第4話 私はどちらの方向へ向かっても進むことが出来ずに立ち竦んでいました。身体の悪い時に午睡などをすると、眼だけ覚めて周囲のものが判然見えるのに、どうしても手足の動かせない場合がありましょう。

夏も過ぎて9月の中頃からは、珠ちゃんは津田塾に通いだし、毎日が楽しそうだ。きらきらして眩しい。小坂君と夏木君も新学期が始まった。


私は女学校を卒業してしまったので、家事見習い?となり、時間ができた。


まさに、家事のもろもろの手伝いと、残りの時間はほとんどお裁縫をして過ごした。和裁は初めての体験だったが、やってみると結構楽しい。かつて、ミシンでセパレートの浴衣を作ったことがあったが、、、、、実際に習ってみると奥深い。うん。着物の柄合わせとか、帯とのバランスとか、、、なかなか私的には理想的な生活である。


小坂君が居るときには、なんだかんだと用事を作り、話し相手になってもらっていた。だが、だが、、最近は夏木君が隠しもしない不機嫌な顔をするので、気を遣う。


珠ちゃんに釘を刺されているのだ。


「いい?小坂君は夏木君のお情けで暮らしてるんでしょ?

話を聞く限り、夏木君はあなたを気に入っているわよね?変に刺激すると、逆上するかもよ?」


「・・・ん?」


「例えば、、小坂君を追い出しちゃうとか、、できるわけよね?」


「ん~?」


「なるべく夏木君を刺激しないこと!小坂君に勉強続けさせたいでしょ?大事なことよ。」


「そんなことで?話しただけで?最初に夏木君が"小坂君に話しかけてあげてね"

って言ったんだよ?それに、彼らは親友なんだよ?」


「ジェラシー、とか、、」


「ん?私が小坂君と話していると、親友を取られるような気がする、って感じ?」


「ん~まあ、気をつけなさいな。」


「・・・はい・・・」


「で、どうするつもりなの?」


「どうするって?何が?」


「何がって、、、小坂君。」


「いい人だよねえ、話してみたら素直な人だし。」


「・・・ああ・・・そうね・・・」


私たちは秋になっても、教会の奉仕活動を続けていた。


私は小さい子に和裁や洋裁や簡単な刺繡なんかを教えるようになった。神田にお琴とお華を習いに行っていることになっていたので、遅くなる時は、”華族”の珠子様とお話が尽きなくて、と言っていた。母は”華族”のお友達が嬉しいので、あれこれと珠子様の近況を聞いてきたりした。”ご兄弟は?”とかね。いやいやいやいや、縁談は無理だよ。身分が違いすぎる。


小坂君はもとより無口で通っているので、帰宅時間が早かろうが、遅かろうが、誰も詮索しなかった。彼は教会で開いている英語教室の手伝いをする代わりに、ドイツ語を習っている。相変わらず勉強が好きだな。


そんなわけで、私もそれなりに気を使って、自宅に居るときには用事、郵便を持っていくとか、洗濯物を持っていくとか、、、そんな時にほんの少し会話するように努めた。元々は夏木君が小坂君に話しかけてあげてね、って言ってたのになあ、、ちょっとめんどくさい。

母親は私が夏木君に頼まれたので、気を使って小坂君に話しかけていると疑っていない。半分はあたりだ。


珠ちゃんは塾が始まると、その革新的な思想に感動し、今まで以上に貪欲に勉強している。

ああ、杉山先生の言っていた”明治の女性が女性の地位を上げていく”まさにその道筋を目にしているんだなあ!

