第2話 ただ困難に慣れてしまえば,仕舞にその困難は何でもなくなるものだと極めていたらしいのです。

寒くて目が覚める。

光はよだれを拭きながら、羽織を引き寄せる。


「7月っても、夜はやっぱり寒いなあ、、、、えっ?、、、」


着ているのは浴衣に一重の羽織。

四畳半ほどの部屋には、文机と敷いてある布団と小さな箪笥が一つ。


「夢かあ、、、とりあえず、寝よう。」


せんべい布団とはかくいうものか、という布団にもぐりこんで眠った。

なんだか、リアルな夢だった。



東向きの窓から差し込む陽の光で目が覚める。


「・・・まじか・・・???」


浴衣ははだけているし、パンツもブラもつけていない。


「こ、、これは、、、??」


瞬間、走馬灯のように昨晩の記憶を手繰り寄せる。どうも、玉ちゃんが貸してくれたマンガの、いわゆる、”朝チュン”????・・・・では、ないようだ。


そう、身に着けているのは、いわゆる、腰巻?


昨晩は、、、工藤先生に申し付けられた”こころ”の文庫本をブーブー文句を言いながら読んで、、、


「???」


「お嬢様、朝ごはんの用意が出来ましたよ。」


と、年若い女の子の声がする。


(え?どうする私?)


「・・・少し体調が思わしくないので、要らないです。もう少し休みますね。」


「あら、」


あわてて布団に頭まで潜り込む。母親らしい、やや小太りのおばさんが、そっと襖を開ける。


「あら、大丈夫なの?昨日ちょっと寒かったからかしら?」


「だ、大丈夫です。少し眠ります。」


「そう?」


おばさんはそっと襖を閉める。

ざわざわと人が入ってきて、居間で食事が始まる気配がする。


「少し、具合が悪いらしくて、、、」


と、おばさんが言っている声が遠くから聞こえる。

そのまま二度寝してしまった。


目が覚めると、家はシンとしていた。おばさんと女の子は買い物にでも行ったのだろうか。そっと起き出して、着替えを探す。


「腰巻は無理だなあ~」


箪笥も押し入れも探したが、腰巻とふんどし?なぜふんどし?があった。

とりあえず、腰巻の無防備さよりはいいか、と、ふんどしを締めた。なかなか快適である。要は紐パンみたいなものか?つけたことないけど。

寝巻用と思われる浴衣を脱いで、紺地に雪の輪の浴衣に着替える。

(家庭科の大野先生、ありがとうございます!無事に着替えが出来ました!)


「さて、どーする?」


見ると、文机に書きかけの日記が置いてある。自分が置かれている状況を把握するために、読んでみよう。と、他人の日記を読む罪悪感を必要悪に置き換えて、読み始める。


琴が大嫌いなこと。お裁縫は好き。(ふむふむ)

父が軍人で戦死したこと。双子の妹がいたが、叔母が引き取ったこと。

女学校に入れたら、良い縁談が来ると思っていたらしいが、母親が望むような縁談が来なかったこと。片親だし。

女子師範学校に進みたかったが、職業婦人にするつもりはないと反対されたこと。

母が見栄っ張りで、以前住んでいた屋敷を売って、この小さな家を買ったこと。

お金が心細くなってきたので、”物騒だから、静かで寂しいし”とか言って、金持ちの下宿人を置いたこと。

その下宿人が最近、貧乏な同級生を一緒に住まわせたい、金は大目に払う、というので、母親が承諾したこと。

この下宿人は大金持ちらしいが、いけ好かないこと。同居人はホントに貧乏で、勉強ばっかりしていること。

”気を使ってあげてね”とか言って、金にものを言わせている下宿人にゲロがでそうなこと。

母親がこの下宿人、というか、その人の財産をたいそう気に入っていて、私と二人きりにさせようとしたり、世話をさせようとしたりして、気持ち悪いこと。

恋とかしてみたいなあ、、、このままいくと、この下宿人に、嫁に出されそう、、、


「こ、、これって、、、」


いやいやいやいや、、、、、、え?あの、文豪作品に入っちゃった?え?夢だよね?


とりあえず、、、トイレの場所を確認しておこう。


部屋を出るとすぐ居間。脚折れのちゃぶ台に、ふきんをかけられた朝ごはんが取ってあったので、取り急ぎ食べることにした。おひつからご飯をよそって食べる、、、静かだなあ、、、煮物に漬物。なんかの魚。シンプルな味付けで、意外と美味しい。ぽりぽり、、、あーあたし、おなかすいていたんだなあ~


さっと片付けると、あちこち襖を開けてみる。風呂場、トイレ、やっぱりぼっとんかあ、、玄関、座敷(下宿人の部屋)を確認して、自室に戻る。


「とりあえず、パンツかなあ」


押し入れに裁縫道具があるのは、先ほど着替えを探しているときに確認済み。あとは、、、押し入れの奥に浴衣や着物をほどいた生地がたたんで取ってあった。子供っぽい柄だから、何かに使おうと取っておいたのかな?生地自体が貴重品なのかもなあ。さくさくと、トランクスタイプのパンツを作る。出来上がってから気が付いたのだが、ゴムひもがない。ないのか?この時代、パンツのゴムひもはないのか?、、、しかたなく、とりあえず細めのひもを通して完成とする。


