4 迷える仔ヤギを群れに戻しましょう

 

 

 

 次の夜、女は礼拝堂に現れなかった。

 

 ガーランは朝一番に本部に登庁すると、一目散に隊長の執務室に飛び込んだ。

「隊長、アンタお貴族様の端くれなんだったら、社交界ってのもお馴染みなんだろ? 星送りの祭りのあとに結婚式を挙げる奴の噂とか、知らないか?」

 窓際の執務机で事務仕事に勤しんでいた隊長は、書類から顔を上げることなく言葉を返してきた。

「すまないが、私はそういうことには疎いんだ」

「晩餐会に舞踏会に、高嶺の花をとっかえひっかえだったくせに、何が『疎い』だ」

「いつまでも昔のことを蒸し返すな」

 眼光鋭く、隊長がガーランを睨みつける。

「嫡男でもない上に家を出てしまった『放蕩息子』が、そんな貴重な情報を持っているわけがないだろう」

「じゃあ、お屋敷に戻れば情報が手に入る、と」

 大きく身を乗り出すガーランに向かって、隊長は思いっきり眉間に皺を刻んでみせた。

「ガーラン、お前、人の話を聞いているか?」

「聞いてますよ、隊長。俺が必要としている情報が、隊長のご実家にある、ってことっしょ? さっさと調べに行きましょう!」

 言うなり、ガーランは隊長の腕をむんずと掴んだ。そのまま椅子から引っ張り立たせようとするのを、隊長が全力で拒む。

「いや、だから、私は、父が彼女のことを認めるまでは屋敷の門をくぐらないと……」

「じゃあ、手紙書いてくださいよ。セバスのじいさんに、これこれこういう人を知らないか、って」

「お前、どうして我が家の家令の名を……、って、いや、そうではなく、ガーラン! 理由を言え! まずはそれからだ!」

 

「おかしいぞ」

 ガーランの話を一通り聞き終わるなり、隊長がきっぱりと言い切った。

「まず第一に、良家の娘が夜中に町をうろつけるというのがおかしい。ましてや東の教会だろう? 西ではなく」

 町の中央を貫く大通りの西と東では、住民の層が違っている。町の有力者や貴族といった「持てる者」の屋敷は、町の西側、山へと続く高台に建ち並んでいた。

「そもそも、騎士を擁するほどの有力者なら、普通は屋敷に礼拝堂があるだろう? どうして、わざわざ外に出る必要がある? お前、おかしいとは思わなかったのか」

 尊大に言い放つ隊長に対して、ガーランは盛大にムッとした顔を作った。

「俺にとっては、礼拝堂ってったら、教会にあるものと決まってるんでね」

「それにしても、だ。連れはいなかったのか? 馬車の音は? 婚礼を控えた娘が夜中に独りで出歩くなぞ、絶対にありえない」

「ありえないも、ありえなくないも、事実がそうなんだから仕方がないでしょう」

 一歩も退くつもりのないガーランの勢いに、隊長は溜め息をついてペンを手に取った。

 

 

 その日の夕方、警邏から帰投したガーランは隊長に執務室に呼び出された。

 机の前に立ったガーランに、隊長は手に持った紙をぞんざいに机上に広げて見せた。

「該当者無し、だそうだ」

「は?」

「州知事が有する名鑑の中に、星送りの前後半年間に婚姻した、もしくは婚姻する予定の者はいなかった、とのことだ」

 その瞬間、ガーランは見えない手にがつんと頭を殴られたような気がした。

「夢みがちな乙女の、お姫様ごっこだったのではないか? 悲劇の姫に自らをなぞらえて一人芝居を楽しんでいたところに、精霊を騙る馬鹿者が闖入し引くに引けなくなったとか、もしくは、お前の悪戯に気づいての仕返しだったとか……」ほんの少しだけ同情の色を瞳に浮かべて、隊長が椅子に背もたれる。「それとも、その者こそが、ヒトにあらざる存在であったとか……」

 まるで、隊長の声がどこか遠くから聞こえてくるようだ。

 ガーランは、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 東の教会、礼拝堂より少し下がった所に建つ治療院。その裏手で、白いエプロンを身につけた若い女性が洗濯物を干していた。

