したら、就職するにしても大学に残るにしても、夏木にかけてもらった経費を返さなくちゃいけない。夏木に感謝するのは、それからかな、、」
「あ、、、知ってた?」
「夏木が僕に黙っているよう言ってくれてるんだろ?おかげで勉学に専念できる。いつか必ず、借りた恩は返すさ。」
ミサが終わると、信者の皆さんがめいめいに持ち寄ったご馳走をいただく。甘いお菓子や炊き込みご飯や、煮物や、パンや、、、いろいろ。子供たちも楽しみにしているらしく、わいわいとにぎやかな聖夜になった。
「こちら、お友達の満子さんと、小坂君。」
私たちは珠子様のご両親に紹介していただいた。
「入塾の時に着たワンピースを作っていただいたのよ。そして、彼は帝大でもトップクラスの成績なのよ。今、教会の英語教室で教えているわ。」
「ほう、珠子がお世話になっているね。よろしく。」
小坂君に握手を求めて、そのまま何か話し込んでいる。経済問題?らしい。
私と珠ちゃんはお菓子をつまみながら、お互いの今日の衣装を誉めあった。
「良いクリスマスでしたね。来年も、、、来年、どうなってるか分からないけど、またこうしてみんなでミサに来れるといいわね。」
「あら、どうしたの?お満さんらしくないわ。センチメンタルなの?」
「あ~年が明けたら、お見合いが入っていて、母が乗り気なの。相手はお役人みたい。叔母様のお家で、お見合い。あ~」
「あら、あなたそれでいいの?あなた、面白いのに。」
「へ?」
「いや、自分のことでしょ?自分はどうなの?」
「ああ、私は安定した生活を手に入れて、趣味で洋裁をするのが夢なの。希望を言えば、洋装でいい人がいいなあ、、、」
「他人事みたいに言うのね。自分のことなのに。」
「・・・・・」
本当に実感は無い。まだ17歳なんだ。結婚?将来?ささやかな希望。
ここに来てから周りをよく観察したが、私のような娘は大概、親が決めた人に嫁に行っている。拒否権はあるのか?経済的にはどうなのか?できればこのまま、このぬるま湯のような毎日を送りたい。それは許されるのかな?珠ちゃんのようなガッツも無い、、、、、
「例えばね、その人の情報がないから、例えば夏木君と結婚したとして、、、
夏木君と手をつないで、、」
「うん。」
「夏木君と接吻をして、抱かれて、、、彼の子供を産んで、、、」
「・・・・・」
「一生彼を話し相手に、彼の背中を見ながら生きていくんだよ?」
「・・・・・」
あれ、なんだろう、、勝手に目から涙があふれる、、、
あれ、、、止まらないや、、、
「よく考えな、、、時間はないかもだけど。」
珠ちゃんは私の肩を抱いて、ハンカチで涙を拭いてくれた。止まらない。
どうするの、私?どうするの?どうするの?
考える?考えてどうにかなるの?
しゃくりあげて本格的に泣き出した私を見つけて、小坂君が急いで走ってきてくれた。
「どうしたの?」
「ああ、クリスマスミサに感動したらしいよ、、」
珠ちゃんが笑って、小坂君と立ち位置を変えた。
「本当に、、、いいミサでしたね。」
小坂君が私の背中にそっと手を置く。温かい。ああ、、、余計涙が出るよ。
小坂君、いいやつだなあ、、、でも、貧乏なんだよな、、、そう思うと、涙が止まらない。考えろ、私!考えろ!この貧乏人の手を取りたいのだ。わかっていたのに!
気が付かないふりしてたのに!
帰りは先日のことがあるので、珠子様の車で、玄関先まで送っていただいた。
小坂君はゆっくり歩いて帰るらしい。
別れ際、珠ちゃんが、
「本当は、気が付いてるんでしょ?自分の気持ち。」
と、言って笑った。また涙が出そうだ。
珠子様、気が付きました。けれど、どうしていいかわかりません!考えろ、私!
