第10話 結婚。自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによると或はこれが私の心持を一転して新しい生涯に入る端緒になるかも知れないとも思ったのです。

Dear 満子


今日、荷物とお手紙届きました。ありがとう!


社交界デビュー用のドレス、素敵だわ!これは黒留袖のリメイクなのね!

裾模様をそのまま使ったのね、ゴージャスに仕上がっていて、それでいて上品!とても気に入りました。ありがとう!

それより、一緒に送ってくれた長ズロースの紐?これって、結婚祝いにあなたが欲しがった自転車のタイヤのチューブよね!細く毛糸で包んで編んであるから最初はなんだか解らなかったわ!開いて、切って使ったのね!早速、お父様に見せました。

長ズロースを持って現れた私に、驚いていたけど、もう興味津々よ!商品化に向けて早速長ズロースを持って、開発部に走ってったわ!

もう一つ、あなたがよく”ミシンが欲しい、ミシンが欲しい・・・”ってつぶやいてたから、何のことかと思っていたんだけど、家庭用のSewing machineのことだったのね!!

イギリス人のお家で住み込みでハウスキーパー兼ベビーシッターなんて大変だなあ、と思っていましたが、そのお宅に”ミシン”もあったし、なにより新婚さんだし、楽しそうにやっているようね。安心しました。

(”ミシン”もそのうち国産が出回るかもよ。いいネーミングだって、父がつぶやいてたから。足踏みミシン、足踏みミシン、、、ってね。)


あの大雨の大忙しの夜から、もう半年もたったのね!


礼拝堂で二人で大泣きしていたのが、昨日のことのようですよ。

二人共、お互いの言っていることが微妙にずれていることにも気が付かないで、大泣きしているんですもの。お父様も、私も、瀬田もびっくりして眺めておりました。

なかなか良い光景でしたよ。

時間がなかったので、大急ぎであなたの用意した着替えに換えてから、神父様が結婚式を執り行ってくれて、、、、ばっさりと髪を切った小坂君と肩まで思い切って髪を切ったあなたの姿は、ほんとに忘れられないわ、、きれいだったわよ。

(小さな瓶に入った桜貝を首にかけていたわね。あれはなに?)




小坂君は宮城医学校でなかなかの成績らしいわね。彼らしいわ!


以前から、お父様の福祉財団の奨学生の推薦を受けてみないか、って話が出ていたんだけど、、、あの子のお葬式で医者になる決心がついたって。小さいもののために、できることを。

まあ、その頃、あなたのことでいろいろ悩んでたみたいよ。で、塩釜に行くことになったことは秘密にしてくれ、って言われてて、、、あなたはあなたで駆け落ちの段取りしてるし、、、どうなることか、、と思っていました。ごめんなさいね。


神父様のプレゼントも素敵でしたね!あなたたちの住み込みで働ける職場!神父様はお見通し、だったのね!こうなること!

先方さんも、英語の通じる人を、って希望だったらしいから。あと、小坂君の革靴ね!あなたったら、靴までは気が回らなかったのねえ、、、まあ、あなたらしいわ。

神父様がご自分の革靴をプレゼントしてくださって、、、ほんとに、、、あなたっておもしろいわ。


塩釜までの長旅も楽しかったようですね。

私も近いうちに、お父様と釜石まで出向く用事ができまして、帰りに是非寄らせていただきますわ。あなたたちのお養父様になった、瀬田も同行します。楽しみだわ。



・・・その健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを、、、誓いますか?



ああ、嫁に行く、なんて最低だわって思っていたけど、あなたたちを見てると、まあ、それもいいかな、って思っているのよ。


じゃあ、また詳しい予定が決まったらお手紙しますね。

二人共、お元気で!



瀬田 満子様


                           from 珠子



追伸  そうそう、小坂君に夏木君に渡すように頼まれた本とお手紙は、小坂君の下駄とマントと一緒にすぐにわかるようにおうちの近くにそっと置いておいたのですが、ちょっと想定外の展開になったようで、、、驚かないでよ、小坂君のお葬式をやっていました。で、夏木君に寄り添う女の人は、、、あなたにそっくりでしたわ!驚くほど!

あなたが、心を入れ替えて、帰ってきたのかと思うくらいに!あなたに妹さんのことを聞いていなかったら、そう思うわね!そして、お母様はほんとにしたたかなのねえ。あの後、私のところに訪ねていらして、旅に出る、って、心当たりはありませんか、って。あなた、そんな書置き残してたのねえ、、、それからの切り替えが早いわあ!この前、通りかかったら、貸家、って書いてあったから、お引越ししたようよ。

報告まで!



ああ、もう一つ。

荷物の奥に大事に包まれていた、あれ、は?

ひょっとしたら、月のもののお座布団の改良版なのかしら?

形もひょうたん型で変わってたし、しばらく解らなかったわ。フワフワしてて気持ちよさそうだけど、中身は海綿?って何?

これはお父様ではなく、私の研究対象にいたしますね!使ってみて、改良点があれば報告します!あと、その、海綿?が量産できるものかどうなのか。

ああ、あなたって本当におもしろいわ。

学ぶことはまだまだあるわねえ、私たち!

では、また。




*****



それから後の奥さんの態度は、さすがに軍人の未亡人だけあって要領を得ていました。

僕は奥さんに言われて、巡査と残されたものの確認に向かいました。まだ、Kが身投げした川は大荒れで、ごうごうと濁った雨水が倒木を押し流すほどでした。


Kのマントがずっと下の橋桁から見つかったのは、夕方になった頃でした。


下駄は揃えて置かれており、その上に僕が貸していた書籍とそれに挟まれていた一通の手紙が彼の残したすべてでした。

それからしばらく捜索が行われておりましたが、ついにKの遺体は見つからないままでした。

七日ののちに、残されたマントを棺に入れて葬式をした。奥さんとお嬢さんは二人座って泣いていました。僕はKのぼろぼろになったマントをお嬢さんに見せずに済んでよかったと思った。若く美しい人に恐ろしいものを見せると、折角の美しさが、その為に破壊されてしまいそうで、僕は怖かったのです。


僕はKの墓を、生前Kが気に入っていた雑司ヶ谷に作った。


友人や新聞記者の、なぜKは自殺したのか、の質問に、僕はKの遺書を見せるだけで語らなかった。お嬢さんが引合いに出たらたまらない。


それから間もなく、奥さんもお嬢さんもあの家を嫌がったので、新しい家を買い、引っ越した。


それから2か月もしないうち、僕は無事に大学を卒業した。

そうして、半年もしないうち、僕はとうとうお嬢さんと結婚しました。

万事が予期通りに運んだのですから、めでたいと言わなければなりません。

奥さんもお嬢さんも如何にも幸福らしく見えました。僕も幸福だったのです。


結婚した時お嬢さんがーもうお嬢さんではありませんから、妻が、何を思い出したのか、二人でKの墓参りをしようと言いだしました。僕はぎょっとしましたが、妻は二人そろってお参りをしたら、さぞKが喜ぶだろうと言うのです。妻と一緒に行ったのはそれきりです。


僕は何度も、本当のことを妻に打ち明けようとしました。妻は赦してくれるでしょう。然し僕は、妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから、、打ち明けなかったのです。


暮らすのに困ることがないので、

僕は書物に没頭したり、酒におぼれてみたりしました。何もする気になれませんでした。

僕は仕方ないので、死んだ気で生きていこうと決心しました。


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