ずっと寝ているわけにもいかず、2日で部屋から出てきた私は、大げさに左手に包帯をして、

「・・・捻ってしまって、、、」

と、夏の着物の着付けや、通っている女学校への通学方法や、琴やお華の先生への道筋なんかを、住み込みの女中さんを伴うことで何とかクリアした。

ふんどしの謎も解き明かした。


着替えを手伝ってもらうときに、女中さんが

「あら、お嬢様、月のものでございましたか。」

「・・・つき?あ、ああ、そうそう、月のものなのよ、、」

と、ふんどしと一緒にしまってあった、小さいお座布団の謎も解けた。

しかし、、、この時代の生理用品は改善が必要だ。


夏の着物でもきちんと下着、肌襦袢?を着込むのだ。夏だよ?7月だよ?暑くないかな?と、心配したが、この時代の東京は思ったより涼しい。木綿の下着も心地いいものである。うん。


女学校の人間関係?は、二日間で日記を読破したので、あとは学友の名前を慎重に当てはめていった。本人がずっと気になっていて、声を掛けれなかったのは、華族の珠子様。大きな眼鏡に袴にブーツ!はいからさんだ!はいからさん!母親の実家に遊びに行ったとき、ばーちゃんの蔵書にあった漫画を読んだことあるぞ!教科書は旧仮名遣いで、少々読みにくい。漢字もちょっとめんどくさい、、、まあ、何とかなる範囲内か。


「満子さん、おかげんいかが?」


一人でぼーっとしていた私に声を掛けてきたのは、珠子様。


ぼーっとしていたのは、学友の縁談話や結納金の額の話にちょっとついていけなかったから。ほとんどの学友さんたちは、女学校時代に縁談がまとまり、卒業と同時にご結婚あそばされる、らしい。日記に書いてあった通り、私には母親が満足するような縁談が回ってこなかったらしい。金持ちが好きだから。母が。


珠子様は津田塾に進学するらしく、わんさかくる縁談を片っ端から断っているらしい。


「珠子様、、、えーあー、、手芸用品屋さんに行きたいなあーと考えておりました。」


と、思わず正直に答えてしまった。ゴムひもが欲しいのだ。


「手芸用品?ああ、小間物屋さんね。神田にいいお店がありますから、ご一緒しましょうか?」


「はい!ぜひ!よろしくお願いいたします!」


女学校から神田は、歩いて行ける距離らしい。と、言ってもほとんどの移動は徒歩なのだ。みんな、よくこの距離を歩くなあ、という距離を歩く。脚が丈夫だ。


道々、珠子様と話しながら、舗装されていない道や、古い民家と新しい洋館が立ち並ぶ風景を物珍しそうに眺める。歩いている人も、明治時代と江戸時代のミックス。さすがに、ちょんまげの人はいないが。女学生は着物に袴。男子学生は着物に袴の子も洋装、シャツに黒いズボンに下駄、とかもいる。全体的には着物の人が多いかな。草鞋の人、草履の人、下駄の人、革靴の人、、、はいているものもいろいろだ。


珠子様は神田にあるカトリック教会でボランティア活動(奉仕活動)をしながら、英語を習っているらしい。なにそれ、楽しそう。

小間物屋には目当てのゴムひもはなかったので、糸と細めのひもを買う。珠子様は生地売り場を眺めている。舶来品の生地は、びっくりするほどの値がついている。多分、、、貨幣価値がいまひとつわからない。


「私も教会について行ってもよろしいですか?」


店から出てそう言うと、珠子様は少し驚いた顔をしたが、うれしそうに笑った。眼鏡の奥の瞳がキュートだ。


「そんなこと言い出す人、初めてだわ!」


私たちは神田の教会で、孤児院の子供たちの世話をした。ほつれた着物を繕ったり、あまり甘くないクッキーを焼いたり、、、それがひと段落すると、シスターと英語で簡単な会話をして楽しんだ。私が英語を話せることに、と、言っても正確には米国語、なのだが、珠子様はこれまた嬉しそうに笑った。


「あなた、何者?

ああ、もっと早くお誘いすればよかったわ!」


それから、私たちは時間が合えば、学校の帰りに教会によったり、日曜日には待ち合わせして、礼拝を見に行ったりした。いくつかの讃美歌を歌える私に、珠子様は驚きを隠さなかった。


「あなた、面白いわあ~」


と、ころころ笑う珠子様。玉ちゃんの祖先か?と、私もうれしかった。



*****



僕とKは幼馴染でした。


実を言うと僕だって、Kと一緒にいる必要はなかったのです。

けれども、お金を渡しても受け取らないだろうと思ったのです。

彼は養家ともめてから、夜間、教壇に立って自分で生活を支えていはしたが、心身的に限界に見えました。僕は彼を私の家に連れてくるために、一緒に向上しよう、とお願いする形にして、連れてきました。

奥さんは初めは反対しました。

僕は、溺れかかった人を抱いて、自分の熱を向こうに移してやる覚悟で、Kを引き取るのだ、あたたかく面倒を見てやってほしいと頼みました。

そうして、Kも分も含めて、多めの下宿代を出すと、奥さんも納得したのです。


Kには小さい頃から勉強ではかないませんでした。しかも、努力家なのです。

中学でも高等学校でも、Kはトップクラスでした。

しかし、僕には常識がある。



そう、僕は修行僧のようなKを、人間らしくする、いわば、実験を始めたのです。

そうして、じっと観察しました。



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