 雲一つ無い夏空を背景に、何枚もの敷布が気持ち良さそうにはためいている。最後の一枚を干し終えた女性は、物干し場をぐるりと見渡してから大きく頷いた。そうして空になった洗濯籠を抱え上げ、治療院の裏口へと戻ってくる。

 ガーランは扉の陰から出ると、女性の進路を塞ぐような位置で足を止めた。

 女性が、怪訝そうな表情で立ち止まる。

 束ねられた褐色の髪は日の光を受けて艶やかに波打ち、襟足を優雅に飾っている。涼しげな瞳は、澄みきった泉のごとく。思ったとおり、いい女じゃねえか、と心の中で呟いてから、ガーランは姿勢を正した。

「アンタがラナさん?」

 ガーランの問いかけを――声を聞くなり、彼女の足元に籠が落ちた。

 ラナと呼ばれた女性はしばし身動き一つせずにガーランの顔を凝視していたが、やがて何か観念したかのように両手を軽く上げた。

「もしかして、私は、何かあなた方の仕事を邪魔してしまっていたのかしら」

 彼女の視線がえんじの上衣に注がれていることに気づき、ガーランは小さく首を横に振った。

「俺が勝手に夜の散歩をしてただけさ」

「とんだ精霊がいたものね」

 冷ややかな眼差しを咳払いではね返して、ガーランは話を続ける。

「アンタの話を聞いていて、どうしても引っかかることがあったんだ」

 ラナの形の良い眉が、すっとひそめられた。

「俺は頭が悪ぃからさ、何がどう引っかかってんのか、すぐには解らなかった」

「すぐには、ということは、今はもう解っているってこと?」

 挑戦的な質問に、ガーランは得意げに頷いた。

「アンタ達姉妹は、仲が良かった。特に、姉は妹のことをとても大切に思っていた。自分の幸せよりも妹の命を優先するほどに。でもな、そんなに妹が大事なんだったらなおのこと、何故死んだのか、腑に落ちねえんだよ。政略結婚なんだから、自分が死ねば妹が身代わりになることぐらい、いくらでも想像できるはずだ。死ぬほど嫌だった縁談を、死んでまで守りたかった妹に押しつける、っておかしかないか?」

 ラナの表情が、僅かに硬くなる。

「そもそも父親の脅し文句だって、『姉のお前がいうことを聞かなければ、代わりに妹を嫁にやる』でも良かったはずだろ? なのに、実際は違った。腐れ親父は妹の命を盾にし、姉は死を選んだ。妹では姉の代役にはなれなかったんだ。

 だが、妹に何か問題があったわけではない、というのは、今回政略結婚のお鉢が妹に回ってきたことから分かる」

 まさしくこの矛盾こそが、ガーランの抱いた違和感の大本だったのだ。

「つまり、こうだ。アンタ達は歳の離れた姉妹だった。それも、四つや五つどころではなく。幼い妹が後釜におさまることはないと確信できたから、姉は命を絶ったんだ」

 沈黙を肯定と捉えて、ガーランは話し続ける。

「すると、ますますアンタが姉を呪う理由が解らなくなる。その当時の姉の事情がアンタに理解できないことはないだろうし、それなら姉に甘えるにしてももっと違うやり方を選びそうなものだしな。そもそも、アンタが呪うべきは、父親だろう? そして、それをアンタ自身も承知していた」

 ラナが唇を噛む。

「なのに、アンタは姉を呪い続けた……」

 ガーランは一旦言葉を切ると、大きく息を吸った。それから、静かに言葉を継ぐ。

「……ラナ、アンタが『姉』なんだろ?」

 

 洗濯物がばたばたと暴れる音とともに、一陣の風が二人の間を吹き抜けていった。

「……と、まあ、答えを知ったあとなら、いくらでも偉そうに言えるわな」

 ガーランは、少しばつが悪そうに頭を掻いた。

「答えを知った……?」

「アンタ達が歳の離れた姉妹だ、ってところまでは想像がついたものの、その先、なんでアンタが姉を呪うのかがさっぱり解らなくってな。でも、嘘や作り話というにはアンタの雰囲気は痛々し過ぎるし。とりあえず、アンタの正体は棚上げにすることにして、亡くなったという『姉』について調べてみたんだ」