年末年始のバタバタが過ぎて、私は開き直っていた。
あからさまに小坂君と話をし、一緒に過ごした。どうよ?これで、みんな私が小坂君を好きだと解ってくれたはず!あと半年もすれば、小坂君も就職するはず!本人もそう言っていたし。あと少し、あと少し、、、
見合いは予定通り、叔母様の家で行われることになった。大丈夫、きっと。母親だってわかってくれているはず。とりあえず、って、母も言っていた。
私は根拠のない自信をもって、見合いに出掛けた。とっておきの振袖を着て。見合いの相手より、初めて会う双子の妹に会うのが楽しみ!日記を読み直して、妹さんの情報を再確認する。
妹さんはそっくりだった。私より色が白く、つつましやかで、上品に見える。実際そうなんだろうなあ。お華もお琴も得意らしい。静子、という。静ちゃん、って呼んでたらしい。
会うのは、お正月挨拶の時くらい。名前通り、しずかーな娘らしい。
母親と叔母様のお家の座敷に通される。火鉢が部屋をほんのりと暖めている。
私たちが下座に就くと間もなく、お役人さんの30位の男の人と、その親らしい人が入ってきた。お辞儀してるので、顔はよく見えない。
やがて、叔母様と妹がお茶をもって入ってきた。男は私と妹の顔を見比べて驚いているようだ。だって、そっくりなんだもん。
当たり障りのない、ご趣味は?とか、その男が自分の仕事内容とか話しているうち、話が尽きてしまい、自然とお開きになった。若い方だけで、、、なんていう展開にならなくてよかった!可もなく不可もなく、という感じの、あまり印象に残らない方でした。
みんなで玄関先でお見送りをし、姿が見えなくなったところで座敷に戻った。
「あの、、、」
意を決して、私が切り出そうとすると、母が
「お姉さんの顔を立てて見合いをしたのだから、先方さんにきちんとお断り入れてくださいね。」
「あら、いい条件だと思うわよ。おとなしそうだし。」
「役人ていうから、、、町役場じゃないの!いいわ、お断りして。」
「そんなこと言ってあなたがえり好みするから、いい話来てても決まらないんでしょ、満子ちゃん。」
「いいのよお、家に下宿している帝大生が、どうも満子に気があるらしくて、、末は学者か大臣か、よ。将来有望なの。まだ学生だから、急がないわ。ねえ、満子。」
「お、、お母様!」
こんなに母親に感動したことがあっただろうか!ちゃんと見てくれている!ちゃんとわかっていてくれる!卒業まで待っていいんだ!!よかった!私は心底安心した。いろいろ気をもんだけど、、、何日も眠れないほど悩んだけど、このままでいいんだ!本当によかった!
「あらあ、お姉さま、お顔が赤いわ。うふふっ。
いいわあ、将来有望な帝大生かあ、羨ましい!」
同じ顔の妹が笑っている。私も、久々に心から笑えた。
”求めよ、さらば与えられん”
門はたたき続けると、いつかは開くのだ。神父様、イエス様、、ありがとうございます!
久しぶりに明るい気持ちで家の玄関を開ける。
重くて憂鬱だった振袖も気にならない。
夕食時に夏木君がいつになくおとなしいので、母が、どうしたのか、と聞いている。私も小坂君に聞いてみた。まあ、いつも無口だけどね。
「どうしたの?」
「ただ、口が利きたくないからだ。」
「うふふっ、また難しいことを考えてるんでしょ?」
ちらりと目が合って、二人でちょっと笑った。
*****
奥さんとお嬢さんは朝から親戚の家に出掛けた。家でごろごろしていると、Kが、
「奥さんとお嬢さんはどこに行ったのだろう?」
「叔母さんの家だろう?」
「何しに行ったのだろう?」
珍しく次々に話しかけてくる。めんどくさい。
「見合いだろうか?・・・」
「・・・?」
「僕は、、、僕は満子さんが好きなのだ。」
Kの思いもしない告白に、僕は息ができない。化石にでもなったようだ。
(しまった!!先を越された!)
(どうしよう!どうしよう!どうしよう!)
(僕も言うべきか?お嬢さんが好きだと)
(いや、いや、、、、)
結局、僕はKの告白に対して、何も言うことが出来なかった。
(なぜ突然僕にそんなことを打ち明けるんだ!)
(そんなに、いつの間に、恋が募っていたのだ?)
僕はさっさと布団に入ったが、考えがぐるぐるして眠れない。眠れない!眠れない!
眠れない!ねむれない!ネムレナイ!!
僕はそれから家の者の様子を観察した。
奥さんは?お嬢さんは?変わった態度はないか?
Kはわたしにだけしか言ってないのか?
お嬢さんには言ってないのか?
奥さんには?
・・・観察の結果、僕だけへの告白だと判断した。チャンスを待とう。
ある日僕はとうとう、Kに問い詰めた。
「もう、奥さんや、お嬢さんに伝えたのか?」
「・・・いや、夏木にだけだ。」
読み通りだ!
「・・・どう思う?」
「僕の意見が必要なのかい?」
「・・・迷っているのだ・・・伝えてもいいのかどうか・・・」
Kが理想と現実のはざまでふらふらしている!ここだ!
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
このセリフは、夏休みに僕の勉強不足にKが放った言葉だ。どうだ。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ!」
二回繰り返して、とどめを刺した。修行僧のような生活に憧れてたんだろ?
色恋か?色恋に溺れる気か?
「馬鹿だ、、、僕は馬鹿だ、、」
「君の心にそれを止める覚悟はあるのか?」
「・・・覚悟?・・・覚悟ならないこともない・・・」
僕は勝った!勝った!恐れるに足りない!
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