たまに小坂君とも女性の地位や権利などの論争を繰り広げている。3人揃って教会に集まるのも、稀になってしまった。二人共、勉強しすぎ!私は、、、今の自分が置かれているこの何とも言えない中途半端な毎日が、、とても気に入っている。

時折、思い出したように見合いの話が来るが、私のところにたどり着く前に母親がお断りしているみたいだ。理想が高いから。母親が。

以前に母親からもらった祖母の小紋の着物をほどいて、自分の秋冬用のワンピースを作ろうと思う。嫁に行くなら、、、洋装オーケーな人がいいなあ、、、あ、小坂君にも何か作ってあげよう。父の軍服が使えそう。背が高かったんだなあ、お父様、、、記憶はないけど。小坂君はちょっと痩せすぎだから、少し身幅を直さなくちゃ、、、丈は間に合いそう、、、




11月のある日、珍しく小坂君が早めに帰ってきた。母と女中さんは雨の中、しぶしぶ晩御飯のおかずの買い出しに出かけていたので、火鉢を小坂君の部屋に持って行ったついでに、久しぶりにゆっくりと話をした。もうすぐクリスマスだから、教会では準備が始まっているんだ。私は賛美歌を歌う聖歌隊の子供たちに、見よう見まねで白いエプロンみたいな、、、なんていうの?を作っていた。生地は例によって、珠ちゃんにお客様用のシーツを提供してもらった。


こっちに来て初めての冬とクリスマス!


さりげなく聞いたら、赤いお洋服のサンタクロースは登場しないらしい。危ない、あぶない!先走って作らなくてよかった!


「今日これから、教会まで採寸に行くんだけど、一緒に行く?雨だけど。」


「・・・うん。」


私たちは連れ立って歩きだした。しとしとと降り続く雨は、雪にはならないだろうけど結構な寒さだ。足元の水たまりに気を付けながら、久しぶりに並んで話しながら。人が通りがかると、傘で何となく顔を隠しながら。


教会につくと、私は早速採寸を始め、小坂君は英語教室で生徒さんたちの指導に入った。小一時間して切りが付いたので英語教室をのぞいてみると、小坂君は小さい子供の机のわきに跪いてスペリングを教えているようだった。書き終わったその子と顔を見合わせて笑っている。(相変わらず前髪は邪魔だが)上々の出来だったのだろうね。いいやつだなあ、小坂君。


雨はまだ止まなかった。暗くなるのが早いので、早めにお暇して帰路に就いた。


「雨、、rain」

「あ、雲、、cloud」

「灰色、、gray」

「・・傘、、umbrella」


私たちはふざけながら、英語のゲームをして歩いた。


「子供に教えるの上手だね。」


「ありがとう!thank you!」


「あはは!」


雨でも、寒くても楽しいなあ!その時までは、そう思っていた。


前から俯いて大股で歩いてくる男がいた。私たちは例によって、会話をやめて、傘で少し顔を隠した。私は少し小坂君の背中に隠れるように身を寄せた。


大きな水たまりがあって、一人しか通れない。なぜここ?

顔を上げた男は驚いたような顔で小坂君を見た。


「どこに行っていたんだ?」


そう言ったのは夏木君だった。


「ちょっとそこまで、」


そう言うと、小坂君は狭い道をひょいと夏木君とすれ違った。

で、私の前に夏木君の顔。気が付きませんように!って、、無理だよね、、

私は水たまりを飛び越えることもできずに、そこで立ち止まるしかなかった。




*****



「お嬢さんと一緒に出掛けたのか?」

「いや、途中で会ったんだ。」

会話が終わってしまった。

僕はお嬢さんにも問いただした。

「Kと一緒に出掛けたのですか?」

お嬢さんは笑った。僕はイライラした。Kは平然としている。


(この女、焼きもちを焼かせようとたくらんでいるのか?)


(いや、この僕の感情は、一緒に歩いていたKへの嫉妬なのか?)


(ああ、愛だ!愛の裏返しの感情なのだ!)


(いっそ、奥さんにお嬢さんをくださいと言うか?)


(いやいや、お嬢さんは僕よりKが好きなのではないか?)


(そんな女を嫁にするのは嫌だ、、、)


僕はこうして悶々と日々を過ごした。

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