「隊長さんね。確か、州知事の息子さんだとか。……本当、あなたが警備隊員だったなんて、迂闊だったわ」

「ああ、まあ、普通だったら俺みたいな庶民にゃ、お偉い方々の、しかも異郷の事情なんて分かりっこないからなあ」

 ふう、と息を吐き出すと、ガーランはこれまでの経緯を語り始めた。

「隊長んちで訃報の束を調べたところ、今から十年前に、さる南方のお貴族様が、妙齢の娘さんを不慮の事故で亡くした、という記録が引っかかった。

 どんな小さな手がかりでも欲しかったんでな、俺はここの助祭長に話を聞きにきた。南の海で船に乗っていたおやっさんなら、もしかしたら何か知っているかもしれない、ってね」

 そこでガーランは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「おやっさんも歳だね、思い出話につるっと悲恋の姫が登場した。口が滑ったことに気づいて誤魔化そうとしやがったが、なんとか聞き出してやったぜ」

 引き換えに、今度の休日に教会の薬草畑の柵を修理する羽目になったことは、自分の胸にしまっておくことにする。

「十年前、世話になっていた船長が倒れたという知らせに、おやっさんは海を渡った。そこでおやっさんは、海岸の波打ち際に倒れていたアンタを見つけたんだ。

 事情を知ったおやっさんは、アンタをルドスへ連れてきた。そうしてアンタは、ここルドスで別人として暮らし始めた」

 ラナが、小さく頷いた。

「だが、最近になって、アンタは、風の便りに自分の妹が結婚することを知った。そうなんだろ? お相手は、自分の時と同じ、隣の領主。それで、アンタは後悔にうちひしがれた……」

 深い溜め息とともに、張り詰めるようだったラナの気配が緩んだ。一息つくガーランのあとを受けて、彼女は訥訥と話し始める。

「あの時、妹はまだ五つだったし、相手は既に老境にさしかかっていた。あの子が私の身代わりになるなんて考えもせずに、ただ絶望から、私は発作的に海に身を投げた……」

 そこで、ラナの口元が僅かに歪んだ。

「そもそもあの強欲な父が、将来有用な手駒になりうるあの子を、私への見せしめのためだけに殺すなんて、ありえない。父は見抜いていたのよ、運命を嘆くばかりで、自分からは何も動こうとしない私のことを。だからこそ、心にもない脅し文句を平然と口にすることができたんだわ。そんなことすら解らずに、私は……」

 喘ぐように息を繰り返し、ラナは顔を伏せた。こぶしを握り締め、もう一度大きく息をつき、震える唇を再度開く。

「あの子に謝らなければ、と思った。できれば代わってやりたかった。でも、私は既に死んだ人間だから、今更故郷には帰れない」

「だから、アンタは『自分』を呪ったんだ。何も知らない妹の代わりに、全身全霊を込めて呪詛を吐いた」

「……私が死んだと思えばこそ、あの子は運命を受け入れたのでしょう。ならば、今ここで私がのうのうと一人生き永らえていてはいけない。でも……」

 そこまでを語って、ラナは言葉を詰まらせた。握ったこぶしを胸にあて、青い顔で息をつく。

 ガーランはそっと目を細めると、彼女の言葉を引き取った。

「……でも、既にアンタは、ここになくてはならない人になっていた」

 息を呑み顔を上げるラナに、ガーランは片目をつむってみせた。

「相当頑張ったんだってな。おやっさんが誉めてたぜ。なんにもできなかった気弱なお嬢様が、今や治療院筆頭の癒やし手だ、って」

 唇を噛んで、ラナが顔を背ける。

 ガーランは怪訝に思って片眉を軽く上げたものの、そのまま話を続けた。

「実はさ、最初は『星送りの祭りのあとに挙式予定のある名家』ってふうに、『妹』の線で調べてたんだけどさ、それでは該当する家が見つからなかったんだよ」

 ラナが困惑の表情でガーランを見た。

 その様子を横目で見つつ、ガーランはすまし顔で言葉を重ねる。

「それがな、去年だったんだ。アンタの妹さんが結婚したの。なんてったって海の向こうだ、遠いからなあ、風の便りは風任せ、一年かかってやっとアンタのもとへ辿り着いたってわけだ」

「去年……!」

 なんてこと、と目を見開くラナをよそに、やけに勿体ぶった調子でガーランが口を開いた。

「そう。去年の星送りの祭りのあと、マタル領主の娘ロナと、カフタス辺境伯アクラムの結婚式が執り行われた、ってね」

「え?」

 ぽかんと口を開いて絶句するラナに、ガーランは遠慮なくにやにや笑いを浴びせかける。

 ラナは、たっぷり一呼吸の間、身動き一つしなかった。それからごくりと唾を呑み込んで……、そして、ガーランに噛みつかんばかりの勢いで詰め寄ってきた。

「アクラム!? イスハルではなく……?」

さきの辺境伯は、二年前にポックリ流行り病で亡くなって、ド田舎に追いやられていた甥が跡を継いだんだと。若いのに優秀だってんで、領民の評判も上々、結婚してからは愛妻家でも通っているって噂だ」

 それを聞いて、ラナはまるで糸が切れたかのように、へなへなとその場にへたり込んだ。

 ガーランは、黙って彼女を見守り続ける。

 やがてラナは、ぽつりぽつりと話し始めた。まるで独白のように。

「……私がいなくなれば、教会の皆が困る……、それはそうなのかもしれない。でも……、私は……私はただ、死にたくなかっただけなの。ここでの生活を手放したくなかっただけなのよ……」

 ラナの日に焼けた頬を、幾つものしずくが、つたって落ちる。

「あの時のことは、今でも覚えている。私は、全てを捨てて崖から身を投げた。誰かに助けられるなんて夢にも思わず、本気で命を絶とうとした」

 小さくしゃくり上げてから、ラナは激しく頭を振った。

「でも……! もう、駄目なの。物見櫓に上っても、居敷きの崖に行っても、もう足がすくんで動かない。死を選ぶほど嫌だったことをあの子に押しつけておいて、今更死ぬのが怖いだなんて、ふざけているにもほどがあるわ。だからせめて、自分のしたことをこの身に、魂に、刻みつけようと……」

 やがて彼女は両手で顔を覆って、静かに肩を震わせ始めた。

「折角おやっさんが助けてくれた命なんだ、死に急ぐことないだろ」

 ガーランはラナの前にしゃがみ込むと、その頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「妹さんも、良い旦那さんに恵まれてよろしくやってるわけなんだしさ」

 とうとう嗚咽を漏らし始めたラナの頭を、ガーランは撫で続けた。ここで抱き締めるのは反則かなあ、などと余計なことを考えながら。

 

 

 

    * * *

 

 

 

「なんだ、その変な歌は」

 深夜の町角、警邏の終わり頃になって、同僚が思い余ったようにガーランに問いかけてきた。

「え? 歌? 俺何か歌ってたか?」

 真顔で返すガーランに、同僚は呆れ返った表情で天を仰いだ。「分かってないんだったら、いい」

「え? なんだよ、気になるだろ。歌がどうかしたのかよ」

 ガーランがしつこく食い下がると、同僚はこれ見よがしに肩を落としてみせた。

「幸せそうで良かったな、ってことだ」

「しあわせ? まさか! 夜勤続きでへとへとな俺に、そんなことよく言うな」

 はいはい、と軽くいなす相方に、ガーランはなおも言い募る。

「明日は明日で、貴重な休みの日だってのに、治療院の大掃除手伝わされるんだぞ。まったく、あのクソ坊主め、人使いが荒過ぎるっての」

 憮然とした口調とは裏腹に、その頬は緩み、足取りはどこまでも軽い。

「さーて、さっさと次の組と交代しようぜー」

 溜め息をつく同僚をあとに残し、ガーランは鼻歌を口ずさみながら巡回路を進んでいった。

 

 

 

 

 

 

    〈 完 〉

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夜風は囁く GB(那識あきら) @typ1

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